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結果が努力を「努力」にする

結局、どんな崇高なプロセスを踏んでても、どんなにハードな努力してても、結果がでなければそれらの意味はなくなってしまう。そんな風に感じている。

努力と呼ばれる類のものは結果を出して初めて「努力」となるように、プロセスは結果が出て初めてプロセスになる。

結果が出なければそれは自己満足と言われても仕方がないし、どんなにすごいことをしていても、何もしていないのと変わらない気がしている。

もしかしたら、この結果絶対主義のような考え方は時代遅れなのかもしれないが、周りが納得するのも、自分が納得するのも、結果が占める割合は依然として大きいように感じる。

人に何を言われようと結果でその口を黙らせてきたイチローさんなどを見てきた僕たちの世代からすると、やはり結果を出してそれで証明するのが一番かっこいいことのように感じてしまう。

結果が全てだとは言わないが、結果が全てを変えてしまうことは大いにある。結果が正義ではないが、結果が良し悪しを決めてしまうことが大いにある。

結果が周りを黙らせ、過程を正当化させる。もしかしたら、結果などに意味はないのかもしれないが、とりあえず20代はひたすら結果を出しに行く。その過程が意味あると感じている。

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1997年の日本生まれ。