毎手水石

毎手水石

最近の記事

2023

激動の一年が終わる。 あまりにも激動だったのでまともに今年を振り返っている余裕が全くなかった。 現に僕はいまこの文章を紅白歌合戦を観ながら書いているわけだけれど、実のところ諸事情で仕事中の身であり、会社にいる。本当はnoteなど書いている場合ではないが何も書かずに年を越すのが嫌で仕方が無いのでとりあえず書く。 何を書けばいいのかわからなくなってしまったのでとりあえず2023年ベスト○○でも書くか。 やめよう。面白くない。 2023年ベストアルバムもあるしベストライブもあ

    • 夏に閉じ込められていた(雑感2023/09/29)

      ふと気がつけば、まるで一生みたいに長い夏が終わろうとしていた。 まるで一生みたいに長い夏。 夏という季節は往々にして長く感じるもの(と僕は個人的にそう思っている)。僕の大好きな記号化されたエモの世界では夏は決まって最もエモい季節とされていてあらゆる創作物においてじっくりこってりと描かれるものだし、僕のこれまでの人生においても夏の時期にはいろいろなことがあった。そういうことはこれまでも何度もnoteに書いてきたし、毎年そういうことを書きたくなるのが夏という季節なのだと、そう

      • 新宿三丁目と記号化された夏のエモとプルースト効果的な何か。

        会社勤めを始めて3カ月が経ったある夏の夜。誰からも連絡が来ないスマホの画面に映るしけた顔を眺めながら、僕はどうしようもなく新宿三丁目のことを考えていた。 新宿三丁目という街のことが、僕はとても好きだった。今でもとても好きだ。昔の恋人と新宿三丁目ならどちらのほうが好きかと問われたら新宿三丁目だと即答できるぐらいには。 夏の暑い日。二日酔いを引きずって昼過ぎにベッドから這い出て、日が落ちるまでの時間を本を読むなりラジオを聴くなりして無為に過ごし、あたりが少しひんやりしてきた頃

        • 彼らの問いが、僕の頭の中でこだまし続ける限りは―映画『怪物』感想―

          「かいぶつだーれだ」 怪物、誰だ。 怪物とは、誰だ。怪物とは、何だ。 怪物。 自分にとって、理解し難い存在のこと。 頭に““豚の脳””が入っていて、””人間””である自分とは全く異なる思考をする存在のこと。 だったとしたら。 僕らにとって、湊と依里は、””怪物””だろうか。 湊の母は、””怪物””だろうか。 保利先生は、””怪物””だろうか。 校長先生は、””怪物””だろうか。 違うと思う。 では、依里の父親は? 二次性徴を迎えてすぐに同性愛的な傾向を色濃く見せ

          村上主義者的””あこがれ””文体論

          Twitterをだらだらと眺めていると、たまに金属バットで後頭部をぶん殴られたような衝撃を受けることがある(さいわい、僕は実際に金属バットで後頭部をぶん殴られたことは無いけれど、たぶんこれぐらい痛いんだろうな、というのは何となくわかる)。 このツイートがタイムラインに流れてきたときも、まさにそうだった。 うーーーーーん、なるほど……。 あまりにも身に覚えのありすぎる話だったので、後頭部全力鉄バット級の衝撃と共にひどい寒気を感じた。 このアカウントで書いた文章ではあまり

          村上主義者的””あこがれ””文体論

          「それでも、人間の力を信じるか?」という哲学:劇場版PSYCHO-PASS PROVIDENCEネタバレ有り感想

          PSYCHO-PASSとは、生き方を問うアニメである。 生き方を問うということは、哲学である。 つまり、PSYCHO-PASSとは、哲学である。 「万人の万人に対する闘争」の時代で。 AIが人間より「合理的」で「効率的」とされる時代で。 それでも人間は、法を信じるべきか? それでも、人間の力を信じるか? PSYCHO-PASS1期で突き付けられた問いを、10年の時を経て、再解釈し、再定義し、再構築し、そしてその答えを2023年に出来得る最高の形で再提出したのがこの映

          「それでも、人間の力を信じるか?」という哲学:劇場版PSYCHO-PASS PROVIDENCEネタバレ有り感想

          「何者か」になる

          ひさびさの前書き書きたいことが頭の中で渋滞している。 会社員になってから、だいたい1カ月。 この1カ月の間に僕の身の回りでは(あるいは僕というひとりの人間の中では)実に様々な変化が起こったような気もするし、それでいて僕自身のなかの本質的なことは何ひとつとして変わっていないような気もするけれど、ともかくまぁ、有り体に言うならば””いろいろあった””ということには相違ないと思う。 ””いろいろあった””ということは、書きたいこともいろいろ出てくるわけで。でも日々の生活に追われ

          「何者か」になる

          学生でなくなる15分前に僕の語ること

          大学生だった頃のことを、僕はうまく思い出すことができない。 たしかに僕はついこの前まで高田馬場で生活していて、下北沢や中野をふらふらしたり、新宿で映画を観たり、早稲田の古書街でバイト代を溶かしまくったり、たまに渋谷や横浜で写真を撮ったりしていたはずで、その記録はいろいろな形で残っているのだけれど、そのほとんどを確かな手触りをもって思い出すことができない。スマホやパソコンに記録されていることはどれも夢の中の出来事であって自分が実際に体験したことであるようには感じられない。

