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第二章 「アイドル」の営業戦略

こんばんは。Susanです。

宣告した通り、毎日一章ずつ卒論の内容を載せていくコーナーです。前置きは毎回していると大変なので、このシリーズでは割愛することにします。

この期間は、本文だけを分割して載せて行きますので、ぜひお時間ある方はお付き合いくださいませ。

それでは、本日は 第二章 「アイドル」の営業戦略 です!

第二章 「アイドル」の営業戦略


 本章では、「アイドル」の営業戦略について物語消費の説明とともに述べる。第一節では、まず「物語消費」とは一体何かを説明する。第二節では、何故消費には「物語」が求められるのかについて述べる。第三節では、物語マーケティングと「アイドル」の関係性を述べる。

第一節 物語消費とは


第一節では、「物語消費」について説明する。物語を消費するということについて大塚は、「ビックリマンチョコレート」を例に以下のように述べている。

①シールには一枚につき一人のキャラクターが描かれ、その裏面には表に描かれたキャラクターについての「悪魔界のうわさ」と題される短い情報が記入されている。
②この情報が一つでは単なるノイズでしかないが、いくつかを組み合わせると、漠然とした〈小さな物語〉――キャラクターAとBの抗争、CとDに対する裏切りといった類の――が見えてくる。
③予想だにしなかった〈物語〉の出現をきっかけに子供たちのコレクションは加速する。
④さらに、これらの〈小さな物語〉を積分していくと、神話叙事詩を連想させる〈大きな物語〉が出現する。
⑤消費者である子供たちは、この〈大きな物語〉に魅了され、チョコレートを買い続けることで、これにさらにアクセスしようとする。
「ビックリマン」が描き出した〈大きな物語〉の具体的な内容に関しては―――〈中略〉―――消費者である子供たちは、この〈大きな物語〉の体系を手に入れるため、その微分化された情報のかけらである〈シール〉を購入していたわけである。したがって、製造元の菓子メーカーが子供たちに〈売って〉いたのは、チョコレートでもなければシールでもない。〈大きな物語〉そのものなのである※2。

「物語消費」とは、実際に〈モノ〉として手に取れる、チョコレートやシールなどのツールを通して、可視化されないその裏に隠された〈物語〉を消費してもらうということである。〈モノ〉を通してでしか消費しえない〈物語〉を消費者に提供しているのだ。また、大塚は「ビックリマンチョコレート」と「仮面ライダースナック」ではその消費のシステムが決定的に異なると述べている。それは、原作となるTVや漫画などの原作があるかないかという部分である。「仮面ライダースナック」は、石ノ森章太郎原作の特撮ドラマ「仮面ライダー」という原作が存在し、そのキャラクターを利用して商品に付加価値を付けるという、他の商品との差別化を図る場合の最も古典的な手法であり、珍しくともなんともない。しかし、「ビックリマンチョコレート」には「ビックリマン」というTVアニメや漫画などの原作が存在したわけではなく、「シール」そのもののみが物語を有するパーツの一部すなわち〈小さな物語〉であり、〈大きな物語〉を形成する〈モノ〉となっていたのだ。

このように考えてみると、現代のアイドルの経営戦略には「物語消費」が欠かせないことがよく分かる。その一例として分かりやすいものを挙げると、アイドルのCDの販売だ。国民的アイドルと称されるAKB48のCDの販売戦略を物語消費として捉えて説明していく。

①CDには、握手会の参加券がついていて、その「アイドル」との触れ合いを通して「アイドル」自身の情報を知ることのできる場所と機会を与える。
②握手会などに参加することで、メディアだけでは知りえない「アイドル」の人間性などを少しずつ知ることができ、回数を重ねるごとに、その「アイドル」自身の全体像を想像できるようになっていく。
③「アイドル」の想像していない一面を見つけるたびに、ファンの消費は加速する。
④さらにこの情報を組み合わせていくと、「アイドル」の人生という〈大きな物語〉が現れていく。
⑤ファンはその「アイドル」の人生という〈大きな物語〉に魅了され、「アイドル」に対する消費を続ける。

上記のように、ビックリマンの方程式に沿って、「アイドル」ファンによるCD消費も「物語消費」として捉えることができる。「アイドル」には決められた原作は存在しない。「アイドル」を応援することで得られる情報の断片、すなわち〈小さな物語〉を〈大きな物語〉の一部として消費者に提供しているのだ。その〈小さな物語〉に消費者、いわゆる「ファン、ヲタク」は夢中になり、〈大きな物語〉を求めて消費し続けるのである。

第二節 なぜ人々は「物語」を求めるのか


第二節では、なぜ人々は消費に「物語」が求めるのかについて論じる。その理由として、大塚はこのように述べている。

ところで人が〈物語〉を欲するのは〈物語〉を通じて自分を取り囲む〈世界〉を理解するモデルだからである。ムラ社会に於ける民話、戦前の日本社会に於ける例えば固定教科書で採用された日本神話はそれぞれ〈世界〉の輪郭を明瞭に示すモデルであった。同時にまたこれらの〈物語〉はそこに帰属する人間の倫理や行動を決定するモデルである。いわば人間は〈物語〉に縛られているのであり、その良し悪しは別として〈物語〉に縛られることで安定するのだ。しかし、今日の消費社会ではこういった明瞭な形で人を生涯にわたって縛る共同体が存在しない。確かにわれわれ日本国籍を有するが同時に国家意識は個々人には極めて希薄である。左右それぞれの政治的立場にある少数の人々はこのような考え方に異議を唱えるだろうが、われわれの自意識は良くも悪くも「なんとなく日本人」以上の国家意識を持たない※3。

