見出し画像

映画『ほつれる』がAmazon Primeにあるので、魅力について語ってみる

昨年、私が観た映画52本を振り返ってみて、ダントツに印象に残っているのは加藤拓也監督の『ほつれる』。観ている最中、登場人物全員にドン引きしまくって、あまりに引きすぎて、映画を観ている間中、暗闇で薄ら笑うか、眉間にしわを寄せているかのどちらかだった。84分間の上映時間中、60分くらいは思い通りにならない自分の表情筋と闘っていた。
それなのに、どうしようもなく魅力的で、忘れられなくて、癖になってしまっている。なぜだ。
分からないけれど、もしかしたら、私と同じ感覚を味わいたい奇特な人がいるかもしれないので、映画『ほつれる』の魅力を語ってみることにした。

映画『ほつれる』の魅力① ギリギリ“致命的ではない”という登場人物の設定

この映画の主な登場人物は、綿子(門脇麦)、綿子の夫(田村健太郎)、綿子の不倫相手・木村(染谷将太)、綿子の友達・英梨(黒木華)、木村の父親(古舘寛治)。記録のように淡々と進みながらも、それぞれの表情・セリフ・相手への向き合い方など、端々に違和感が残る。でも、それらの不誠実さや残酷さや気持ち悪さが、“致命的ではない”と思えるギリギリのラインで、だからこそとっても生々しくて目が離せない。

映画『ほつれる』の魅力② “引き続ける”という新感覚

登場人物の言動を“ギリギリ致命的ではない”と言ったけど、ひとつひとつは致命的でなくても、やっぱりそれぞれへの違和感はじりじりと積み重なる。
“えっ?そこでそういう行動?なんで?”
“えっ?そこでその態度?どういう神経?”
“えっ?何でそうなる?さすがに失礼じゃ…”
と、みんながみんな、私の考える「常識」の枠からはみ出る言動をする。結果、ほぼずっと引き続けるという新感覚の体験ができる。他の人のレビューもたくさん目にしたけれど、観た人がほぼ全員引いている。(ナハエリコ調べ)ある意味、新ジャンル。

映画『ほつれる』の魅力③ ついつい意味を考えてしまうという巧妙さ

「うわぁ…嫌なものを観た。一体何だったんだろう?」
これが、私が観終わって最初に感じたこと。誰にも感情移入できず、1ミリの同情も共感もなかった。ただただ、何を見せられたんだろう?と思っているのに、なぜか脳裏に焼き付いてしまっている。理屈じゃどうにもならないことが人生にはままあるのは分かる。いや、私の人生にこんなことがあったら、たまったものじゃないけど…とかブツブツ文句を言いながら、きっと多くの人が『ほつれる』という言葉の意味を考えている。タイトルが秀逸。

映画『ほつれる』の魅力④ ドキュメンタリーのような役者さんの演技

言うまでもなく、名前を見ただけで、期待値が上がる役者さんたち。邦画好きな私にとっては、もはや“オールスターメンバー集結!”という感じで、そもそも期待値が上がっていたのだけど、軽々とそれを超えてこられて感服。
日常を覗いているかのような、自然なやりとり、視線、動き、声色…。いろいろ痛いから、もう勘弁してほしいと何度も思った。
観終わったあとに、HPを見たら、文則役の田村健太郎さんのコメントにこうあった。

皆が職人のような、工房のような現場でした。とても幸せでした。

映画『ほつれる』公式サイト

うわぁ…!鳥肌…。工房という表現もとても好き。ということで、この作品を改めて観て、ますます田村健太郎さんが好きになり、ただいま激ハマり中。(今度、勝手に語らせていただく予定)

映画『ほつれる』について考え出すと止まらなくなる。ちょっと書くだけのつもりが、ついつい力が入ってしまった。結局、何が言いたいかというと、“新感覚のおもしろい映画があるので、お暇なら観てね!”ということ。「好き」が高じて、勝手に宣伝させていただきました。

それにしても、好きなことについて、好きなだけ自由に語れるnoteって、すばらしい。あー、楽しかった!読んでくださった方、ありがとうございます。


この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

映画感想文

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!