          学生でなくなる15分前に僕の語ること

          喪失のあと:いなくなってしまった人のことを、なかったことにしたくない:つまり愛について

          人はみな、「喪失のあと」を生きている。最近つくづくそう思う。 数週間前に、あるミュージシャンが突然いなくなってしまった。そのことに友人が深いショックを受けている。その友人はいなくなってしまった彼に人生の深いところで大きな影響を受けていたから、(幸い割と早い段階で普通の日常生活を送ることができるようになったそうだけれど)やはり以前と全く同じように音楽を聴くというわけにはいかないようだ。 「喪失のあと」を生きることと向き合っている友人と話すなかで、僕もあらためて人生における喪

          喪失のあと:いなくなってしまった人のことを、なかったことにしたくない:つまり愛について

          リハビリ的な雑記:関西弁と言文一致

          再び文章を書くことができるようになるまでに、かなり時間がかかってしまった。 僕は去る2月24日に東京の下宿を引き払って地元関西に帰ってきた。 4年間過ごした東京を離れるのはそれなりに名残惜しかったけど、めちゃくちゃ名残惜しいということもなかった。東京にいる間にとにかく本を読んで映画を観なければ!!!という謎の切迫感に駆られて1月2月の間はひたすら読書と映画鑑賞に勤しんでいた(そしてそれはそれなりに楽しく、充実していた)のだけれど、結局関西に戻ってきてからも毎日1冊は本を読ん

          リハビリ的な雑記:関西弁と言文一致

          照らせば光る瑠璃のような―映画『月の満ち欠け』の翻案の見事さについて―

          高田馬場の早稲田松竹で映画『月の満ち欠け』を観た。 シネコンで公開されたのは昨年2022年。2023年2月になって遂にこの作品が名画座(封切りからしばらく経った名作映画を二本立てで上映する映画館)である早稲田松竹にやって来た。 僕はこの映画を早稲田松竹で観ることに強い拘りを持っていた。高田馬場が舞台になっていて物語の中で早稲田松竹が重要な役割を果たす、という事前情報を耳に入れていたからだ。 僕はあと一週間で東京から地元に帰ってしまうので、このタイミングで早稲田松竹での上

          照らせば光る瑠璃のような―映画『月の満ち欠け』の翻案の見事さについて―

          昨夜みた夢の話 / 制裁について考える

          東海道新幹線の車内で、僕は昨夜みた夢のことを思い出していた。 夢の中の僕は旧日本軍だかテロリストだかわからないがとにかく何某かの暴力組織の一員で、捕虜だか脱走兵だかわからないがとにかく何某かの虜囚を拘束する任を帯びていた。僕に捕えられていた彼は僕の名前を知っていたので、元仲間の裏切り者だか何だか、そんな感じだったのだろう。 僕は右手に握っている軍刀で彼を殺すよう上官に命じられた。 その時、これまでの人生で感じたことのない、最悪な気分になったことを鮮烈に覚えている。 僕

          昨夜みた夢の話 / 制裁について考える

          「僕はあまり彼らの話をしないけれど、実はRadioheadのことが大好きなんだ」

          前奏「君は洋楽ロックなんか聴かないと思うけれども、」 あいみょんの歌詞ではない。いつかある大人に投げつけられた言葉の切れ端だ。 この前、特撮と2.5次元舞台への愛をぶちまける怪文書を書いた。 冷静になって読み返してみて(あまりの怪文書っぷりに戦慄しつつ)、僕には「あまり周囲に語っていないけれど実はこういうのも好き」というようなものがそれなりにあるのだということに気がついた。 普段の僕は、小説だと村上春樹、音楽だとアジカンやユニゾンなどの2000年代邦ロック、映画だと是

          「僕はあまり彼らの話をしないけれど、実はRadioheadのことが大好きなんだ」

          特撮ファンは2.5次元の夢を見るか?

          結論:見ました。 幕前僕には苦手なものがたくさんある。 寒い日。早起き。運動。YouTube。TikTok。自己啓発本。ファスト教養。反知性主義。新自由主義。家父長制イデオロギー。SDGs。シネコンの邦画。なろう系小説。異世界転生アニメ。解釈違いの二次創作。バンギャ。最近の内田樹。他にもいろいろ。 僕には好きなものもたくさんある。 小説。新書。ロック。ジャズ。クラシック。珈琲。ミニシアターの邦画。異世界転生じゃないアニメ。歴史的文脈を重視するタイプの邦ロックファン。昔の内

          特撮ファンは2.5次元の夢を見るか?

          柄にもないことをしたくなったときはチャンスだと思う

          柄にもなく、ブラックコーヒーを飲んでみたくなるとき。 柄にもなく、ビル・エヴァンスを聴いてみたくなるとき。 柄にもなく、ギターを弾いてみたくなるとき。 柄にもなく、古本屋に入ってみたくなるとき。 柄にもなく、永井荷風を読んでみたくなるとき。 柄にもなく、ミニシアターでインディーズ映画を観たくなるとき。 柄にもなく、髪をブリーチしたくなるとき。 柄にもなく、ハイヒールを履いてみたくなるとき。 柄にもなく、表参道に繰り出してみたくなるとき。 人生の色彩が

          柄にもないことをしたくなったときはチャンスだと思う

          NUMBER GIRLは”透明”ではない。

          2022年12月11日、伝説のオルタナティヴロックバンド・NUMBER GIRLが”再び”解散した。 僕は彼らの”再び”の解散ライブの場に居合わせた。 奇跡としか言いようがない、こんなライブ体験は二度と無いと断言できるような3時間を過ごした。このライブは間違いなく伝説になると思う。 この記憶は絶対に、妄想には変わらない。 NUMBER GIRLとは何者か1995年に福岡市博多区で結成されたNUMBER GIRLが日本ロック音楽史に残る衝撃的な活動を繰り広げていたのは、

          NUMBER GIRLは”透明”ではない。