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レジに通した会員カード。名前の欄にあったのは、初恋の人の名前だった。

足が速くて、面白くて、
サッカーが上手で、ものまねが得意で、
勉強はちょっと苦手だけど自信満々に手を上げて、
怒った先生を笑わせて、クラスみんなを笑わせて、
誰に対しても優しくて。

そういう男子に、誰だって恋したことがあると思うんです。
私が小学生のときに好きだったTくんも、そんな男子でした。

もう「男子」という響きすら眩しい歳になってしまいましたが、それでもいつまでも、記憶の中のTくんは、校庭でサッカーボールを追いかけていて、いつでも半ズボンです。
陽の光に透けて茶色く見える髪も、真っ黒に日焼けした肌も、授業中に冗談を言う声も、ニカッて感じの笑い方も、
全部、
女子が恋をせずにはいられない「男子」そのもの。
女子はみんな、Tくんのお嫁さんになりたいと、小さな体と心の全部で思っていたのです。

◇◇◇◇◇

友達が家に遊びに来ると、外に行くでもなく、おもちゃで遊ぶでもなく、ただただおしゃべりだけに夢中。小学生でも大人でも、考えてみれば今とやってることは変わりません。
しゃべり過ぎて頭がクラクラしてきた頃になると、決まって秘密めいた話をする流れになります。

そうもちろん、好きな男子の実名告白合戦です。

「私はSくん」
「えー、私はJくんかな」

友達二人が秘密を打ち明けて、まわってきた私の番。

「私は・・・・・・Kくんだよ」

頬を真っ赤にして三人で顔を見合わせて、
「別の人でよかったね」
と言い合いました。
だけど三人とも、言わなかったけどわかってました。
バレバレです。本命は全員Tくんだって。
7歳なりに気を遣っていたのです。

空気を読みつつも盛り上がって、どんなデートが理想だろうかと話が飛躍。
7歳の私は、

“好きな人と並んで歩けばそれはデート”

だと思っていましたが、
友達は、映画に行くだとか公園でお弁当を食べるだとか具体的な例を出し、感心したのを覚えています。


Tくんを好きなまま5年生になった私は、席替えのたびにTくんの近くの席になるというミラクルを連発していました。
スーパーミラクルラッキーガールの様相を呈していた当時の私でしたが、決して「隣の席」にはならないあたり、根っこの運のなさがキラリと光ります。

ある日、家庭科の調理実習について先生から嬉しい発表が。
班ごとにメニューを決めて、材料の買い出しにも自分たちで行きましょうと言うのです。
私はTくんと同じ班でした。
あのときほど、先生の気まぐれで行われる席替えがありませんようにと願ったことはありません。
スーパーミラクルラッキーガールの運がいつ尽きるやもしれない、
調理実習というビッグイベントを前に突然、Tくんのティの字もない班へと放り込まれる可能性は充分にありましたから。

席替えがないまま、無事に調理実習を翌日に控え、楽しい楽しい買い出しの日が来ました。
学校から帰って母に調理実習の買い物に行くと告げ、
「なに作るの?」の問いに
「おしるこ」と答え、
「は!?なんでおしるこ!?」
と不思議がられているときにも、私の体は緊張と高揚で張り裂けそうでした。

近所のスーパー、入口付近で班のメンバー5人が集まりました。
Tくんはなぜかサッカーボールを持ってきていて、私は少し寂しくなりました。
買い物が終わったら、早々にサッカーをしに帰ってしまうのだろうか、と。

そんな私の気持ちも知らず、皆、おしるこの材料について興奮気味に語っています。
餅ではなく白玉粉でやろうという妙案がJくんから飛び出し、全員がそれに賛成しました。
当時人気だった給食のメニューに「白玉入りけんちん汁」があり、
そこから着想を得てのJくんの発言は皆に賞賛と尊敬をもって受け入れられたのです。
だけど翌日の調理実習本番でJくんが、服やらなんやらの繊維がこびりついた絆創膏をしたままの手で白玉粉をこねようとし、Rちゃんに本気で説教をされることになるとは、班のメンバーの誰が予想できたでしょうか。

