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副産物を求める現代人

「イノベーション」とか「創造性」とか「成功」とか、僕を含めて現代を生きている多くの人が欲しているもののほとんどは、大抵何かの産物でしかないのかもしれないなと最近思い始めてきた。

少し前から、こういった言葉に対してどこか違和感を感じていたが、それが最近それらの言葉の実態に起因するものなのかもしれないという問いに変わった。

というのも、よくよく考えてみたら「イノベーション」は手段でしかないし、「創造性」は後付けだし、「成功」なんか捉え方によっていくらでも変わる空虚な結果論でしかない。

目的達成を求めた結果、新しい組み合わせが生まれてイノベーションが起きるだけで、それらは狙って出していくものでもないし、創造性や成功なんか個人の尺度で簡単に変わってしまう。

「イノベーション」や「創造性」や「成功」に限らず、このような無な言葉は非常に多いし、これらに左右されすぎてしまうことも多々ある。なんなら、ほとんどの人が無な言葉に無駄に苦しめられているように感じている。

最終的には「自分のため」

現代人が抱く多くの欲望は何かの後に生まれる副産物なことがほとんどなので、何が「主」で何が「副」かを見分ける必要がある。

しかし、孔子が説くようなモラリズムがその主の答えにはなり得ない気がしている。性悪説を唱えるつもりはないが、人間そんなに美しくないような感じがしている。

『トム・ソーヤーの冒険』の著者として世界中に知られているアメリカの作家マーク・トウェインが書いた『人間とは何か』の中で書かれていた「人間は最終的に自分のために動いている」というのが今の所しっくりきている。

多額の寄付を収めている人もそれをして気持ちがよくなるから寄付をしているのかもしれないし、どんな聖人的な人もその聖人的な行いをする自分が好きだからそれをしているのかもしれない。

そんな感じで、最終的には全ての人が自分のために動いていると今は思っているし、この考え方に納得を得ている。自分のために動いて、何か崇高な副産物を得るというのが自然な流れではないかと思っている。

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22歳のふとした戯言に付き合っていただき、ありがとうございました。

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1997年の日本生まれ。