大塚英志が述べるように、戦下の日本では「日本人はこうあるべきだ」という模範の姿が教科書やラジオのような媒体で決められ、それに基づいて日本人は自分の生きる〈世界〉を捉えていた。人々は少なからず〈物語〉によって支配され、「日本人」という括りに縛られていたのだ。さらに、戦後の日本は高度経済成長期を迎え、人々はみな「豊かさ」を求めた。特に、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目は『三種の神器』と呼ばれ、努力すれば一般の家庭でも手の届く夢の商品であり、「新しい生活」や「豊かさ」の象徴であり、人々はみな同じものを求め消費をしていた。

しかし、日本の経済が発展していくとともに、商品をそのものの性能による価値決定をすることが少なくなっていく。鈴木謙介は、日本の経済発展の歴史に言及しながら、こう述べている。「社会のある程度の層が人並みの水準にたどり着くと、「みんなと同じモノを所有して人並みの生活を送りたい」という〈物語〉の意味が希薄になります。(中略)人々が豊かさを求めた時代の後にやってくるのが「感性」の時代です。※4」高度経済成長の時代にあった「豊かさ」というモノサシが通用しなくなり、人々が「食うのに困る」時代はなくなった。代わりにやってきたのは、糸井重里の有名なコピー「ほしいものが、ほしいわ」に代表されるような、商品間の明確な序列が失われてしまった〈世界〉である。このように商品間の明確な序列が商品の性能差のみで判断することができなくなった時代の中で、消費者たちは商品をイメージ、すなわちその背景にある〈物語〉で選択するようになった。

第三節 物語マーケティングと「アイドル」


 第一節、第二節では、〈物語〉を利用した消費についての説明をしてきた。ここでは、「アイドル」による物語マーケティングについてさらに詳しく追及していく。

先ほど、商品間の明確な序列が性能差のみで判断することがなくなったと述べたが、一般の商品(例えば携帯電話やカメラなど)であれば、ごく僅かな性能差を見出し、それを判断材料として商品を選択することが可能である。しかし、消費者が「アイドル」を性能差で選ぶことは極めて少ない。なぜなら、CDやコンサートなどの商品を選ぶ基準として、ただ単に歌やダンスのスキル、音楽の質などを求めるのであれば、「アイドル」ではなく、「ミュージシャン」や「ダンサー」を消費の対象として選べば良いからだ。それでも人々が「アイドル」を応援するということは、「ファン、ヲタク」と呼ばれる消費者たちが「アイドル」が提供する、その〈物語〉に惹かれるかどうかで〈モノ〉を選択し、消費しているということである。よって、「アイドル」消費においては「アイドル」自身の人生、成功まで道のりなどの背景が描かれている〈物語〉の要素が非常に重要視されるのだ。

「物語の法則とは、主人公をめぐる「越境」→「危機」→「成長」→「勝利」という流れ」※5と山川は自書の中で述べている。「アイドル」の語る〈物語〉として、最も重要な要素はこの物語の法則である。つまり、主人公に環境変化が起こり、その―ときには有力なパートナーに出会い―危機を逃れ、困難を克服し成長し、目的を達成し報酬を得る、というストーリーである。このストーリーに則って、「アイドル」は物語られていく。1990年代のアイドルを例に挙げると、「モーニング娘。」がまさにこの物語の法則を則った「アイドル」だと言える。

普通の女の子たちがオーディション企画「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」に応募し、これに落選する。(「越境」、「危機」)そしてデビューのための条件として5日間以内で5万枚のCD売り切りを目標に活動をし、その内容がTV番組化され放送された。(「成長」)その努力の甲斐が実を結び、見事にデビューをする。(「勝利」)そして、モーニング娘。はデビュー時だけではなくメンバーの入れ替えなどにより、事あるごとに物語が付与されていくことになる。こうして、モーニング娘。に関係する商品が継続的に消費者の手に取られることになっていく。これこそ〈物語〉の価値である。

しかし、「アイドル」の生み出す〈物語〉は必ずしも「アイドル」である彼女ら自身の人生そのものではない。むしろ、「アイドル」の〈物語〉とは、彼女ら自身の人生ではなく「アイドル」を売り出すプロデューサーによって意図的に作り出された、彼女らが演じている「アイドル」というもう一人の少女の〈物語〉なのである。すなわち、「アイドル」という〈物語〉を持った商品は、プロデューサーによって生み出された〈虚像〉であり、決して彼女ら自身の〈実像〉が反映されているものではない。そのことを、消費者である「ファン、ヲタク」は十分に理解しているはずだ。それでも、〈虚像〉である「アイドル」を演じているのは、彼女ら自身であり生身の人間であり、テレビから、コンサートから、握手会から得る情報を組み合わせながら、「アイドル」という〈虚像〉から見え隠れしている彼女ら自身の〈実像〉にたどり着こうと消費を続けるのだ。そして、彼女らの演じる「アイドル」の真実を消費者は求めているのである。


引用文献
※2 大塚英志『定本 物語消費論』、角川文庫、2001 p10-11
※3 大塚英志『定本 物語消費論』、角川文庫、2001 p25-26
※4 鈴木謙介・電通消費者研究センター『わたしたち消費』、幻冬舎(幻冬舎新書)、2007 p38-40
※5 山川悟『事例でわかる物語マーケティング』、日本能率協会マネジメントセンター、2007 p32


本日はここまで。
明日以降も引き続き、毎日一章ずつ更新予定です。

最後までごゆるりとお付き合いくださいませ。

2022.10.03.
Susan

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