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稲葉さんはこの曲をきっと私のため書いた。と本気で勘違いしてる曲

2011年にリリースされた通算18枚目のアルバム
B'z【 C'mon 】に収録された曲のうちのひとつ

「ザ・マイスター」

タイトルにも書いたけど、この曲で私はめちゃくちゃイタい勘違いをしている。
稲葉さんはこの曲の歌詞をもしかしたらこっそり私に書いてくれたのかもしれない…
というくるくるパーな勘違い。
でもなぜそんな勘違いをしているのかは書いていったらわかってもらえるかなと思うので、さっそく書いていこうと思います。



まずこの歌詞に出てくるのが「マイスター」

しかしこのマイスターが主体の歌ではなくて、主体はあくまでも稲葉さん。
稲葉さんがマイスターに、泣き言いうな!ほら頑張れっ!
って励まし鼓舞し元気づけてくれる応援歌であると捉えています。


まずこの曲についてあれこれ言うにあたって
マイスターとは何かについてきちんと把握しておかなければと思い一応調べておきました。

マイスターとは
ドイツ語で「職人・名人・主人・巨匠」の意味とされるようです。
私の勝手なイメージかもしれませんが、マイスターと聞いて思い浮かべるのは
ワインのマイスターといったようななんか専門みたいな人?
あれ?もうくるくるパー?

だけどこの歌詞に出てくるマイスターとは
物質的なもの、または物質的でないもの全部含めた
「何か技術を極める人」
と私は解釈しています。

陶器や絵画といった物質的に目に見える技術を極めることもそうだし
稲葉さんだったら歌詞を書くという言葉を極めることになるだろうし
私だったらタロットのリーディングや人生哲学といった知識を極めることになる


そういった広い範囲でのあらゆる技術を極める人すべてを含む(と解釈する)


前置きがどんどん長くなってる気がするが、
私はまずこの歌詞の出だしでもう呼び止められたような気になった。


鼻息荒く 始めたAction
気がつけばまたやめて
ムキかフムキか いつものQuestion
考えすぎて泥の沼


ここでもう
え?稲葉さん呼んだ?
ってなった。なぜならこれまでの私ってずっとこれできてたから。


これだ!と思っていろんなことに飛びついてきた。飛びつく時はもうそれこそ本当に鼻息荒く興奮状態。
だけどしばらくしてちょっと飽きが入ってきた頃に始まるんですよ、自問自答が。


これってほんまに私にムイてるんやろうか…
これってほんまに私の天職?やりたいこと?


あーだこーだグダグダ考えて、考えすぎて泥沼に落ちる。
お恥ずかしい話、正直なところほんと言うとつい最近まで悩んでた。

私って本当にこのタロットを使った仕事、
カウンセリングの仕事がムイてるんだろうか…と。

なんとも情けない、恥ずかしい話だと我ながら思ってしまう。
だけどそんな時に稲葉さんは言うんです。

アップアップアップしても もうちょいねばれ
始めたなら本気だせ
ヒィヒィヒィ言いながら 繰り返せ
そうだ、オレはマイスターって信じながら


か、書いてるだけで涙出てくるーー…。


以前から言ってることなのだけど、私はこの「書く」「可視化する」っていう行為は本当に自分の実際の体験として体に刻みつける行為だと思っていて、Twitterとかあちこちで書いていて…。でもちょっと実は違ってたらどうしようという不安もあったのだけど、今こうやって書いていてやっぱり間違っていなかったと確信した。

書いててめちゃくちゃ体に刻み込まれて涙が止まらなくなってきたんやもん。


話が脱線したので本線に戻します。

それでいつも途中でグダグダ考え出したり挙句には放棄してしまったり、自分はなんでいつもこんななのだろうとさらに悩んでいると


己の完成形 見えてこない
迷子みたいなものさ


そう言われてやっと気づけた。そうだったんだ。
私はずっと自分がなりたい姿、目指す姿といった
"己の完成形"が見えなくて、ずっと迷子でいたんだ。


スピリチュアルの世界に携わっているとよく見聞きする、
自分のなりたい姿をイメージすることが大切だという言葉。
どれほど強くその姿をイメージし、その自分を心から信じられるか。
それが重要。

意味はわかる。理屈もわかる。
だけど私にはどうしても、その最終自分がどうありたいかのイメージというものがなかなか掴めず、だからこそずっとActionとQuestionの繰り返しで、
その無限ループから抜け出せず、迷子になっていたのだ。

