アイしてる

アイしてる

 アイなんて信じない。何処にもない。

 彼はいつも私に告げる。「君を永遠に愛す」
 そんなこと、よく真顔で言えるなぁ。
 
 私はそれに返答しない。
「一生君をアイス」に聞こえて、ひんやりしてしまうんだ。

 アイなんて信じない。信じても消えていく。

 ゆらゆらゆったり横切る、紙飛行機をぼんやり見てた。
「わぁー、先生すごーい」
「どうやったらあんなに長いこと落ちないの?」

 はっと気づくと、クラス中のこどもたちが、校庭で思い思いに自分たちの紙飛行機を飛ばしている。飛ばしているというより、すぐ落下させている、かな。
 まずその折り方のテキトーさ加減がこどもらしいというか。ね、君たち、飛ばす気ある?

 私は今、教育実習で母校の小学2年生のクラスに参加している。
 まさかね、こんな偶然ってあるんだ。いや、仕組まれたのかな。

 目の前に、昨晩も至近距離で私にアイをささやいた彼が、こどもたちに囲まれている。彼はこのクラスの担任の先生。こどもたちを見る目が優しくて、こんな顔するんだって発見した。

「ほら、こうして端っこを折り返すとね、もっと飛びますよ」
 語りかける声が響く。そんなほほえましい光景を見ながら、私は、空色の紙を手に取る。

 画用紙の方がしっかりしてるから、空を切って上手に飛びそうな気がしたんだけど、彼は「いや、コピー用紙がいいんだよ」と微笑んだ。
 備品室に取りに行って、白だけじゃ味気ないから、色つきの紙もたくさん持って来ちゃった。

 朝礼台に広げて、あの飛行機を折っていく。左右をきちんと合わせて、一回ずつに線をつけながら、ていねいに願いをこめて。そして秘密のスパイスをかける。

 小学生なら目を輝かせてくれるだろう、と期待しながら。
 あの日、私の心を一瞬でトラエタ、彼が私の前で見せてくれた飛行機を。

 ただの小さな紙が、姿を変える。
 くるっと回って帰ってきた時の、胸の高鳴り。

 せんせー、すげぇー。
 飛行機もどってきたー。
 わぁー、Uターン。

 そう。ブーメラン飛行機の完成だ。

 ずっとすきだったあなたに、信じていたあなたに、実は裏切られてると知った時、私の愛は終わっていた。それから私は「愛」という漢字が嫌いになった。この時からカタカナに変わったアイ。私の名前も同時に。

 それなのに、確かめたくなる、私へのアイ。だから私は彼にたくさんわがままを言う。甘えたふりで、背中からしがみつく。
「アイ、君はいつまでもこどもっぽくて、可愛いな」
 そんな熱をこめた目で見ないでよ。していることは、もうこども向けじゃないのに。

 報われない思い、届かないきもち。それでも私は知らない振りをして、キスをせがむ。それを合図とばかりに、彼は私を組み伏せてくる。
 ね、みんなの先生は、みんなの知らないところで、こんなことしているんだよ。いくら紳士然としてたって、大人の男だからね、幻滅しちゃだめだよ。

 アイよりも、肌の熱さを信じたくなる。私だけが知っていたかった、ほとばしる情熱。

「えー、アイ先生って、ナオ先生の彼女なのぉー?」
 早熟な女の子たちの視線が一斉に私に向く。あはは、小2でも女は女だ。
 そうだよ、とは言えない。こどもに嘘はいけないからね。

「君を永遠に愛す」は「アイ、いつまでも一緒にいよう」と同義語ではない。

 どんなに想っていても、願っても、駄々をこねても、しがみついても、アイなんて手に入らない。いつかあなたたちにもわかる時が来るよ。

 ずっとあなたの特別だとカンチガイして、私は自分の人生がすきだった。
 あなたによって人生はいつも華やかに塗られていたから。
 突然にモノクロになる世界。あんなにあった私の色は、一体どこに散らばってしまったの?
 あなたの永遠は、すぐそこで止まってる。

「アイ先生、みみちゃんが!」

 少年が指差す方向を見ると、鉄棒の下で少女がうずくまっている。
 見渡しても担任の彼はいない。とにかく保健室だ。
「おいで。立てる?」首を振る少女に、昔の自分が重なる。
「じゃあ、背中に乗って」
 あったかい背中。すがりつく小さな手。守りたくなる存在。
 私も彼にとっては、そうだっただろうか。あの出会った日からずっと。

 職員室であの人が報告していた。花束をもらって嬉しそうに、結婚の報告を。
 相手はナオじゃない人。じゃあ、どうして一緒にいたの? 何度も何度も見かけたよ。

「あの先生、結婚するんだね」
「ああ、なかなか相手が本気になってくれないって相談受けてたんだ。彼女の結婚相手、俺と大学の同期だから」

 そうなんだ。だから会っていた。それだけだったの? あなたの目をのぞきこむ。目の色では判断がつかないけど、祝福しているのかな。

「一見、何の変哲もない飛行機なんですけどね」
「せんせー、ヘンテツって何ですかー」
「ヘンコツかなぁ?」
「どこにでもある、という意味ですよ。これにね、左右の翼の折り方を少し工夫するだけでいいんです」

 みんなが魔法使いの講義を聴くみたいに、嬉しそうに集まる。

「そうそう、あとはちょっとしたコツなんだよね。飛ばし方なんだ。腕をこうひねってね」
 あれからずっと紙飛行機ブームが続いてる。みんな時間があれば飛ばしている。どんどん上手になっていくね。こどもの習得力は侮れないな。

「お世話になりました。みんなありがとう」
 お手紙をくれる子がいたり、クラス全員で合唱して送り出してくれると、大人だって泣けてきちゃうのだ。あっと言う間のひと月だったね。

 ありがとう。やっと決心がついたよ。私は、折り方を変える。

 本当にすきな人なら、信じようと思う。戻ってくる飛行機のように。
 たとえ裏切られても、自分のきもちを最大限に託してみよう。
 もう、中途半端な落ち方をするものは、私の人生にはいらないんだ。

 アイをもう一度愛に変えられるように、ちゃんと歩いていく。相手のアイではなく、自分の愛で。

 実習の最後の日、校庭がブーメラン飛行機でいっぱいになった。

 昼休みの校庭を三階の教室から眺めていた私は、思わずその光景ごと抱きしめたくなってしまった。
 私が準備した、色彩り彩りのパステルカラーで折られた飛行機たち。私の世界にも色が戻ってくる。
 
 彼がそっと横に立つ。私の方を向いて、はじめてこう言った。
「アイしてる」

 その言葉は、私の中に帰着して、私の氷をとかしていく。
 アイスから、アイしてるに変換。今を生きていく言葉。

 アイしてるが「愛してる」に、あったまっていく。

 そして、私も、尚の目を見て、はじめて伝える。
「あなたを誰よりも愛しています」





Writone 朗読Vもお聴き下さると嬉しいです。♡♡



いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。