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映画:怪物はささやく

介護、看護、育児をしている人、
病気や障害を持つ家族や友人を持つ人に見てほしい。
支え続けることが苦しくなるのは、それは当たり前のことなんだよ。
手を放してしまいたくなる自分を責めないで。

memo

視聴時期:2020年7月
公開時期:2016年

▼Amazonプライムビデオ 吹替版


インプットめも

あらすじ

病気の母親を持つ大人でも子どもでもない12歳の少年コナーは、自分の食事の準備も洗濯もキッチンの片付けもする。母親のことが心配でいつもギリギリな気持ちで過ごしているのに、学校では同級生に殴られ、家では気の合わない祖母との同居を別居している父と祖母が画策する。
いっぱいいっぱいになり、大好きな絵を夢中で絵を描いていた深夜12時7分。家の裏の教会に生えているイチイの木が怪物となってコナーに語り掛ける。
「これからお前に3つの物語を聞かせる。3つ全ての物語を聞かせたら、今度はお前が4つ目の物語、真実の物語を話すんだ」
コナーは怪物との会話、怪物が語る物語を通して自分の考えを改めてゆき、本当の気持ち、真実の物語を語る。

感想

自分の気持ちと向き合うための癒しの映画でした。
出来ることならば、支えられてる人から支えている人に勧めてほしい映画

支えている側って、どうしてもピンと張りつめて「自分がやらなければならない」「自分が支え続けなければならない」って考えてしまう。なぜならば、自分がそれを辞めた時にどうなる? と考えるととても恐ろしくなるから。「自分が支えることを辞めたせいで死んでしまった!」という悪夢を繰り返し見ている(またはそうしないと死んでしまう、とか)。

この映画では作中で支えられているお母さんは亡くなってしまい、主人公は母を支えるづける生活から解放される。でも開放もまた悲しい。

解放されなくてもつらい、解放されてもつらい。つらいと感じてしまっていることに罪悪感を感じている。解放されたいなんてちらっとでも頭をよぎればまたそれを責める気持ちが生まれる。

主人公はもうこんな状態。
でもわかる。わかるし、自分を支えてくれている人にそう思わせているんだろうと感じる。でも、思っていいんだよ。一番大事なのは自分の気持ちで、それにふたをし続けてはいけない。思っていい。善悪で考えなくていい。それは、どちらの面もあるから。
善悪と同じように、自分の気持ちも一つではない。母親と一緒にいたい良くなって欲しいと思う気持ちと、でももう無理なんだと悟りこの苦しい日々が終われば……と思う気持ち。
どっちもあっていい。どっちも本当の自分の気持ち。こんなこと考えちゃいけない、なんて思わなくていいんだよ。

なんて、他人の目線でならそう感じるのに、自分自身にはなぜか禁止してしまうんだよね。だから他人の「いいんだよ」って言葉が必要なんだよね。

この映画の中での怪物はかつてコナーが母親から聞いた物語の存在で、そしてコナー自身だったのだと思う。「母親を支えきれず、解放されたいと望む自分」を恐れ、抑え込み、けれど恐れるあまりに怪物にまで育て上げてしまった、みたいな。ただこの怪物は見た目こそ怪物だけど、中身はとても情緒が安定していて、とても怪物とは言えない。母親が話してくれた怪物には、コナーの思う母親が宿っていたのかもしれない。
現実的に見るとコナー自身の自問自答でしかないけれど、ファンタジーなので怪物と会話がある。他人と話をするというのはとても大事で、自問自答だといつの間にか自分自身を罰しているということはよくある。他人、という存在が本当に大事。自分にもこの怪物が欲しい。

ご覧いただきありがとうございます!