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小さな古い引き出し

またまた昔のお話。
二十歳過ぎの頃、古道具屋さんで小さな引き出しを買った。なぜか、『これは私が連れて帰らねば!』と運命を感じた。古い木製の赤、青、黄の三段の小引き出し。意外と重くて、電車の中をよいしょよいしょと両手で抱き抱えて実家の自分の部屋に持ち帰った。
 部屋のすみに置くと、小さなおばあちゃんが来た!みたいな、たまらない佇まいにときめいた。それから数年、仕事がうまくいかない日、自分に自信がない日を引き出しはそばで見てくれていた。
 それからしばらくして、環境を変えたくて、自分が変わりたくて一人暮らしをすることに決めた。
早めに新居に運ぶべきものは(生活用品や仕事のもの)山ほどあったはずなのに、なぜかその引き出しだけを抱えて電車で新しい部屋にむかった。とんちんかんだけど、あのときのなんだか誇らしい気持ちは一生忘れないと思う。
 それから三年間、一人だけの小さなアパートでやっぱり古い引き出しはいつもそばにあった。何を入れるわけでもないけど、ずっとずっと一緒に育ってきたような錯覚に陥るかわいい古い引き出しは本当に部屋と、自分に馴染んでいた。在るだけで安心できるものだった。あんまりきれいじゃない、ざらざらとした手触りもとても好きだった。
 
次の引っ越しは結婚のためだった。なぜかその引き出しは連れていかなかった。あんなに好きだったのに。その時はいきなり、『好みの変化』『スッキリ暮らしたいし』くらいの気持ちであっさり捨てた。
急に引き出しをただのモノにしてしまった。
時が経って、あの引き出しのことを思い出してちょっと泣けてくる。自分がすごく幼くて自分勝手に思えてくる。きっとみっともない自分を知ってる存在とオサラバしたかったんだと思う。今でも私にはそういうところが多分ある。
ごめんね、と思う。
 最近少しずつ、いくら色んなものとさよならをしても、情けない自分しかいないことがわかってきた。

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