だけどそんな私に考えさせる間もなく稲葉さんはこう言う。


鉄を打つなら打ち続けろ
汗にまみれ垢にまみれて
たやすく涙を見せるのはもうナシ


鉄を打つなら打ち続けろ…


皿作るなら皿作り続けろ
絵描くなら絵描き続けろ
歌歌うなら歌い続けろ
タロット読むなら読み続けろ


アップアップアップしても もうちょいねばれ
ワザがものになる日まで
ヒィヒィヒィ言いながらも笑え
そうだ、オレはマイスターって誓いながら


ちょっとかじっただけでうまくいかないからと、
ワザがものになる前からもうへこたれて諦めて。
職人ってそういうもんじゃないやろと。
アップアップしながらも粘り強く、ワザを極めるべく、
笑いながらとにかく続けろ!
ワザはその向こうにあるんだ!

そうお尻を叩かれた(気がした)


そして最後のこのフレーズ


誰とも比べさせるな
誰からも学びまくれ
ワザこそ世界を救う
そうだ、オレはマイスターって信じながら


誰とも比べさせるな


比べさせるな? 
誰が?誰と?ここへきてもう1人登場?
となるところだがここからは私のワザの見せ所。

稲葉さんは
私以外の誰かが、私と私ではない他人とを比べさせるな。
そいつにそんな意地の悪いことをさせないようにと注意喚起しているのではなく、
あくまでも私のことを私に言ってる。

なぞなぞみたいになってしまったけど。


人間とは基本的に「他人と比べる」という性質を持つものである。
育ってきた環境や教育による刷り込みといったものにより、比較の大小といった差はあるのだろうけど、なんにせよ基本的には誰かと比べるという行為をする。

他人と比較し、それが自分のモチベーションアップややる気に繋がることであれば、問題にはならないのだろうけど、大体はその逆。
だいたい比べる対象はは往々にして自分よりもデキる人、うまくいってる人、輝いてる人。
そんな輝いてる誰かと自分を比べ、己のダメな部分を見つけ出し、
目の当たりにし自分を蔑み貶める材料にする。

そんなことを幼い頃から無意識のうちにやっている。

その比べるという行為をしているのは自分であるのは間違いないのだけれど、厳密にいうとその行為を行なっているのはもうひとりの自分であり、エゴと呼ばれるものである。

自分の中のもう1人の自分。
そのエゴと呼ばれるものが他人と自分を比較するのだ。


なので稲葉さんはつまり、
私の中のエゴである私が誰かと比べるようなことをしないように、注意喚起してくれているということになる。


イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルも
「他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である」
という言葉を残している。

それほどまでに他者との比較というものは極めてくだらない行為であるということだ。
なぜなら輝いてる誰かと自分を比べ、己のダメな部分を見つけ出し、
目の当たりにし自分を蔑み貶めるからに他ならない。
それは己の価値を下げるだけのただただ無駄な行為であるということだ。

だからそうではなく、
つまり誰かと比べて自分を落とし、モチベを下げたりすんじゃなく、
誰からも学んで学んで学びまくる。うまくいってる奴を羨むヒマがあったら、そいつのワザを全部盗むくらいの前向きな姿勢であれ。

と稲葉さんは私に助言してくれているのです。


しらんけど。← いちばん言うたらあかん



最後ちょっとなぞなぞみたいな部分があるものの
この曲の歌詞には全体的に難しい比喩などはなく、わかりやすい歌詞でのどストレートな応援歌だと思う。
だからこそこの曲は真正面から私の感情を揺さぶり心に突き刺さった。

稲葉さんはきっと私のことをどこかで知っていて、だからそんな私のためにこの歌詞を書いてくれたのだと完全に信じてしまうほど私に刺さった。

客観的に見ると「は?」レベルのくるくるパーな思い違いでしかないけれど、そう信じていることが私にとっては幸せなことなのでもうそういうことにする。
誰にどう思われようと自分の頭の中は自由だからそれでいいんだと開き直って、くるくるパーな幸せに浸っておくことにする。


「ザ・マイスター」というこの曲を私の一生の応援歌として

いつかワザを極めたその向こう側で
そのワザを駆使して世界の誰かを救うべく
誰とも比べずアップアップしてヒィヒィ言いながらも
しつこくねばってワザ磨きに励みたい
だってオレはマイスターだと信じてるから!


ということでこの記事は
私のB'z愛、稲葉愛をただただ書き殴っただけの記事。


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