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私の人生に落単なんて無いと思ってた

どんな失敗だって、コンテンツとして昇華できてしまうのがnoteの良いところ。
広く言えば、クリエイターや表現者の良いところだと思う。

転んでも、滑っても、それで誰かが笑ってくれれば意味のある怪我になるっていう、そういう思考回路。

自分をクリエイターだ、表現者だと名乗るのは少し恐れ多いけれど、この失敗をnoteに書くと決めたとき、noteをやっていて良かったと思った。

自慢じゃないけれど、大学3年までの累積GPAは3.4。
研究室の先生によると、これは学年70〜80人のうち上位10人に入る成績だそう。

ちなみに、GPAとは各科目について4段階で評価された成績の平均値。
4が最高で1が最低、私の学科ではGPA2.5で上位25%程度なんだとか。
順位は学生には公開されないので詳細は不明。
単位を落とす(落単する)と、その科目には評価がつかないので0としてカウントされ、大幅にGPAが下がる。

まあ、GPAというのは、自分がいい成績を取れそうな授業(いわゆる楽単)ばかりを選んで履修していれば上がるし、本当に興味がある授業を難易度に関わらず履修していれば上げるのは難しいというもので。
絶対評価ゆえに、科目によっては受講生の成績に偏りがあることも少なくない。
同じ学科だから、同じ学年だからなどという理由で一概には比較できないのも事実である。

さて、ここからが本題。

3年までの累積GPAが3.4で、学科最難関とも言われる研究室に配属されることが叶った私が、まさか大学生活で落単を経験するとは夢にも思わなかった。
純粋に採点ミスか、評価ミスを疑った。

一つ下の学年からカリキュラムが変わったことにより、本来4年生が受ける授業の受講生の大半が3年生だったこともイレギュラーだった。
イレギュラーであればミスが起こってもおかしくはないと思った。

こんなの単なる責任転嫁。
要するに、自分が落単したという事実を信じたくなかったのである。

授業の遅刻や欠席は一度たりともしていない。
課題も全て提出した。
試験もとてもよくできた自信はないけれど、単位を落とさない程度にはできたと思っていた。

大学の前期の成績が開示されたのは9月上旬だった。
試験を受けたのは7月中旬なので、どんな問題が出て、自分がどんな回答をしたのかを覚えていなかったことが一番の問題。
もちろん、問題用紙も解答用紙も返却されていないので、自分で確認のしようがない。
余程できなかった試験、もしくは、余程手応えがあった試験であれば覚えているかもしれないが、私は昔から終わった試験のことはすぐに忘れたいタイプなのだ。

どうしても納得できなかった私は、すぐに担当の先生にメールで問い合わせた。
あくまで、「きちんと反省して今後の学習に活かしたい」というスタンスで。

返信が来たのはおよそ1か月後。
この先生は試験に関する問い合わせは受け付けないのかと諦めていた時だった。

私は、3問あった試験問題のうち2問が0点だったことを知った。
もはや問題も自分の回答も思い出せないので、そうだったのかと受け入れるより他はない。
きっと、少し間違えたという程度の誤答ではなく、問題文すらもまともに理解できていないような、救いようのない誤答だったのだろう。
返信のメールは「次回、頑張ってください」という言葉で締められていた。

大学4年の私に「次回」などない。

必修科目ではなかったことが不幸中の幸い。
今は、その落単を補うべく、他の講義を受けている。
もともと取る予定はなかった授業なのだが、意外と面白いし、役に立つし、この授業を受けるために落単したと思えば、私はとても強運だ。
大学1年生の時に考えた単位習得計画は失敗したが、取り返しのつかない失敗でなくて良かったと思うことにした。

ちなみに、落単の知らせを受けた日は、就職活動中、最後に受けていた会社から内定をいただいた日である。
あの日ほど感情の振れ幅の大きい一日を私は知らない。

結局その会社の内定は辞退したのだけれど、今となってみれば、悪くない一日だった。
今受けている講義の単位が取れればの話だけれど。

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