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エンタメの脆さ

エンターテインメントは脆い。エンターテインメントは人を幸せにする力があるが、それを届けるためにはある程度の幸せな環境にいる人でないと届けることさえできないという性質を内包している。

事務所が少しゴタゴタしているだけで、そこに所属している芸人さんのパフォーマンスも簡単に笑えなくなってしまうし、第一にこんな状況なら終わりを見たいとも思わなくなってしまう。

ここに現在のエンターテインメントの脆さが垣間見える。

平和の産物

本来であるならば、こう言う暗い雰囲気を少しでも明るくするためにあるのが、エンターテインメントだとは思うのだが、事実、業界がこういった暗い雰囲気の中で何もできないでいるのが現状である。

芸人さんもこういった一連の騒動をきっかけに今までの不満を吐露するように、Twitter等のSNSで真面目な発言をしているし、それらの発言によって吉本興業の火はどんどんと大きくなっていっている。

「笑かして幸せにしたい」とか人は簡単に言うけど、自分の事務所が情けない状況に陥ると芸人さんも自分のお笑いで表現することを忘れて真面目な言葉に頼ってしまう。そんな帰結を見て、改めてエンターテインメントの無力さを痛感させられた。

お笑いも含めて、お客さんを楽しませるエンターテインメントというのは、何も不祥事がなくて、平和で安定している状況でしか成り立たない虚構なのかもしれない、ただの平和が生んだ気休めの産物なのかもしれないと強く感じた。

表現で現状を好転させる

僕が一番影響を受けているチームラボの猪子さんは「悪口を言うくらいだったら、その状況が変わるように自分が動けばいい」とおっしゃっていたが、まさにエンターテインメントがするべきは猪子さんの発言の通りであると思う。

真面目に悪口を言うくらいだったら、自分の持っている表現でそれに対してアンチテーゼでも出せばいいし、その状況が好転するような表現を行動によって表せばいいと思う。

言葉以外の何かによって表現している表現者にとって、真面目な言葉は時に必要かもしれないが、多くの人が真面目な発言している中での表現者の役割は真面目に話すことではない。

自分の表現を通じて人々の感覚を変えてあげること、すなわち、今見えているものの外側を見せてあげる、あるいは見ている角度を少し変えてあげることが表現者の役割だと思っている。

無力なエンタメ

人が落ちこんでいる時、本当に笑えない時、Peaceではない時、そんな時のためにエンターテインメントがあるにも関わらず、現在のエンターテインメントはそんな状況では無力なってしまう。

もしかしたら、本当に届けなければいけない人にエンターテインメントは届いていないのかもしれないということを、今回の一連の騒動を受けてすごく感じた。

今回の吉本興業の騒動は、エンターテインメントの在り方について考えなければいけないと痛感させられたと同時に、自分がやっていくエンターテインメントはどのような形がいいのかを考えるいいきっかけになった。

エンターテインメントはもしかしたら相当脆いものなのかもしれない。だが、それでしかどうにも出来ないこともある気がしている。今後も、その可能性を模索していきたい。

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1997年の日本生まれ。