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白紙に連ねる言葉

こんにちは。まだ11月上旬なのにもう街がクリスマスムードで禿げてしまいそうです、みうです。
私は塾でバイトをしているのですが、バイトのシフトをクリスマスにバッチリ入れようか入れまいか…。

バイトを入れたくないのは決して一緒に過ごす人がいるから(もしくはこれからそうしたい人がいるから)とかではなく、小学生からの「みう先生、今日クリスマスだね!なんでここにいんのー?(ゲス顔)」を回避したいからです。いいだろ別に!!(以下自粛)

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真っ白なノートを買った。

ここ最近で仲を深めつつある友人が、5mm方眼ノートを使っているのを見かけました。
私が方眼ノートいいね、使いやすそう、と言うと、彼女はその魅力を存分に伝えてくれました。実際にそのノートの中身を見せてもらって、使いやすいというのがさらに伝わってきました。

彼女はそのノートで勉強をしていました。大学の講義用のノートではなく、留学に向けて自分で調べたことなどを書き留める用のノートだそうで、私が見せてもらった中には留学の審査(面接)に向けて書き留めたメモがありました。几帳面な字でびっしり書いてあって感動しました…。

かく言う私も方眼ノートユーザーではあり、小さなサイズのものをメモ帳として持ち歩いていますが、そのサイズから本当にメモとしてしか使いません。
今パラパラと見返してみても、課題をやるときのメモとか、人に何かを相談するときのリスト程度しか残っていません。

そんな私は完全に彼女に触発され、その日の帰りに私は文具店に立ち寄りました。しかし、買ったのは方眼のノートではありません。

無地のB5リングノートです。

なんの変哲もないただのノート。いくらパラパラと見てみても、そこには何もない綺麗な真っ白なスペースが広がっているだけです。

(結局後日方眼ノートも買いました。バレットジャーナルをつけてみたいと以前から思っていて、文具店に立ち寄った時にはまだ迷っていたので買いませんでした。これについてはまた今度。)

最初はもちろん方眼ノートを買う気でいたんです。確実に。
でも気がついたら「plain」と書かれたノートを買っていたんですね。あら不思議。

当たり前なんですけれど、帰って見てみてもやっぱり真っ白。
お店の光とは違う、自分の机の上の真っ白な光を反射して輝いていました。

はけ口をもつこと

どうして私がそれを買ったのか。まあきちんとしたといえばきちんとした理由があります。
その一つは、私が懇意にしている人とのやり取りの中で、心の琴線に触れる言葉を書き留めるためです。
手で記しておくことに何か意味があると思った自分は、めちゃくちゃ長い文章からそうでもないものまで、とにかく残しておきたいと思ったものを全てそれに書き留めました。
まだ全ては済んでいないので、試験が終わったら再開します。

そしてもう一つ。こちらはより大きな理由ですが、はけ口を作るためです。
心の琴線に触れる言葉を記録しておくだけなら、白紙でなくてもいいのです、正直。

人間関係で困りごとがあると私は友人に相談します。その友人は私がどんな状態で相談を持ちかけても、いつでも話を聞いてくれるし、時に共感を、時に意見をくれる人です。

有難いと思う反面、これじゃ駄目だ、と思う自分がいるのです。

ある程度の怒りだったり悩みだったりは自分で解決できるのですが、何でもかんでも人に頼ってばかりでは自分は何もできていないのと同じことだと感じました(遅い)。とりあえずリアルタイムでそのときの感情を記しておく場所、つまりはけ口が、私にはないことに気がつきました(遅すぎ)。

時には書き殴り、時には理路整然とした思考をそのまま紙にアウトプットしたり。そして時にまた、琴線に触れた言葉を書き留めたり。
もともと紙に書くことが好きな自分には向いていることかもしれません。そのノートをどこかに置き忘れて誰かに見られでもしたら終わりですが。ハイリスク。

そのノートを使い始めてからまだ数週間。
全く使わない日もあれば、3ページも書き連ねる日もあります。
白昼に書くときもあれば、寝落ち寸前に書くときもあります。
堂々と怒りを書くときもあれば、普段言葉にする時のようにちょっと遠慮がちに書くときもあります。

でもそのどれもがその一瞬の自分の心情につながっているわけなので、素直に書きたいように書けばいいかなあ、という感じです。まるでこのnoteのように。

ただ、あくまでこのnoteには文章をタイプすることしかできないし(写真や動画も載せられるけど)、自分の頭の中を全部パブリックなこの場で大公開する必要もないし、そもそもここではまだ載せられないようなプライベートを極めたトピックもあるので、そう言う意味で、この白紙のノートは「noteに投稿する前のメモ」みたいなものでしょうか。

さらに言い換えてみれば、自分の脳内のハイライトみたいなものです。今日の感情の機微のハイライトをリアルタイムでお届けします!的な(ハイライトとリアルタイムって両立するのか?まあいいや)。

日常のちょっとした心の動きを、誰にも見られないのをいいことに素直にアウトプットできるはけ口は、きっと私が知らず知らずのうちに求めていたものなのかもしれません。

この白紙のノートを使い始めてから、自分でも思考を整理することができるようになったり、自分の気持ちを大切にできるようになったり、友人と相談したいこととしなくてもいいことの分別がつけられるようになったり、いいことづくめです。

そしてなぜ「心の琴線に触れる言葉」と「日常の感情の機微」を同じノートに記しておくのかといえば、(((この記事を書いているうちに分けたほうがいいような気もしてきたんですが、)))完結に言うと、どちらも同じくらい大切にしたいからです。
「いつでもその時のことを忘れない」という意味で、その2つを同じ場所に置いておくのは何らかの効果があるのではないかな、と感じます。


あ、もう1つこのノートを使って気づいたことは、自分の字がみるみるうちに退化していたことです。なんか、象形文字みたい。
大学生になってからの約1年半、ほとんどタイピングに頼った大学生活を過ごしていたせいか、人に見せられる字が書けなくなっていました。
そういう意味でも手書きのアウトプットって大事ですね。

意味の分からない締めになってしまいましたが今回はこの辺りで。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。