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最近のこと(ニンジンのサラダ/ふげん社)

今日は何について書きましょうか。
ついには、普段書いている日記から文字を引っ張ってきてしまった。4,000字は、お前の勝手な目標であって、それを別に叶える必要はないんだよなと思っている。あくまでメインは続けることで、4,000字はサブクエストだ。読んでもらいたいなら、短くてマッチョな文章の方がいいんじゃないかとも思うが、それが書きたくて書いているわけではない、みたいないやなプライドがぼくにはある。

結果、最近の報告を、長々書いている。読んでくれるとぼくがうれしい。

 


・ニンジンのサラダ

最近、ニンジンのサラダを気に入ってよく食べている。(カバー画像はiPhoneで撮ったものだが、変換したら変にずれてしまった)
サラダといってもそんな大仰なものではなくて、ニンジンをピーラーで細くして、塩振って、オリーブオイルとミツカン酢をかけたもの。
5分くらいかからずに作れる気がするし、明らかに野菜を取っている感じが、味からして気に入っている。し、おいしい。

昔から野菜は好きなのに太っている変な人間だったので、今でも野菜は好きなままである。けれども、人間は一人で生きていくように設計されていないので(特に、現代社会では?)、野菜をたくさん買っておくことは難しい。いや、これは明らかに言い訳ではある。
野菜には、冷凍できるものがたくさんあるし、むしろ冷凍することによって処理が楽になるものも多いことは知っている。なので、これはぼくがひたすらに怠惰なだけなのである。

 

まぁ、そんなことはいいんだ。ニンジンのサラダは革命的だ。
生野菜を食べたいとき、野菜ボキャブラリーが少ないぼくは、基本的に葉物野菜しか思いつかなかった。つまり、レタスやキャベツ、せいぜいがベビーリーフ。
そこに、根菜であるニンジン様の登場。興奮したね。なんたって、たぶんそこそこ期限が長い。野菜室にそのまま入れて、食べたくなったら軽く洗って、ピーラーでボウルに向かって剥き続けるだけ。これは簡単だ…

スーパーに毎日行くことは正直しんどいので、ニンジンみたいに長いこと生き残ってくれるやつは頼もしい相棒になりえる。

 

こんな感じで、食生活については、ときどき相棒になりえるやつが偶然によって現れて、そいつがぼくの人生にかかわってくるようになる。
大学生の頃の豚キムチが代表的なやつ。あいつはすごいね。なんたって、冷凍した豚のコマ肉と、普段おいているキムチのその2つだけで完成し得る。ちょっとえぐい。

 

生活は、ちょっと難しくて、自分一人だとあんまり成立しないことのほうが多い。いや、みんなうまくやっているのかもしれない。怖い。隣人の生活が、仲が良い人間の生活が、ぼくには何もリアルに感じられない。

あなたはなにを食べて、なにに時間を使って、なにを楽しいと思って生きているのか。そんなことは、テキストで話されても別にぼくには響かない。ぼくは、自分の実家の家族の生活しか知らず、自分の生活しか知らない。
ぼくにとってはニンジンのサラダは革命的出来事であったが、あなたにとっては実家から始まっている伝統で、何のことはないのかもしれない。

ぼくは、人の当たり前を知りたい。自分のアタリマエが大きくずれていないことを、実感したい。そのために、あなたの生活を覗かなくちゃいけない。でも、そんなことは現実的に起きにくい。うん、たぶん、「自分のアタリマエが、みんなアタリマエからはみ出していなくてもよい」ことを理解しなけりゃならないと思う。

別にいいんだよな。ニンジンのサラダが革命的かどうかと、ぼくが他の人と感情や意図を交換できないこととは何も関係がない。理屈の上ではわかる。感情的に、直感的に、まるでニンジンのサラダを導入して驚いて実感できたかのように、このことを理解できるようになりたい。

そう思いました。

・ふげん社に行って①金川さんの個展への感想(日記から引用+加筆)

金川晋吾さんの個展(『ハイムシナジー』)を観に行った。写真のことでわかることは本当に少ないんだが、真剣さとか、生活への愛とか、ぼくの知らない関係性(名前をつけられないもの)の本気さ(なんでいうんだろうな、真摯さ…?)が感じられた。ポートレートっていうのはいいね。人と人の中で生きていくことが真剣だってことだよな、と思う。鞘を当て合う人間たち。

金川さんについては、文章が好き。で、それは文章が好きというよりも、金川さん自身の態度、真剣さが好きなんだと思う。本当に自分の言いたいことを、彫刻的に彫り出そうとしている感じ。好き。

ポリアモリーについて、ぼくは語りえる言葉を何にも持っていないんだけれども、というか、自分含めて、性的な部分について語りえる言葉を持ち合わせていない。
たぶん、ヘテロで、自認は男性。なんだけど、女性的な髪形(と一般的に、というか僕が思っている髪形)をしたいと思うし、金川さんが着てらっしゃるようなスカートを履きたいとも思う。
それは、女性になりたい、とは別の感情で、ぼくにとって美しいものになりたいと思ったとき、男性的な美しさと女性的な美しさがあり、そのどっちもにも到達したい、というあくまで強欲な希望によるものだと思う。

