ひろみ

23歳。日々感じたこと、考えたこと、気づいたこと。自分のために書きたい。自分のために書…

ひろみ

23歳。日々感じたこと、考えたこと、気づいたこと。自分のために書きたい。自分のために書くんだけど、人のためにもなったら嬉しいから、心を込めて書きたい。ひらがな好き。

最近の記事

住まいへの興味が湧いてきた①

この間の記事が久々のnoteログインだったから、プロフィールの更新をしてなくて、年齢詐称になっていた…!笑(なおしました) noteで記事を書くこと、ゆるゆる続けられたらなと思っているから、そのためにはハードルを下げないと。ということで、特に話題を思いついたわけではない今、えいや!で書いてみようと、スマホをフリックしている。 さて、近ごろは"住まい"に興味が向いている。 そうなったのには、互いに連動するふたつの理由がある。まずひとつめに、「ひとり暮らししたい」という気持

    • 元気だよ

      久々にnoteを覗いてみた。過去の自分の文章を読んだら、なかなか良いこと言うじゃん〜なんて思った笑。 文章を書くと自分の定点観測になる。頭や心が整理されて落ち着く。人に伝えるいうことを学べる。そんな効果を求める気持ちと文章力に対する向上心がまた出てきて、「文章を書きたい」が再燃した。前の文章は濃密な感じだったから、もう少しラフに書いていけたらいいかなぁ。 前回記事を書いてから、もう半年が経過している。この半年間は本当に私にとって大きな変化のある時間だった。毎日1度ずつ方向

      • Beの肩書きを作ってもらいました^^

        大学の友人あかりんが行っているBeの肩書き屋さん。 今回お願いをしまして、私の”Beの肩書き”を作ってもらいました! 社会の中で使っている肩書きをとっぱらった、 ひとりの人間としての在り方をみつめる機会。 私はこの機会を 「自分とあかりんとが交わった時に、私の心の中に起こる化学反応を見たい」 「普段内にこもることの多い私が、いま、他者から見てどんな風に表現されるか知りたい」 「自分の未来に向けての一歩にしたい」 と思ってお願いしました。 (お願いした時は漠然

        • 何度でも私は私を選ぶ。

          ほんとにね、笑っちゃうくらい自信がない。そろそろ呆れられちゃうかもしれない…笑 もっと自信持っていいんだよって優しい人たちが言ってくれる。 それでも当の私は、自信が持てないし、すぐ不安になるし。 だけどね、もう自信のない私だっていいじゃない。不安になる私だっていいじゃない。 そのままで生きていってもいいじゃない。 そんな私だからと、怖がることはない。色んなことを諦めたり、妥協する必要はない。 たぶんね、自信や不安って、あってもなくてもどっちでもOKなんだ。たくさん

        住まいへの興味が湧いてきた①

          ルーティンや習慣

          『元気あるなし。』でも触れたけれど、元気がない時って特に元気回復のためになることをできなくなる。全般的な気力がなくて、集中力、行動力、決断力、ポジティヴ思考に意識を持っていく力…色んな力が鈍って、自分のためになることを選択できなくなる。どうにか力を出しても、ジタバタするばかりで余計消耗しちゃったり。 自分のためになることとは、’長期的・総合的に見て可能な限り自分にとって善であること’。無理してエネルギーを出す必要があること・一回きりしか効果のないこと・ただ意識の高いこと、で

          ルーティンや習慣

          元気あるなし。

          元気がある時とない時と、誰しも波があると思う。 女性なら周期的な影響により、1ヶ月のうちで落差があるだろう。(この落差には、明確な比較はできないものの個人差があるという。)個人的に私はこの落差に振り回されがちなので、このnoteはその一助にしたい。 きっかけは、(おそらくホルモンバランスの影響で、)私の元気が突然戻ってきたこと、だった。きょうはきのうまでとは頭・心・身体の状態が変わった感覚があった。 たいていの元気な時には、元気じゃない時の自分のために対策を考えよう!と

          元気あるなし。

          誰しも生きる価値がある、ってどういうことなんだろう。

          こんな難題について書こうと思ったのは、凄惨な事件に世の中が心乱され考え続けているからだし、産まれたばかりの赤ちゃんに触れて尊いと思ったからだし、私自身が自分を軽んじる自分を吹き飛ばしたいから。 最初に少し自分の話をしたい。私はいま現在、社会的な場でなかなか発言をできなくて困ってる。それはもともと性格的に場を乱したくない、雰囲気を壊したくないという気持ちが強いから。でも、自分の意見をしっかり持っている私が日に日に強くなっていて、いよいよ自分の中で折り合いを付けようと思った。

          誰しも生きる価値がある、ってどういうことなんだろう。

          くま

          ぼくは くま ずんぐりむっくりのくま ちゃいろいふわふわ毛のくま ひるも よるも たくさんねむる はちみつたべるの だーいすき むしや小さなどうぶつたち もりの木々とはなかよしさん ひなたでうとうとしていると いつのまに お鼻にちょうちょがとまってる ぼくのからだのまわりでは りすが ぴょこぴょこはねまわる ぼくが話しかけると お花たちはそよそよほほえむ ぼくは だれと なにをするでもなく ひとりで でもみんなといっしょに くらしている く

