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相手のことはいい。自分がいいと思ったことをすればいいんだ。

毎度のことですが、価値観が正反対の夫が放った迷言。
私が相手の都合を気にし過ぎる、みたいなことを言われ、
続けて冒頭のように言われた。
「相手がどう思おうと、自分がいいと思ったことを相手にしてあげればいい。」という意味。

言ってることはわかるんだけど、なんかすっきりしない。
ここから例によって、私の中で禅問答が始まる。

世間では「相手の気持ちになって」とか言いますよね。
「相手がどう思おうと」というのは、「相手の気持ちにならなくていい」ということ?

夫がこの迷言を実践している場面を目の当たりにしたのが、
夫の親戚(本家のおじさん)が入院し、手術をすることになった時。
手術当日、夫に言われるまま、というか、私が行かないという選択肢はなく、私も病院へついて行った。

手術が始まる1時間ほど前に病院へ着くと、
小さな個室に15人はいたかなあ、親戚が詰めかけていた。
「大変だったなあ。」とか口々におじさんへ声をかける親戚たち。
やがておじさんは車椅子に乗り、いよいよ手術室へ。
親戚一同、その後をぞろぞろと続き、手術室の自動ドアが開くと、
「頑張って!」「頑張るのよ!」と手を振る。なんなん?!出征兵士か?!

私が住んでいる所は、本家とか、株内(親戚じゃないけど隣近所の集団)とか、講(株内が集まって、なんか話し合う?)とかの仕組みがいまだに残っているような地域。
かと言って、山間の過疎地というわけではない。
昔から続く家と新興住宅地が混ざり合っていて、私たちは新興住宅地に家を建てたのだが、近くにある夫の実家は昔からの家だし、親戚一同も近隣の地域に昔から住む人たち。

こういう地方では、親戚に何かあると、「とにかく取る物もとりあえず駆け付けた。」という姿勢を見せることが大切なのだ。相手が病気でぐったりしていても。もう、その様子は下手なコントより笑える。

私はサラリーマンの家で育ち、子どもの頃、この土地に転勤してきた。
教えられたわけではないが、知り合いが入院してお見舞に行く時は、
相手の体調が落ち着いてからにしようと考える。
相手が女性なら、お化粧もしていないパジャマ姿はあまり見られたくないはず。私は自分がベッドでぐったりしている姿は人には見せたくない。

お見舞に行くという夫に私の考えなど言おうものなら夫は「会社の上司」に変身するので、私は何も言わない。黙ってついて行く。
友人のお見舞に行く時に、「入院している女性は、やつれた顔で人に会いたくないものよ。」とさりげなく言ったことはある。

しかし、夫は違う。とにかく、
「相手がどう思おうと、自分がいいと思ったことを相手にしてあげればいい。」というわけだ。

この考え方は、夫が育ったような地方では当たり前なのかもしれない。
夫と同じような環境で育った奥さんなら何の疑問も持たないのだろう。
夫がおかしいのでも、私がおかしいのでもない。
考え方が違う、というだけなのだ。



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