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砂糖のような六月のときめき

 新しい生活、子どもが中学校に通うようになってから一週間が長い。平日五日間がとてつもなく長い。その代わり土日はあっという間に過ぎて、また月曜日を迎える。全くこの生活に慣れない。

 必ずお弁当の仕込みが出来るのは日曜日の晩のみ。平日18時に退勤、買い物をして帰宅後、夕食の支度をしながら仕込みができる日はほぼないに等しい。そうなると朝5時に起きてお弁当のおかずを作ることになる。手作りニ品、冷凍食品一品、チルド食品一品。手際が悪く、すべて手作り出来なくて、申し訳ない。お弁当用に用意して余った分は朝少し取り分けていただいたり、夕食のおかずにして食べきる。

 アレルギーや味の好みという制約がある中で、料理を余裕をもって楽しみたいけれど、まだまだ必死だ。
仕事はこの時期あまり忙しくないことが幸いしている。いま転職は間違っているかもしれないと思い始めた。仕事は慣れない、自分の生活にも慣れないでは疲れきってしまうのではないかしら。
ちなみに今の仕事の環境が自分にとってよろしくないから転職しようと心に誓ったことに変わりはない。

 今の生活に慣れないなぁ、と思いながら、まるでぬるま湯に浸かって、あぁでもないこうでもないとぐるぐる考えているような日々。考えながら変化を望みつつ怖くもあるのだと認める中で、少々のときめきを楽しんでいることに気が付いた。
 この少々のときめきから本物の恋に発展したことはない。「たまに見かけるあの人」くらいの距離感だと、基本的に接触しないので発展はないのだ。
 人と深く関わらないことは痛みを避ける代わりに楽しみや喜びも共に遠ざかってしまう。私の場合、きっかけさえあれば人と関われるのになぁ、などと思ってしまった自分に「本当に?」と訊いてしまう。確かに怖いけれど、きっと以前のようには傷ついたりはしない。
 ときめきを感じることや、人との出会いに年齢は関係ないと自分に言い聞かせて、しかし「きっかけ」はそう簡単には訪れないし、それがある場所など想像がつかない。そんなことを頭の中で思い巡らせて、久しぶりだな、と思った。めずらしくここのところ、この手のことを忘れていた。    
 少々のときめきは楽しい。すぐに消えてなくなってしまうけれど、それが良い。もう少しだけ、この気持ちを味わおう。私だって幸せになる資格はある。そう思えるなんて進歩したというか、回復したというか、改善したというか、我ことながら嬉しいものだ。

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