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固有名詞の罠

固有名詞は分かりやすさをもたらす。その反面、最終的に人を縛る足枷になってしまう。そして、これからは固有名詞自体の盛衰も激しくなるから、固有名詞に固執するのがより危険なことになってくる。

最近、こんなことを感じている。

チームラボの猪子さんの影響をもろに受けているからか、言葉に対する違和感が強くなり、固有名詞特有の束縛感に対して時代遅れ感を感じてやまない。

固有名詞とは、その場所にピンを刺すことであると個人的に思っている。その場所にピンを刺し、その場所に名前をつけてあげることによって、人が集まってくるようになる。

1970年代のアメリカの人々は、「ニューヨークのブロンクス区で、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカンなどのコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化」をHIPHOPと名付け、それが今でも人気を博している。

そこに誰もピンを差さなかったら、名前がなかったら、こんなにも全世界を熱狂させるようなムーブメントを起こさせることはできなかったと思う。固有名詞にはムーブメントを起こさせるパワーがある。

しかし、そこにピンを刺すということは、毎秒時代遅れに近づいていっているということでもある。世界の前進に対して、相対的に遅れることになる。

それが、文化として受け入れられているものも多いが、反対に時代遅れとして消えていったものも多い。固有名詞への依存は博打的な停滞である。

そして、近年はメディアアーティストが代表するように、固有名詞そのものを作る人が注目を集めている。テレビというメディアに乗せるコンテンツを作るのではなく、テレビに変わるメディアそのものを作ってしまうという行為だ。

最初は、固有名詞がないので説明ができないかもしれないが、これからの世界はこの「説明ができない」が重要になってくるし、今まででは考えられないほど生まれてくる。

説明できないからこそ、多くのアーティストや研究者が「分脈」を大事にしているように、分脈への接続が全ての創造者に求められるようになる。

「HiphopもRockもジャンルじゃない、それは魂の名前だ」
- MOROHA 『革命』

MOROHAさんのこの言葉が本質を非常に明快に表しているが、固有名詞の裏にある本質が掴めないといつまで経っても時代遅れになり続けてしまう。

わかりやすいブランドの洋風から自分にあったオーダーメイドの洋服に時代が移っていることからも分かる通り、これからはわかりやすいファッションとしての固有名詞に固執するよりも自分自身で固有名詞を作り出していくほうがかっこいい。逆に言えば、誰かが作った固有名詞にしがみついているのはダサい。

言葉の裏にある本質を捉えられるかどうかが肝な気がしている。

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1997年の日本生まれ。