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めいそう日記Ver2〜Day258:いるべき場所へ


1. 瞑想小咄〜いるべき場所へ

自分にとって居心地がいいと思う場所。そこで生きることで、最も自分らしく、生き生きと過ごすことができるだろう。居心地がいいと思える場所は人それぞれで、人によっては「最高」でも、人によっては「最悪」になる。十人十色で、心地よいと感じる場所は異なるものだ。

果たして、自分が今いる場所は自分にとっているべき場所なのだろうか?もし今、生きづらさを感じている人がいるとしたら、ひょっとしたらそこは、あなたにとっているべき場所ではないのかもしれない。

先日、私の友人を見送った。伊勢に来てから出会った友人で、友人自体も私と同じ移住者だった。友人は隣町に住んでいたのだが、どうにも生きづらそうに見えた。縁があった仕事もうまくいかず、自分らしく生きることができるような人間関係も築けず。私が友人と親しくなったのは、ちょうど友人がどん底状態の時に、たまたま共通の知り合いを通してだった。

友人は、常々生きづらさをを感じていたらしい。一方私は、この場所で生きることは、自分らしく生きられることだと思っていたため、全くもって対照的だった。私にとっては住み心地がいい場所なのに、友人にとってはどうも合わない。なんとも奇妙な感じがしていた。

そんな友人だったのだが、ついにいるべき場所をたまたま見つけたらしい。旅に出た時のこと。本来長居する予定ではなかった場所を訪ねたところ、そこでの生活があまりにも心地よく、その上なんと格安で家を手に入れることができたのだとか。思いがけない場所で、友人にとってのいるべき場所を見つけることができたようだった。

私と友人と、好みはまるで違う上に、居心地がいいと思える環境も異なる。だからこそ、自分たちが「いるべき場所」と思う場所は全く異なっていた。しかし、共通することがある。それは、いるべき場所に辿り着きかけた時、とんとん拍子に話が進んでいくという実感だった。

私が伊勢に来るきっかけになったのも、思えば不思議な繋がりからだ。たまたま人によって縁を繋いでもらったことで、この土地と縁ができた。もし一つでもピースが足らなければ、ここには辿り着けなかったと思う。

友人も、数年前にたまたま旅先で出会った人に紹介された人を、今回本来の目的であった旅の途中に訪ねた。すると、たまたまその人が別の場所に引っ越す直前だったそうで、家が不要になることになり、ほぼ譲り受けるような形で家を手にすることができたのだという。

自分が本来いるべき場所に辿り着くのは、自分の意思ではないのかもしれない。奇跡なのか、あるいは必然なのか、第三者の手によって自分でも気付かぬうちに、その場所へ続く道が敷かれているのだろう。

自分がいるべき場所。そこに辿り着くことができると、のびのびと、生き生きと生きられる可能性が高まる。それぞれの人に、必ずそういった場所はあるはず。そして、そこに辿り着くための縁は、すでに結ばれ始めている可能性もある。

自分の直感に従って、何か一つ行動を起こしてみると、そこに辿り着くきっかけになるかもしれない。

2. 今日の瞑想〜2024.4.20 Sat 6:30〜(15min)

土曜日の朝。今日は仕事の依頼が入っているので、いつもと同じ時間に起床。さて今日も頑張ろう。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。目を閉じて、しばらくしてから実感するのは、気づかないうちに自分があれこれ考えているという事実。気を取り直して思考を停止。そのまま15分間過ごす。雑念を振り払うことの難しさをあらためて感じた。


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