心の底からやりたいこと

「あなたは何がしたいの?」
「楽しくて、幸せなこと」
「具体的には?」
「ううん」
「分からないの?」
「分からなくはない。楽しいは、楽しい。幸せは、幸せだから」
「何をやったら楽しくなるの?」
「好きな人と、一緒にいたら、楽しい」
「好きな人って、誰?」
「今はいない」
「昔はいたの?」
「昔はみんなが好きだった」
「どうして好きじゃなくなったの?」
「みんなが私を好きじゃなくなったから」
「どうしてそうなったと思う?」
「私が賢くなってしまったから」
「馬鹿じゃないと、愛されないと思うの?」
「わかんない。馬鹿でも愛されてない人は、いるから」
「賢くても愛されている人もいるしね」
「うん。でも、私はみんなから疎まれている」
「どうしてそう思うの?」
「目が言っていたから。この子が気に入らないって」
「人の気持ちは、変えられない?」
「変えようとしたって、そんなの、つらいだけだよ」
「自分に嘘をつかなきゃいけないんだもんね」
「うん」

「自分のために、何かしたいことはないの?」
「ゆっくり休みたい」
「他には?」
「もう何も考えたくない」
「考えないこと、できる?」
「できない。怖い。何もしない、ということが怖い。だから、考えてる。考えてるときは、考えているから。今私がここにいるって、安心できるから。考えていないときは、あっという間に時間が経って、自分がいったい何をしていたのか分からなくて、自分が何のために生きているのかも分からなくて、怖くて、怖くて……でもそれすら考えなくなったら、私の人生は、多分、いつの間にか終わっているんじゃないかって思うんだ。考えてないと、何かをやっていないと、足掻いていないと、人生は、いつの間にか、なくなっているんじゃないかって思うんだ」
「だから、何かをしようとするんだね」
「怖いから、考えてる。考えるのをやめたら、私、が、いなくなっちゃいそうだから……」
「苦しいよね」
「生きるのは苦しいよ」
「何かできることはないのかな」
「できることは、やってる。これ以上は頑張りたくない。自分のペースでやっていたい。楽しいことしかしたくない。生きるのに必要なことしかしたくない。他の人の言うことなんて聞きたくない。何も押し付けてこない人としか、一緒にいたくない。怒ったり、怖がらせたり、からかったり、騒いだり、しない人がいい。頭を撫でてくれる人がいい。優しい言葉をかけてくれる人がいい。でも、嘘はつかないで欲しい。嘘をつくくらいなら、黙っていてくれる人がいい。思いついたことをそのまま言わない人がいい。私と違って、私と違って、いつも頑張ってる人がいい。私はいつも頑張れないから、だから、頑張れる人と一緒にいたい。わがままなのは分かってるよ。でも、私が心の底から欲しいと思っているのは、それなんだ。欲望っていうのは、理不尽なものなんだ」
「そうだね。そうだと思う。それに、ものごとの理屈っていうのは、後から人間がそれっぽく付け足しただけのものだからね。本来人も自然も、理不尽だし、理不尽でいいものなんだよ。だから、あなたの欲望を、私は許してあげる。あなたのわがままを叶えてあげることはできないけれど、あなたがわがままを持ったまま生きることは、許してあげる」
「でも、苦しいの。苦しみは消えてくれないの。この欲望は、手に入らないから、満たされないから、思えば思うほど、苦しいの。きっと、手に入れたとしても、それは私が欲しかったものじゃないって思ってしまうだろうし、そういうことを考えても、苦しいの。人生は、苦しいの」
「苦しいよね。苦しいと思う。私はあなたの苦しみを癒してあげることはできない。多分、許してあげることもできないんだと思う。私たちは、苦しみを避ける生き物だから。私は、あなたがどれだけ頑張るとしても、あなたが苦しんだまま生きることを、許すことはできないんだと思う」
「でも、苦しみからは逃げられないんだ。逃げても逃げても、追いかけて、追いついてきちゃうんだ。逃げれば逃げるほど、苦しみは引っ張られて、大きくなって、重くなって、私の体に巻き付くんだ。だから、もう諦めて、苦しみと手を繋いで生きていた方が楽だと思うんだ」
「断ち切ることは、できないのかな」
「都合のいいハサミがあればいいのにね。誰かがそれを持ってきて、私に渡してくれたらいいのに。私のためにそれを用意して、私のためにそれを断ち切ってくれたらいいのに」
「ごめんね。何もしてあげられなくて」
「ううん。仕方ないよ」

