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被爆二世

今日は広島平和記念日です。
77年前、広島は一瞬にして焼け野原になりました。

その時の様子を父が教えてくれたことがあります。
そうです、父は被爆者です。なので私は被爆二世ということになります。
今では二世と言えるけれど、昔は二世であることが嫌だったのです。

なんでだろう…自分なりに考えてみました。


1,戦争の話は聞きたくない


毎年、8月6日が近づくと戦争体験の話を聞いたり、平和学習をしたり、ビデオで勉強したりする時間がありました。
家族に戦争を経験してる人がいたら体験を聞くようにとも言われます。
毎年聞いてはショックを受け、悲しくなったり、悔しくなったりして
平和な時代に生まれてきて幸せだなと感じ、感謝していました。

でも、毎年聞いていると幸せな時間から、戦争の悲惨な時代へと引き戻されそうで怖くなるときもありました。

父は良く笑う人でした。冗談を言う人でした。
そんな父から話を聞くときは、父の辛かった経験や寂しさ、悲しさを垣間見るのが辛かったのだと思います。
戦争の経験があるから日々を楽しく過ごそうとしているのかなと感じると余計に悲しくなったのだと思います。


2,身体の傷、心の傷


父の首の後ろには小さなガラスの破片で出来た傷が多数ありました。
身体に残ったままのガラスもあると聞いています。
戦争に関する国や人に対して、憎しみの言葉も聞いたことがあります。
父の目の前で沢山の方が亡くなり、街が焼け野原になった光景は
心の傷を大きく深くしたに違いありません。

私の憶測ですが父は亡くなるまで平穏な心で過ごす事が出来なかったと感じています。
仕事を辞めて盆栽や写真など楽しんでいましたが
そんな時も平和への思いを口にしていました。


俳句を詠んでいたのが印象的です。
内容は忘れてしまったのですが、
『空を見上げれば普段通りに鳥が羽ばたきさえずって
大地には美しく咲く花や動物たちが遊んでいる』
全然俳句になっていませんがこんな感じの詩でした。

当たり前の光景を特別で幸せな事なのだと・・・・
そんな思いがあったと思います。


3,心の中に平和を


今、日本は戦争のない日々を過ごしています。
考えてみて頂きたいのですが
心から幸せだと思う人達はどの位いらっしゃるでしょうか。

物質的な豊かさ、教育、医療、環境など
何不自由なく過ごせていますが
誰かと比べたり、不平不満を言ったり、悲しませたり
武器はなくても争ったり、人を傷つけたり

日本人は戦争で平和の尊さを分かっているはずなのに
と残念に思ってしまいます。

何の為に人はこのような行動をとるのでしょうか
本当は誰かと喜びを分かち合い、思いやりをもち、人を心から愛し尊敬し
そんな風に生きていたいと願っていると思います。


4,終わりに


今日という日に限らず
広島市民として戦争を体験した父の娘として、被爆2世として
一人でも多くの方が心から幸せに、心の平和を感じられように
お手伝いしていきたいと思っています。



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