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新しいラグジュアリーって何だろう

『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』は、最近読んだビジネス書の中でも、共感する事が多く、僕自身も関心の強いテーマでもあるのでこの本をベースにラグジュアリーという言葉について考えてみたいと思います。 

ラグジュアリーという言葉は人によって受ける印象も異なるはずです。それもそのはず、時代によって、言葉の定義が変わってきています。本書ではラグジュアリーの定義をこう定めています。

「ラグジュアリーとは、誘惑的であり、豊かさを表すものであり、光り輝く(輝かせる)ものである」

書籍より

この「誘惑的」「豊かさ」「光り輝くもの」の3要素が年齢やおかれた状況に応じて変わるというのが、言葉の定義が異なる事の正体のようです。

ただし現状では自分も含めて、「ラグジュアリー」という言葉からは、富裕層対象の高級品や洗練されたサービス、と連想する人が多いのではないでしょうか。

ですがラグジュアリーとラグジュアリーブランドとは別物としてとらえる必要があります。いつの間にか、資本主義どまんなかの戦略がなされ、一部の富裕層に向けたプロダクトが展開されていった、というのが正しい見方でしょうか。では、ラグジュアリーはどんな場合に成り立つ言葉なのでしょうか。

モノのスペックを追求するだけではラグジュアリーは成立しえない。つくるひと、売る人、買う人の品格やマナー、さらに使われる場所といったコンテクストをすべて含めてラグジュアリーが成り立つ

書籍より

僕自身は前職のIKEUCHI ORGANIC時代に、ここに書かれている事に近い感覚を持っていました。タオルを買う人がお金があるから高いタオルを買うわけではなく、使う人の品格だったり、それこそモノを大切に扱うことができるか含めてがブランドの在り方であると。

だからこそ、ブランドとして哲学を持ち、タオルを使い捨てするような買われ方をしてはだめだし、それはお客様の責任ではなく、販売する側がメンテナンスの仕方を含めて伝えていく必要があると。

一方でいわゆるLVMHのようなラグジュアリー業界の最大手から学ぶべきものがないかというとそうではないと思います。

商品はもちろんですが、商品を販売するときのディスプレイの仕方、販売するスタッフさんのふるまい、広告宣伝やクリエイティブ一つとっても、商品やクリエイティブを見ているだけで気持ちが高まったり、いつかは手に入れたいと思うような憧れを抱かせてくれます。

私たちが想像がつかないくらいの、時間と労力をかけてプロダクトを作っているし、世に出るまでに、きっとモノづくりをするのと同じくらいどう伝えるかも考え抜かれているわけです。

ここまでできているメーカーが日本にあるかというと、なかなかないと思います。さらには、欧米ではラグジュアリー専門の分野があり、欧州・米国・中国などの各大学に設けられているそうです。

個人的には日本でそんな講座があれば是が非でも受けたいですが、余談ですがLVMHでは、inside LVMHという特設サイトが用意されており、ラグジュアリー業界の舞台裏やLVMHのエコシステムを学ぶことができます。

若い世代が対象のようですが、登録すれば誰でも学ぶことができ、私自身は10月から隙間時間に学習をしています。

少し話がそれましたが、ラグジュアリーという分野は日本では、現在では専門に研究できる大学はありません。
日本だって、歴史のある企業や産業はたくさんあるはずです。ですが、ラグジュアリーという分野に、昔は興味関心がなく、遅れをとったと言ってもよいのではないでしょうか。

ただし、近年のラグジュアリーのトレンドの変化でもある「生産地や生産者の顔がはっきりしていることと、人の手によるものであることは、ラグジュアリーの証」という言葉から受ける印象は、日本そのものではないでしょうか。

アパレルの国内生産比率が3%以下とはいえ、メイドインジャパンのプロダクトが地方から続々と生まれていたのも事実ですし、外国人訪問客が増える中で、注目を集めている産業もあります。

ただし、生産地や生産者の顔がはっきりとしていて、人の手によるものがすべてラグジュアリーと呼べるかというとそうではありません。

書籍の中で、日本のラグジュアリーについても取り上げているのですが、ラグジュアリーを研究する上で、年商1,000億くらいまではイタリアから学んだ方が良いと書かれています。その理由について、次のも触れてみたいと思います。

※ 『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』の著者である安西さんのnote。時間をかけて全て読んでみたいと思います。

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