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Endless Cleaning Myself

本当に少しの間故郷に行ってきました。二晩泊まり家族と親戚に会ってお墓参りをして今住まう土地に帰ってきました。人見知りの姪っ子と猫にとっては非日常の存在のまま帰ってきました。
子どもはそのままお父さんの家に行ってしまい、一人で帰ってきました。
UKICOの楽曲を聴いてBialystocksの楽曲を聴いていたら完全にエモーショナルになってしまい、これを書いています。
 表現を通して私は何が言いたいのでしょうか。
苛立ち、焦り、諦めや後悔すべてが私の中にあります。卑しさを見つけた時にこういう部分がいつまで経っても無くなりはしないのだと時々悲しくなります。「人間だもの」と思いたくなくて。
この短い帰省の間に母や叔父はどこからともなく私に話を始めて、ずっとそれを黙って聞いていました。何か話したくて仕方ないさま、遠く離れて暮らす娘、姪の訪問はやはり非日常であって彼らを戸惑わせもするということ。故郷であり日常ではないということ。それらも受けとめたくはない何かの仲間なので最近覚えたやり方で手放し続けます。
母が浴室の床をこすってもこすっても黒い汚れが出るのでこすり続けたらやがて床は白くなったと言っていました。そういうことですよね。
汚れは生まれ続けるから掃除し続けるのです。
感情は生まれ続けるから昇華し続けるのです。

表現したい気持ち、何かを贈りたい気持ち、誰かの助けになりたい気持ち、誰かと繋がりたい気持ち、私を守りたい気持ち。これらをどう扱えばよいのか考えても答えは出る気がしません。少なくとも今はこの手の中で転がし続けるのです。



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