性的な部分について、あるいは恋人関係について語れないのは、中学生の頃からそうだった。
いやむしろ、今考えたら、中学生の頃からそこについて語りえる、ということ自体があんまり信じられない(いや、多少はもちろん話していたが)。
一番多感な時期で、自分をどう位置付けていいかわからなかった。
それからも、ずっと自分を位置づけられていない。

性愛・友愛に関係なく、人に近づこうと思えたとき、ぼくはひたすらに依存的になりえるし、ぼくは依存が嫌いだ。自立していたいと思うし、寄りかかっているときの自分が恥ずかしいものに思えてくる。
そうなってくると、近づくこと自体がまず難しいし、近づいた結果を誰かに話すなんて言うのも、自分の恥部をさらしていることになるから、それもできなかった。
結局、ぼくの中にある一番強い感情=恥を克服できることが一切できていない、ってことなんだと思う。うーん、克服すべきとも思うが、恥をなくしたら人間終わりだよ、というぜロヒャクでしか考えられないバカの悪魔がぼくを押しとどめている。

上で書いたような、自己矛盾のモニャモニャについて、金川さんも別種のモニャモニャを抱えているはず、と思う。しかし、彼はそれを丁寧に、丁寧に踏み越えている。踏み越える、が適切なのか、はわからない。
線があって、それを踏み越えている、というよりは、足元に張られたロープが自分にとって妥当なのか、を真摯に問うていて、その結果、そのロープを、ほかの部分に自分のいやな影響がないようにゆっくり撤去しているように思う。

そのしぐさが、その文章が、ひたすらに良くて、うらやましく思う。このように、真剣に生きていきたい。


・ふげん社に行って②ふげん社1階への感想(日記から引用+加筆)

ふげん社という建物(?)の1階が、ブックカフェ的なものになっていて、壁一面に本が並んでいた。読書とか、建築とか美術とかが比較的多い感じだったが、それでも幅広いものが多く置かれていた。
ぼくは、ちょっと読めそうな本、気になったものを、「どれをいつか買おうかな」と思いながらつまみ読んでいた。下記はその感想。
(三宅香帆さんの書評(大学院生自体のもの?)やら、横尾忠則さんの自伝やら、菅啓次郎さんの旅行記やら、桑田佳祐の歌詩本、雨宮まみさんの『東京を生きる』やらをつまみ読んだ。本当に、10ページくらいずつ)

悔しくなるくらい本が読めない。しょうもない人間なんじゃないかと思う。なにも話せない。何も書ける気がしないから。
なにかを書いているとき、常に、どこかの名文が時々チラつき、自分の稚拙さ、浅薄さに怯える。
今も、浅薄さを使ってみたものの、iPhoneの予測変換はかなり正直で、求めていない船ばかりが顔を出す。
身の丈に合わない言葉を振りかざしても、何も話していないのと同じで、お前の言いたいことはなんだ、とぼくの中の門番が低い声で言う。
何も責められていないのに、ぼくは怯え、そこの地面で文字を書く。門番が読んでくれる日を待ちながら、足が痺れ、いつか倒れる。
しょうもない。門の外に行きたいだけだったのに、ぼくは門番の威厳に押されて終えるのだ。なにかを。人生とは言わない。言いたくないから。

結局、何かの虫にも、何かを愛するものにもなれないんだよなあと思う。
情熱を傾けたものは特になくて、で、なんでそんなことを言えるのかについては無自覚的である。
何かを愛しているかいないか、は自分の中の心情の話なだけであって、ぼくがこのように書くことによって、それによってのみぼくは何も愛していないことになる。やってられない。

これらの本を全部読むことは、当然にぼくにはできない。
じゃあ、あなたはなにに時間を使って、つまりなにを大事にして生きていくんですか?あなたの感動はどこにあるんですか?あなたの真剣は?あなたの憎悪は?悲しみは?
ここで答えが出るはずもない問いに対しては仮でもいいから答えを出して、とりあえず生きていきましょうね。


美しくあることが期待されている場所では、真剣に美しくありたいなと思う。
ふげん社の建物自体は本当に品が良くて、ここを作った人も、ここを整えている人々も真剣なんだろうなと思った。

2階では、展示もやっていつつ、社員さん(?)が4人くらいで会議をしていて、その声色の真剣さに、ちょっと居住まいを正していた。かれらは、面白いものを作ろうとしていて、それについて話し合っていることは、本当にうらやましいことだな、と思った。

さいごに

どういう風にこのnoteを続けていいものか、よくわからない。毎日書いているからなんだってんだ、とも思うけれども、少なくともぼくにできることがそんなに多くない現状では、ひたすらに書くしかないんだよなぁとも思っている。
気長にお付き合いいただけると幸いです。またね~~~。


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