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他人と比べる人生から降りる



正直に言おう。
僕は他人と自分を比較し、
優劣をつけ、勝ったつもりなら優越感に浸り、
負けたつもりなら妬みで心を黒く染める、
さもしい性格のメガネ男だ。



比較項目は
学歴、年収、社会的地位、モテ度、社会貢献度、努力の数、読んだ本の数、会社に貢献した度合、持っているお店の件数、作った会社の規模など、多岐にわたる。
"人生の充実度"を妄想して比較する、
さもしい性格のメガネ男だ。


人間は比較するのが大好きな生き物なのだ。
僕の場合は人より少しその欲求が強い。

普段は"自分の道をゆくクールなやつ"の雰囲気を出そうと頑張っているのだが(かっこいいから)
実際頭の中は、人と比べまくり妬みまくり。


読者は薄々感じてるだろう。
僕だって気づいているさ。

生まれた場所、育った環境、影響を受けた本、将来の夢、価値を感じるモノ、
前提条件が何もかも違う者と自分の人生が、
どうして比較できるのだろう。
競技項目、勝ち負けの判断基準も非常に曖昧で、ハッキリ言って破綻している。

”人生の勝ち負け”なぞ神でもない僕が判断できるはずがないし、
現実社会には「プライベート充実大会」や「年収比べ大会」なんて競技は存在しない。
見たことない。 



ないんだよ、そんなの。





つまり、「あいつに負けている、、」「俺は勝っている」の様な葛藤自体、人の頭の中だけで起きているただの妄想なのだ。

なぜ人はこんな破綻した比較を続けるのだろう。






それは承認欲の仕業だ。






基準が曖昧だろうが、
前提が違うかろうがそんなことはどうでもいい。
ただ、勝って(勝ちなどありはしないが)自分を肯定し、
ついでに他人に認められたいのだ。
同僚、先輩、大学の同級生、業界のライバル会社と比較し、ハッキリ”勝ちたい”と望む。

前述したとおり、
「勝ちたい」欲や、「勝った」優越感、
はすべて妄想にすぎない。
気にするだけ時間の無駄。
ないんだから、そんなん。



それでも大半の人は、
他人と比較する人生をおくるだろう。




承認欲と適切な距離を保てない人間は、
絶対に幸せにはなれない。

僕は気づいた。

今日はそんな話をしようと思う。




思えば、僕の心は常に外を向いていた。




僕は幼い頃、父子家庭で、祖父母の家に住まわせてもらっていた。


父親は気真面目な人格者で、夜遅くまで仕事や街のボランティアに勤しんでいた。
祖母は家の前でちゃんぽん屋(ほぼ飲み屋)を
経営していたので仕事が終わるのは深夜。
祖父は建設会社を経営立ち上げた後、
地元の市議会議員を何期も務めた「街の顔」で、この人も超多忙。



一番古い記憶、多分4歳くらい。
誰もいないリビング(お金持ちだった祖父の家なので、これまた広いんだ)で夜中。
部屋中の照明をつけ、アニメを大音量で流した。
たしかスラムダンクだったと思う。

毛布に包まり、このまま。
賑やかなまま、寝落ちして気づいたら朝になってることを期待した。


しつけ通り、
寝室に向かい布団に入り瞼を閉じてしまうと、





「ひとり」だ。






別に可哀想な子供だった訳じゃない。
父は再婚し、家族は沢山の愛を注いでくれた。





それでも、
僕は"度を超えた悪ガキ"になった。

気性が荒く、他人の物を盗み、周りが嫌がることを沢山した。
そんなもんだからロクに友達も出来やしない。

当時は、
「なぜこんなに悪さをするのか」
自分が1番理解できずに訳も分からず泣いていただけだったが、
今思えば、周りに誰もいないくらいなら怒られていたほうがマシだったんだろう。
とにかく誰かの反応が欲しかった。
じゃないと、また「ひとり」だ。



人格形成の時期にこんな様だった僕は、
人の反応、評価を求め気にする大人になった。
職業や地位、収入や見た目、学歴や評判、
色んな情報を集めて自分の位置を測ることでしか幸せを感じられない。


ただ、
"他人と自分の比較する世界"で生きているかぎり、安定的に心が救われることはないのだ。


そりゃそうだろう、


「A君に勝ちたい」だけなら達成すれば終わり、
それで幸福なのかもしれない。
だがそれは短期的な見方であり、
実際は「誰かと比べて勝ち続けたい」と望んでいるのだ。




「他人と比べ続ける」=「勝ち続けたい」
いずれ絶対に無理が出てくる。

この世にはスゲー人が山ほどいるので、
どれだけ優れた人も、
いずれ必ず負けることになる。





1番厄介なのは、
”負けること”を承認欲が許さない事だ。
承認欲の否定は、人の心を大いに苦しめる。




「自分はダメな人間だ。負けてしまって悔しい、相手が憎い。」




負けた時はもう、
心が負の感情でいっぱいになってしまう。
怖いって。



悔しさをバネにリベンジできたとしても、
同じことの繰り返し。
また必ず誰かに負けるのだ。


苦しみのループから逃れられない。


小さなbarなのに大した売り上げを叩き出せる、
フリーターだったクセにこんなに頑張っている僕を、
どうか見てください。



他人の事まで考えられる、
うだつの上がらない後輩たちをなんとかしてやりたいと思っている。
僕は偉いでしょう?
さぁ、褒めてください。



僕はこんなに勉強している。
人とは違う、有難いアドバイスができます。
そんな立派になった僕を、
皆さん、どうか認めてください。



僕が今までnoteで書いてきた記事についての
一つの角度から見た「本音」だ。



もう本当に、この性格にはホトホト疲れた。
人の印象や評価を求める競争から僕は降りたい。


有難いことに、
仕事は順調だし、
お客さんはいい人ばかりで、
日々、働く事のやりがいを頂いている。
ついて来てくれる従業員までいる。
真剣に付き合える友達もいる。


文章を書き、本を読む時間もある。
それは、日々の実働や競争を忘れ、立ち止まること。落ち着くこと。
自分の内側を見ること。
幼少の原体験から人と比べる事に執着する僕だけに、とても大切な時間だ。
自分の間違いも、この時間のおかげで気づけた。



これ以上なにが欲しいというんだろうか、
いい加減にしてくれ。






「少しのモノしか持っていない人」
が貧しいのではなく、
「いくらあっても満足せず、永遠に求める人」
こそ”貧しい人”だ。


"対外的な何か"と比べるのではなく、
心の内側に目を向けよう。
どんな境遇でも、
掌にあるモノに「よし、満足だ。中々いいな。」
と思える人こそ"豊かな人"だ。



僕もそうありたい。







では、また明日。merrylou..


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