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新宿三丁目と記号化された夏のエモとプルースト効果的な何か。

東京は記号なのにね歌になる東京のこと愛せてしまう

岡野大嗣『音楽』より


会社勤めを始めて3カ月が経ったある夏の夜。誰からも連絡が来ないスマホの画面に映るしけた顔を眺めながら、僕はどうしようもなく新宿三丁目のことを考えていた。


新宿三丁目という街のことが、僕はとても好きだった。今でもとても好きだ。昔の恋人と新宿三丁目ならどちらのほうが好きかと問われたら新宿三丁目だと即答できるぐらいには。


夏の暑い日。二日酔いを引きずって昼過ぎにベッドから這い出て、日が落ちるまでの時間を本を読むなりラジオを聴くなりして無為に過ごし、あたりが少しひんやりしてきた頃にスマホと財布だけを尻ポケットに突っ込み、サンダルをひっかけて明治通りを歩いて新宿三丁目に繰り出す。テアトル新宿か武蔵野館かシネマカリテに入って目ぼしい映画を観て、紀伊國屋で文庫本を一冊買い、DUGでサンドイッチとビールを口にしながらだらだらとページをめくる。DUGが0時前に閉まるので、その後は適当に新宿御苑のあたりをふらふらして、また明治通りを歩いて西早稲田に帰る。

そういう記号化されたエモみたいな時間の過ごし方(こじらせ村上春樹ファンの習慣的奇行ともいう)をするのが、たまらなく好きだった。

でももう、あの日々は戻ってこない。

だから。

だから。
実家の勉強机の前に座り、ビル・エヴァンズの『ポートレイト・イン・ジャズ』を聴き、目を閉じる。鼻からゆっくりと、出来得る限りゆっくりと夏の夜の空気を吸って、少し苦しくなるまで(13秒ぐらい)止めて、そして肺の中の僕の息がこの世界に溶け込んでいくのを確かめるように、これまた出来得る限りゆっくりと息を吐く。

そうすると、少しだけ、でも確かにはっきりと、思い出すことができた。
あの頃、僕が新宿三丁目で嗅いでいた夏の夜の匂いを。
あの頃、僕が新宿三丁目で持て余していた青臭い理想を。
あの頃、僕が新宿三丁目で追いかけていた””文化””なるものを。
あの頃、僕が新宿三丁目で探していた””良き時代””の残像を。
あの頃、僕が新宿三丁目で手に入れられなかった””何か””を。
あの頃、僕が新宿三丁目で見つけられなかった””何か””を。
あの頃、僕が新宿三丁目に落としてきた””何か””を。
僕は思い出すことができた。



あの頃の僕は、寺山修司になりたかった。村上春樹になりたかった。重松清になりたかった。是枝裕和になりたかった。いとうせいこうになりたかった。俵万智になりたかった。朝井リョウになりたかった。田淵智也になりたかった。堺雅人になりたかった。

なれるわけがなかった。

僕はただ、そういう””文化人””的な生き方の””ままごと””をしていただけだからだ。
彼らのようになろうと必死で努力したわけじゃない。

だから今でも大した文章を書けないし、写真も歌詠みも下手だ。映画のことも演劇のことも音楽のこともまるでわからない。

文化人になることをあきらめて会社員になってはみたけれど、それが決して向いていたとは思えない。僕のように中途半端な人間というのは往々にして、企業戦士としての使い勝手が極めて悪いらしい。会社でも当たり前のことができなかったり、ちょっと人と上手く話せなかったりして、なんとなくここが自分のいるべき場所ではないというような思いを拭い去ることができずにいる(そしてその原因はすべて自分にある)。

だけど。

だけどあの頃の僕は、彼らのようになりたかった。

彼らのようになりたくて、新宿三丁目に通っていた。
池袋に、渋谷に、下北沢に、吉祥寺に、通っていた。
彼らのようになりたくて、東京で4年間、生きていた。


彼らのようにはなれなかったけれど。彼らのようになろうとすることすらできなかったけれど。
彼らのようになりたくて、なんとなく彼らが学生時代に繰り出していた街に通って、彼らが見聞きしてきたものと同じものに触れようとしていた、あの頃の僕は、今の僕よりも豊かだったと思う。

あの頃の僕には無かった財布のゆとりが、今の僕にはある。
あの頃紀伊國屋書店の棚に戻したあの詩集だって今の僕なら買える。
あの頃店先のメニュー表に並んでいる値段を見て入るのをやめたあの喫茶店でも今の僕ならケーキセットを頼んでコーヒーをおかわりできる。
あの頃観ようとしてやめたもう一本の映画のチケット代だって今の僕なら払える。ついでにポップコーンだって買える。コーラをつけても良い。

それでも、あの頃の僕のほうが、今の僕よりも豊かだった。

ビル・エヴァンズが『ブルー・イン・グリーン』を弾き始めた。『ポートレイト・イン・ジャズ』の終わりも近い。
もう一度、目を閉じる。鼻からゆっくりと、出来得る限りゆっくりと夏の夜の空気を吸って、苦しくなるまで息を止める。今度は本当に苦しい。そして大切な人との今生の別れを惜しむようにゆっくりと、まるでこの瞬間だけ世界がスローモーションになったようにゆっくりと、息を吐く。

あの頃、あの街で嗅いでいた匂いがする。その匂いが鼻の孔から脳みそに向かって一気に駆け上がっていく。そして瞼の裏には、記憶のなかの僕がいる。

あの頃の僕が、新宿三丁目の交差点を渡ってくる。やけにニヤニヤしてんなこいつ。でもこういう顔は嫌いじゃあない。



会社用のスマホが鳴って目を開いた。暗い液晶画面に反射した僕の顔は、50分前より少しだけ、豊かな顔をしていた。ちょっとニヤついている。


悪くない。


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