何度でも私は私を選ぶ。

ほんとにね、笑っちゃうくらい自信がない。そろそろ呆れられちゃうかもしれない…笑

もっと自信持っていいんだよって優しい人たちが言ってくれる。

それでも当の私は、自信が持てないし、すぐ不安になるし。

だけどね、もう自信のない私だっていいじゃない。不安になる私だっていいじゃない。

そのままで生きていってもいいじゃない。

そんな私だからと、怖がることはない。色んなことを諦めたり、妥協する必要はない。

たぶんね、自信や不安って、あってもなくてもどっちでもOKなんだ。たくさんある人も全然ない人も同様に生きていけるし、なんでもできるんだと思う。うーん、上手く言うの難しいけど。そう思えた時に不思議と、自信がないとか、不安がたくさんだとか、気にならなくなるものなんだと思う。

抱えたままで生きていくかぁって。どちらにせよやることは変わらないから。そこに注目している以上は、抜け出せないから。

だから、私、「もっと自信を持っていいんだよ」「そんなに不安がらなくていいんだよ」って言われても、(もちろんその優しさを受け取りつつ)、「それが私なんです」って笑顔で言おうと思う。

きっと、ただただ私に必要なのは、どんな自分であっても、仮に世界に味方が1人もいなくても、自分とともに生きていくという信念を持つこと。

自信がないままの自分と、不安になりやすいままの自分と、ともに。

信念って決め続けること。信念から離れてしまうことがあっても、その度に立ち返っては決め直すこと。

そしてきっと、ともに生きていくって、自分の意思で選ぶということ。自分に対して、"あなたに決めた"って。自分事をちゃんと自分事として、外側の事としないこと。自分の責任の範疇に入れて、付き合っていくということ。

実際の世界は、すごく優しい。味方はたくさんいる。ある意味、私は世界に甘えていたのだろう。信念を持たなくとも、脆いまま翻弄されながらも、生きてこられたのがその証拠。そう、信念のないものは脆い。

自分を受け入れられなくて辛いと思うことがあっても、周りに甘えながら、生きてきた。このままでもきっと生きていける。(単に甘えるのがダメなわけじゃないよ。)

だけど、せっかく生まれてきたのだから、この身体が、心が、時間があるのだから、自分にとことん付き合ってあげたい。

もしかして当たり前のことかな?みんな自然とやっているのかもしれない。私は遠回りしてきたのかもしれない。いや、案外気付かないまま生涯のを終える人も多いかもしれない。

分からないけど、いま、こんな風に思えていることは嬉しい。

似たようなことは、何度も思ってきた。それだけ私がこのあたりのツボにハマりやすいということ。だけど、何度ハマって、何度抜け出しても、無駄ではないはず。大袈裟なようだけど、こうして書くことはどんどん私の力になるはず。

ちょっとこれはパートナーを選ぶのに似ている。自分相手だと、選ぶか選ばないかの二択しかないし、一生離れられないけれどね。

私は自分の意思によって、私と生涯を共にすると決めた。私がいつでも味方でいるし、寄り添うし、話を聞くし、後押しをするし、笑顔にするし、誓って幸せにする。どんと任せろ。

他の誰でもない私だからこそ、私に対してできること。


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