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最終章 ”なぜ「アイドル」は人々の心を掴むのか”という問いに対する結論


こんばんは。Susanです。

宣告した通り、毎日一章ずつ卒論の内容を載せていくコーナーです。前置きは毎回していると大変なので、このシリーズでは割愛することにします。

この期間は、本文だけを分割して載せて行きますので、ぜひお時間ある方はお付き合いくださいませ。

それでは、本日はついに最終章の更新です。

 最終章 ”なぜ「アイドル」は人々の心を掴むのか”という問いに対する結論 です!

最終章 結論


 現代の日本では、「アイドル」が毎日のようにテレビのバラエティーやドラマ、歌番組など、様々なところで活躍し、芸能界の大きな一角を担っている。また、コンサートや握手会が定期的に開かれ、「アイドル」は私たちにとって身近な存在になっている。しかし、バラエティーであれば芸人、舞台やドラマ、映画であれば俳優・女優、歌であれば歌手、というように各部門におけるプロフェッショナルともいえる存在がいる。その中で、「アイドル」がプロの実力に及ぶことは難しいにも関わらず、何故「アイドル」という存在がここまで日本文化に浸透し、ビジネスとして成立し、人々に愛されているのか。そこで本論文では、序論で提起した「なぜ「アイドル」が人々の心を掴むのか」という問いの答えを導き出すために、議論を展開してきた。そこで、まず本論で展開してきた議論を要約しておく。

 第一章では、日本の「アイドル」とは一体何かを追求し、「アイドル」という言葉の誕生とその言葉の意味について述べた。また、日本と海外の文化や趣向の比較を通して、日本の「アイドル」像について迫っていった。海外のアイドルファンたちが、「アイドル」に対して、容姿やスタイル、歌唱力などの音楽におけるスキルを求め、完成された「パッケージ(一商品)」として消費しているのに対し、日本のアイドルファンたちたちは、その「アイドル」が苦悩し努力し、マイクを握らせてもらえるようになったなどという物語性に惹かれ、〈物語〉の一部として商品を消費していることを述べた。

 第二章では、「アイドル」の営業戦略について物語消費の説明とともに追求した。「物語消費」とは、実際に〈モノ〉として手に取れる、チョコレートやシールなどのツールを通して、可視化されないその裏に隠された〈物語〉を消費してもらうということである。〈モノ〉を通してでしか消費しえない〈物語〉を消費者に提供している。また、「日本人はこうあるべきだ」という模範の姿が見えづらくなり、日本経済が発展して「豊かさ」が当たり前の時代になっていくごとに、人々が商品を性能差で選ぶことが難しくなっていった。そこで人々は、商品をイメージ、その背景にある〈物語〉によって選択し消費をするようになったのである。特に、消費者が「アイドル」を性能差で選ぶことはきわめて少なく、「アイドル」自身の人生、成功までの道のりの背景が描かれている〈物語〉の要素が商品の選択において非常に重要視される。そして、「アイドル」という商品が描く〈物語〉は、彼女ら自身の人生ではなく「アイドル」を売り出すプロデューサーによって意図的に作り出された、彼女らが演じている「アイドル」というもう一人の少女の〈物語〉であることを論じた。

 第三章では、「アイドル」の心理的戦略について述べた。日本の「アイドル」を身近な存在である他己と捉え、その他己を承認することにより自己承認の願望を達成したかのように感じる心理的作用について追求していった。「アイドル」と私たち「ファン」との間で起きる心理作用は、「ファン」にとっての「アイドル」という理想化自己対象と、「アイドル」にとっての「ファン」という鏡映自己対象の双方で起こっていることを説明した。「アイドル」と「ファン」は、お互いの自己愛を充たしてくれる対象として存在し、相互の心理的作用によって「アイドル」ビジネスは成り立っているのだ。また、なぜ「アイドル」の「ファン」同士のコミュニティーが生まれるのか双子自己対象という心理的作用を例に挙げ述べた。私たち「ファン」はなんらかの共同体に所属し、自らのアイデンティティを確立することを求め、そのためのツールとして「アイドル」を消費している面があることを論じた。

 私たち消費者は、日本の経済成長とともに「日本人はこうあるべきだ」という模範の姿を提供してくれる媒体を失い、日本人としての共同体に所属し、〈物語〉すなわち生きる〈世界〉を縛られるということが少なくなった。しかし、人にはなんらかの共同体に所属し、自らのアイデンティティを確立したいという欲求があり、私たちは消費にあたって〈物語〉性を求め、自らの理想を引き受けてくれる対象を応援することで自己愛を充たすことがわかった。「アイドル」とは、このような私たち消費者の共同体に所属したいという欲求や、自己承認への欲求を上手く利用した「商品」であり、「ビジネス」なのである。私たちは、自らの自己愛の充足やアイデンティティの確立を求めて、「アイドル」を「ファン」として消費し続けるのである。


参考文献
大塚英志『システムと儀式』、筑摩書房(ちくま文庫)、1992
大塚英志『定本 物語消費論』、角川文庫、2001
岡島紳士・岡田康宏『グループアイドル進化論』、マイコミ新書、2011
香月孝史『「アイドル」の読み方』、青弓社、2014
鈴木謙介・電通消費者研究センター『わたしたち消費』、幻冬舎(幻冬舎新書)、2007
山川悟『事例でわかる物語マーケティング』、日本能率協会マネジメントセンター、2007

2014.12.執筆


以上、大学時代に作成した「アイドル」についての卒論でした。

あとがき


最後までお付き合いいただき、読んでくださった方々は本当にありがとうございます。いかがでしたでしょうか?

約8年前、これを書いた当時は22歳。私は関西ジャニーズJr.の平野紫耀くんにどっぷりハマり、現場ある時期(関ジュのオタクはみなさんご存知の松竹期間)には、一ヶ月の半分以上を現場で過ごしているようなオタクでした。卒論を書いているこの時期もほぼ現場に住んでいたので、昼公演と夜公演の合間にカフェに入って、カタカタこの卒論を書いていた記憶があります。

約8年前の私は「オタクやってるの楽しいけど、なんかしんどいな」という境地にすでに足を踏み入れかけていました。それはきっと、この営業戦略であったり、心理的戦略を頭では理解していながら、アイドルという存在への依存をやめられなかったからです。

「もしかして、わたしアイドル依存になってる?」「アイドル応援するのしんどい、なのに全然やめられない」って悩んでいるあなた。

もしもそんな方がいらっしゃいましたら、この心理的ロジックに気付けた時が、アイドル依存脱出の道への第一歩です。まあ、気付いてから抜け出すまでにもまだまだ道のり長いんですが、抜け出した先にある「推し活」は今までの数億倍は楽しくなりますし、しんどいなって思うことはなくなりますし、自分の人生を豊かにしてくれるものになります。(私の感覚値ですが)

もし今「推し活」をしていて辛かったり、幸せになれなくて悩んでいる人がいたら、いつでも私はもっと楽しい「推し活」の形があるんだよ!と声を大にして全力で叫びたいです。

結局、楽しい「推し活」ってどんな形なんだよ?って話は、また今後noteで更新していきたいなとも思いますし、Twitterなどで気軽に意見聞かせてほしいので、いろんな視点からお話してくれたら嬉しいです。

ぜひ、卒論に関してもご意見・ご感想、どんなリアクションでもお待ちしております。

最後まで読んでくださったあなたに、心より感謝をこめて。

2022.10.05.
Susan

いつも優しい心をありがとうございます! 届けてくださった愛は、noteの投稿でお返しできるように頑張ります♡ 感想やコメント、スキ♡だけでも十分気持ち伝わっております(T_T)♡