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『マイパブリックとグランドレベルー今日からはじめるまちづくり』田中元子|読書記録02

読書記録、2冊目。
田中元子(2017)による
『マイパブリックとグランドレベルー今日からはじまるまちづくり』。

読まなきゃな、と思いながら、読めていなかった本。



『マイパブリックとグランドレベルー今日からはじめるまちづくり』

まちづくりは1階づくりから

田中元子さんはマイパブリックという概念を提唱している。
マイパブリックとは、”自分で作る公共”のことである。

そもそも行政と市民の関係が成熟していない日本だからこそ、あればいいなと思う公共は、自分で勝手に作ればいいのだ。馬鹿げた考えに聞こえるかも知れない。けれど、わたしは自分で自家製公共づくりを実践して、また他のひとがつくる公共に触れて、これまで公共というものを一手に担うかのように思われていた行政がつくるそれより、自前でつくるもののほうがはるかに軽やかで柔軟で、そして今すぐにでもできるものがあることを、思い知った。

そして、田中元子さんはそのマイパブリックをつくるために、
キーとなるのが、1階だと述べている。

4階に事務所を借りて、自前でバーをつくりはじめた田中元子さん。
自分の周りの人が集まってきて、楽しく振る舞う中で、
もっとひらいていこうと、試行錯誤する。
そこで、フリーコーヒーという屋台をはじめた。

屋台の視点から、1階をいかにデザインするかが大事であることに気づいていった。
海外では多くの国で、1階のデザインに関する規定があるそうだ。
それによって、まちの風景、まちで生まれる関係性がデザインされている。
しかし、日本ではそういった規定がなく、皆閉じているのだ。

そこで、田中元子さんは1階からまちをデザインすることを提唱している。
「グランドレベル」がまちの価値につながっていくのだ。

お金のやりとりがない関係性

公共を自らやりだしたら、それはただの事業ではないか。
田中元子さんは、公共として、お金のやりとりがない関係性を大切にしている。
フリーコーヒーは田中元子さんにとって趣味だった。何か見返りがあることを期待しない関係性だ。

わたしは自分の好きなことを誰かとしているだけで、既に十分なのだ。

見返りを求めたり、贈り合ったりするのではなくて、ただ与えることを楽しんで、他者に対してやっているだけなのだ。

まちをデザインするという視点

まちとはすでにそこにあるもので、それをいかに変化させるか、
といった視点を私は最近まで持っていなかった。

でも、改めて見ると、
そこにある建築も、歩道も、柵も、花壇も、だれかの手によって、
何からの意図を持って、つくられた、おかれたものに違いない。
それをつくった人が、何をどのように見て、どうしたのか、
を知ることはできない。

ただ、今あるものを見て、それをいかに変化させるか、デザインするかを考えることが求められているのだと思った。

「わたし」からまちをデザインする

まちは今までの積み重ね。
そして、わたしは今を生きている以上、そのまちをデザインする一員であることを思い知らされた。
わたしは今日もまちへ出て、まちのなかで生きている。
「こんなまちになってほしい」はわたしからつくっていくんだ。

与えることの過程に価値がある

パブリックであること、お金のやりとりによって関係性が定められないことも、ひとつ大事なことだった。

何かを与えてもらうと、「返さなきゃ」といつも思う。
だから、なるべく何も与えられたくない、と思っていたりする。
でも、だれかが困っていたり、だれかのwillに触れたりしたら、ついつい手をかしたくなってしまう。応援したくなってしまう。

実は与えるということは、贈ることと受け取ることの両方を含んでいるのではないか。与えること、それ自体が喜びなのだ。
そんなことが当たり前になったら、私たちはもっとハッピーになれるのではないか。
何かをもらうときも「返さなきゃ」ではなくて、純粋に喜ぶ、それを表現することこそが豊かなことなんだ、と。
何も返してもらうことはなくていいというコミュニケーションすらなく、お節介で何かを与えられる。
そんなことができるようになるだろう。

こころが乏しく見えるあの人もきっと与えることの喜びを知りたいだけなのかもしれない。

「わたし」からパブリックをグランドレベルへつくっていく、
を学んだ本だった。

*参考までに
『マイパブリックとグランドレベルー今日からはじめるまちづくり』


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