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「一日一食」あれこれ

「一日一食」を公言してから何年になるだろう。「一日二食」はすぐにできた。朝は家族の朝ご飯とお弁当を作って、場合によっては子どもを学校まで送ることもあった。帰ってきて、洗い物がシンクにたまっているのを横目に(食洗機がないので)、冷めた朝食を食べる。ふと、「そこまでして食う?」と思った。一日三食は食べ過ぎだという話をチラチラ聞いていたから、朝を抜くことにした。特に、おなかがすくこともなかったから、簡単に移行できた。

でも、「一日二食」から「一日一食」への移行はハードルが高かった。だから、「一日一食」と言いながら、冷蔵庫管理者ゆえ、残り物をつまんだりした。たぶん、その状態が2年くらい続いたと思う。食事作りをしていなければ、もう少し簡単だったかもしれない。

今は「一日一食」を公言できると思う。

でも、お正月は二食だった。姑がお節を用意してくれたし、家族で食べるという行事だから、朝の十時頃食べて、夜も食べた。こういった「つきあい」で二食、三食になるのはOKということにしている。旅行に行ったときも、私一人であれば一食しか食べないのだけれど、誰かと一緒であれば、食べる。でも、その後、「一日一食」に戻す。というか、そうしないと身体がしんどい。

残り物のつまみ食いをやめて、本当の「一日一食」になったきっかけはよく覚えていない。一つには、食いしん坊の夫がガツガツ食べているのを見てケダモノに見えたからだと思う。『千と千尋の神隠し』の冒頭でお父さんがガツガツ食べて、その後ブタになったイメージに近い。

また、「食べる」という行為が一つの大仕事になっているのを見て、「そこまでして食う?」と思ったことも大きい。食べることには体力がいる。姑などは食べ終わったら息があがる。そのエネルギーを片付けに当てれば時間もできる。

食事作りの担当者は、材料を調達して、作って、食べて、片付けするなど、1日の多くの時間が「食べること」に費やされてしまう。この時間を少しでも減らしたい。

「専業主婦なんて、時間がたっぷりあって、ヒマなくせに!」「時間を作って何をするの?」と言われそうだけれど、色々とすることをみつけ出すことができるほうだ。こういうことができるのが本当の教養だというのをどこかで読んだことがある。食べることも、病気も暇つぶしと言ったら叱られるだろうけれど、テレビにおもりをしてもらって、三食を食べて、間食している人生の先輩を見ていてそう思う。

そもそも、大地が汚れているのだから、色々気を遣ったところで、食べるものも水も悪い。肝臓をはじめ内臓にできるだけホワイトな労働環境を提供しようと思えば、労働時間を減らすのが一番。それなのに、悪いモノを三食+αを食べて、病気になる。することが増えたら、ヒマが潰れる・・・

なんてことを言ったら叩かれるだろうな。読む人が少なくて本当に良かった。私は変人だから、そんなことを思う。


変人と言えば・・・

甘いものは食べないし、テレビは頭が痛くなるし、現行医療(救急医療以外)を避けるし、その上、「一日一食」!?

これまでは「変わった人!」と言われるのが、めんどくさいし、イヤだなと思っていた。マイノリティであることを自覚しているから、リアル界の”常識”に合わせていた。でも、多くの人が虚構世界に生きていて、私はその住人ではないことが分かった。

そもそも住んでいる世界が違うのだから、虚構世界の”常識”を気にする必要があるのかということだ。ネットの炎上もコンセントを抜けば、無かったことになる。それと同じ。

そのことに気づかせてもらった茶番に、心からお礼を言わなきゃね!

虚構世界の”常識”に従わないなら殺すというなら、そのときはどうぞ!って話。死んだら、祟ってやろう。私、かなりしつこいからね。そう思うと面白い。


(タイトル画像:http://siawasephoto.blog112.fc2.com/blog-entry-789.html


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