          松下村塾のような場。

          職場の上司に、例外となった人がいる。 そこから地位を積み重ねていくことはできない、と'思われていた'立場から登れるところまで登った人。その人はいままではなかったルートを自分で切り開いた。例外だったその道は例外ではなくなり、後ろに続く人をも生んだ。 その人がある時話してくれた話が印象的だった。 若いときは別の仕事をしていた。お給料はとても良いけれど、若いうちしかできない体力と精神力のいるバリバリ系の仕事だったらしい。いまでも飲みに行くのは好きな人だけれど、当時も、仕事つな

          松下村塾のような場。

          ごくごく小さい頃からずっと、宇宙や海がこわかった。

          ごくごく小さい頃からずっと、宇宙や海がこわかった。 なぜかは分からない。でも、意識をそちらに向けると気が遠くなってくらくらしてくる。取り込まれてしまう気がする。遠のいてついには失ってしまうのではないか。深く考えてはいけない、そう思った。 まだ誰も端っこにたどり着いていない。全貌の分からぬ深い闇。 こわいのは強く引かれている証拠だ。その偉大さに。神秘に。どんな生命をも超えたその力に。近づいてはいけないとわざわざ思うのは近づきたいからだ。 近頃はこう思う。 畏れ多い。で

          ごくごく小さい頃からずっと、宇宙や海がこわかった。

          母とふたりで買い物へ。

          きょう、数年ぶりに母とふたりで買い物へ行った。今回は私の靴を求めて。ここのところで言うと、姉も含め3人で、ちょろっと行ったことはあったかな。でも私自身が家族と買い物することを避けてきたところがあった。長らく、あらゆる買い物はひとりでふらっと、が私の普通だった。 それが、今月初めに「あなたと一緒に買い物行ってみたいな~」と母が言った。正直少し驚いた。「どうしたの、急に」と笑いながら聞くと、「え~なんとなくふとそう思ったのよ。お姉ちゃんとは行くけど、あなたとは行かないなぁと思っ

          母とふたりで買い物へ。

          言語化のすすめ。

          ツイッターでつらつらと書いているうちに閃いたので、忘れないうちに。言語化できるってどういうことなのか。 昔の私は自分の気持ちを伝えるのがへたっぴだった、気がする。考えを伝えるのも別段上手くはなかったけど、こと気持ちに関してはその印象が強い。というのも、伝える前にどんどん溢れてくる自分の感情にのまれるのだ。家でとにかくよく泣いた。恥ずかしいけど、たぶん中学生くらいまで特に。悲しい。腹が立つ。悔しい。話しながら感情が溢れて泣く。自分がどう考え、どう感じ、どんな経路でもって現在の

          言語化のすすめ。

          満ちて溢れるまでの話―新年の目標に寄せて③

          器を”私の源”で満たすことが、’いまの私’の幸福感・安心感につながっていく。過去の自分がどうであったのか、どんな過去を持っているのかは関係がない。未来にどんな不安があるのかも関係がない。’いまの私’が一時の幻の幸せではなく、地に足のついた幸せを感じられるかどうかは、器が”私の源”で満ちているかどうか、がただただ大事なのだ。 ここで、どうしても押さえておかなくてはならないこと。それは、 自分の器を”私の源”で満たすことができるのは、自分自身だけ、ということ。 もともと自分満た

          満ちて溢れるまでの話―新年の目標に寄せて③

          満ちて溢れるまでの話―新年の目標に寄せて②

          『2020年の大きな目標は、「私と周囲の人々に目を向けていくこと」。・・・・・・・こんな目標を立てたのは、’いまの私’が満ちている人間であり、’以前の私’と比べても人に多くを渡せる、と思えたから。単に多いというより…質・量ともに段違いかもしれない。』 ちょっと前回のこの表現、言い切りすぎでは?!謙虚になった方がいいのでは?!と、ある私が私に言ってきた。少し怖くなったのだ。自分を過大評価していないか、過信していないか、と。でも、やはりこの表現のままでいきたい。いまの私を満ちてい

          満ちて溢れるまでの話―新年の目標に寄せて②

          満ちて溢れるまでの話 ―新年の目標に寄せて①

          2020年の大きな目標は、「私と周囲の人々に目を向けていくこと」。 そうして何かありがたいことに気づくたびに、感謝の気持ちを持つ。感謝を伝える。助けが必要な時は手を貸す。手を借りる。長所をみつけては敬意を表する。もちろん無理はしない。自分の身は削らない。 こんな目標を立てたのは、’いまの私’が満ちている人間であり、’以前の私’と比べても人に多くを渡せる、と思えたから。単に多いというより…質・量ともに段違いかもしれない。ここで、’以前’にさかのぼってみる。 2019年の1月、

          満ちて溢れるまでの話 ―新年の目標に寄せて①

          なぜ書くの?

          最初はまっさらだったから戸惑いはなかった、何度も書き直しながらずっとドキドキしていたけれど。漠然と書きたい気持ちはあったものの、記事を書いて、しかもTwitterで公開するとは今まで想像もしていなかったことだったし、文を書くことでこれから私は新しく生まれ変わるような気がしたから。大袈裟かしら。 だけど、いざ読み手の皆さんがいて、何かを書くとなるとすごく戸惑っている自分がいた。どうせなら面白いと思って欲しいとか、心が動いてくれたら嬉しいとか、じゃあそのためにはどうすればいいの

          なぜ書くの?