いざ、食料品売場へと向かう一行の目に、入口付近、椅子とテーブルが並べられた雑然としたスペースで、誰かの忘れ物のようにポツンと佇んでいるプリント倶楽部が飛び込んできました。
派手なピンク色のカーテンに、雪だるま(のような何か)が角のついた被り物をしている謎のキャラクター。

「記念にとりたい!」

私は猛烈に思いました。
すると、Rちゃんが私の気持ちを代弁するかのように言ってくれました。

「記念にとろうよ」

なんの記念なのかはわかりませんが、5人が小さなカーテンの中に無理矢理おさまり、騒ぎながら撮影を終えました。

当時のプリクラは、今のように全身を写せるような代物ではありません。
写りがいいものを後で選ぶこともできません。一発勝負です。
5人で撮ったプリクラは、顔がぎゅうぎゅうに詰まった「顔!」状態でしたが、5人がうまく譲り合い、また「だからなんの?」と言われようが記念は記念、上手に撮りたいという気持ちが天に通じたのか、全員がバランス良く均等に写っており、みんな総じてベストな笑顔という素敵な出来上がりでした。

金額は300円。5人で割って1人60円。
代表して300円を機械に投入してくれたRちゃんに60円ずつを支払い、やっと食品売場へと歩き始めたそのときでした。

「これ持ってて」

Tくんが、サッカーボールを私に差し出したのです。
財布を取り出すためだったのでしょう。私にボールを渡したTくんは、ウエストポーチから財布を取り出し、真っ黒に日焼けした手で60円を数えていました。

腕の中のボールは傷だらけで、土がついていて、
ただのボールなのになんでだろう、私は泣きそうになっていました。

「なんでボール持ってきたの」

泣きそうなのと、緊張で吐きそうなのを隠そうと、
私はわざと、少し呆れたように、ぶっきらぼうに訊きました。

「オレの宝物だもん」

だけど、こっちをまっすぐに見てそう答えるTくんはやっぱりカッコよくて、大好きで大好きで大好きでした。

先に行ってしまった皆を追いかけるでもなく、食品売場へと続く道を、私とTくんは並んでゆっくり歩きました。
返すタイミングがわからず、Tくんの「宝物」を胸に抱いたまま。

「オレ、将来はサッカー選手になるよ」

Tくんが唐突に言って、ニカッと笑ってこちらを見ます。

そんなこと、とっくの昔から知ってる。
私だけじゃなく、Tくんを好きな女子はみんな知ってる。
そう思いながら、細心の注意を払って「ふーん」とだけ返事をして、私は永遠に続いて欲しいとも思える十数メートルを歩いたのです。

◇◇◇◇◇

30歳になった頃、職場の本屋でレジを打っていると、同世代くらいの感じの良い女性がレジにやって来ました。
主婦が読む雑誌や子ども用の絵本を数冊レジに通し、彼女が出した会員カードを読み込みます。

「会員様情報」の欄、レジ画面に映っていたのはTくんの名前でした。

15年以上ぶりに見る、珍しい名字。
間違いなくTくんです。

地元で公務員をやっていると、風の噂で聞いていました。
結婚したかどうかは知らなかったけれど、目の前にいるかわいらしい女性がTくんの奥さんだとすんなり理解していることに、
「ああ30歳なのだな」
と、なぜか自分の年齢が唐突に刺さりました。

「ありがとう」
Tくんの奥さんは言って、私も普通に頭を下げて、
その後も数時間普通に仕事をして、
初恋の人の奥さんを見たことなんて特に誰に言うこともなく(noteではつぶやきましたが)、溶けるような日常です。

あの頃、Tくんを好きだった女子も、私も、30歳になって、
Tくんはあの頃には知らなかった人と結婚して30歳になっている。
そう考えると当たり前はなんて不思議。

Tくんを好きだという気持ちは、今はもちろんありません。
だけど、昨日からの続きみたいに思い出せる記憶の中にいるあの男子は、眩しいくらいにカッコいいのです。
そして、その人を好きだった、

“並んで歩くだけでそれはまるでデート”

そう、まっすぐに思えたいつかの私も、やっぱりどうしても眩しいのです。

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