「誰もが心の中に、美しい部分を隠し持っていると思うんだ」
「そうだと信じたいよね」
「うん。信じたい。誰もが、美しい部分を持っている。でもそれを見せると、嫉妬されちゃうから、ないものであるかのように振る舞っている。だから、一番身近で大事な人にだけ、それを見せるんだ。私は誰かにとって一番になったことがないから、だから、まだ他の人の一番綺麗な部分を見せてもらったことがないだけ。そう信じたいの」
「私も、信じたいと思う。疑ってしまうけど、それでも、そうであってほしいと思う」
「そうでないと、人を好きになれなくなってしまうから」
「うん。見えないところに、きっと美しいものがあるって、信じないと。見えるものは、分かりやすいものは、全部、ちょっと汚いから」
「そうなの。全部、汚いの。誰かが私の目を手で塞いで『見なくていいよ』って言ってくれたらいいのに。それなら私は、安心して、目を開いたままでいられるのに。どうして、汚いものや、見ない方がいいものを見てから、慌てて『これ以上見ないようにしよう』なんて思わないといけないんだろう? どうして、いつも、私はそんなつらくて苦しいことを我慢しなくちゃいけないんだろう? どうしてこの世界はこんなに汚いのかな? 醜いのかな?」
「どうしてだろうね。私にもそれがよく分からないんだ」
「人の心は綺麗だって思いたかった」
「誰もが、誰かの幸せを願っているんだと思いたかった」
「いつから疑い始めてしまったのだろう」


「私は楽園を知っている」
「誰もが互いを愛し合い、その人のために何かができないか考えている」
「幸せも不幸も、決して隠さず、その両方が美しかった」
「どんな人も、そこに存在するべくして存在していて、誰もその存在を疎んだりはしない」
「みんながみんなを必要としていた」
「愛以外は何もなかった」
「私は目に映るもの全てを愛していた。私が愛せないようなものは、この美しい世界のどこにもなかった」
「いつから変わってしまったのだろう」
「いつから変わってしまったのだろうね」
「私たちは罪を背負っているのかな」
「騙されてしまったのかな」
「それとも私たちには、そんなもの最初からなくて、私たちの信じてるこれは、私たちが私たちのために作り出した嘘なのかな」
「嘘だとしても、私はそれを信じているし、信じるしかないのに」
「神様はいないよ」
「死んでしまったから」
「どうして死んでしまったのかな」
「きっと嫌になったからだよ」
「何が?」
「私たちを愛するのが」
「だとすれば、悪いのはきっと私たちなんだろうね」
「許しを請うても、神様はもう帰ってこない」
「私たちの居場所はもうどこにもない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「それでも、生きるしかないんだよ」
「誰も、生きる意味を教えてくれなくても?」
「もう、楽園に帰れないと分かっていたとしても」
「目指すべき場所も」
「求めるべき意味も」
「何もなかったとしても」
「私たちは」
「生きるしかないの」


「そうして私たちは生きているのだけれど」
「そこにあるのは、ため息ばかり」
「灰色の日常」
「時々不安になる」
「自分が何もせずに老いていくことが」
「残酷なのは、時でも人生でもなくて」
「きっと私たち自身なんだと思う」
「私たちは何もしない私たちを許せないから、だから残酷にも、自分自身に鞭を打って、彼女がどれだけ叫び声をあげても、弱音を吐いても、それでも許してあげることができない」
「時間は残酷だ。待ってはくれない。人生は貴重だ。無駄にしてはいけない。そう言いながら、私は私に鞭を打つ。私は涙を流す。残酷なのは、時間でも人生でもない。私たち自身だ。私たちの苦しみの原因は、全部私たち自身にある」
「ごめんね。ごめんね」
「どれだけ謝っても、もう遅いんだよ」
「取り返しのつかないことはあるもんね」
「取り返しのつかないものは、時間や人生だけじゃないんだよ。心や魂も、失ってしまったら、もう決して帰ってこないの。だから、何よりも大切にしなきゃいけないのに」
「私たちはそれを忘れて、心や魂にひどいことをする」
「ひどいことをした成果を人に見せびらかして、悦に浸る。泣いている子供から取り上げた心臓を掲げて、勝ったって叫んでる」
「私たちは罪深いことをしてしまった」
「やってはいけないことをしてしまった」
「どうしてこんなことになってしまったのだろう」
「どれだけ謝っても、許しを請うても、失ってしまったものは帰ってこない」
「もうこの世界は、終わった世界なんだ」
「終わった世界の中でも、生きて行かなくちゃいけないの?」
「生きて行かなくちゃいけないの」
「それが贖罪になるから?」
「それが贖罪にならなくとも」
「どうして私たちはまだ苦しまなくちゃいけないのだろう」
「それが、生きるということだからだよ」

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