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自己を中心にする生き方ではなく

ウクライナが一方的にかわいそうというメディアの報道を鵜呑みにするのは危険です。だからと言ってロシア・プーチン氏の方に正義があると考えるのも、安直にすぎるのではないかと思います。

高度な情報戦のなかで、ひとつひとつの事象について、何が真実かを突き止めるのは、非常に困難です。そんななかで最も大切なことは、いろいろ調べた結果、自分はどうするか?ということです。

例えば、知ったことについて、外部に向けて情報発信をするというのは、ひとつの行動ではあります。けれども、それにどれだけの意味があるでしょう。

「動いてこそ世界は変わる」より

私の行動としても「調べて伝える段階」は終わったと思っている。うんざりするほど同じパターンで、追いかける時間がもったいない。信頼できる人、考え方に共感できる人の情報をいくつか見れば、何が起こっているのかがなんとなく分かる。それでいい。本質は同じだから。それ以上求めるのは、情報を求めるのが上手い人に任せたらいいと思う。

竹内さんもめいこさんもおっしゃっているけれど、そろそろ行動の段階だ。

私の場合はその一歩前の、「○ロナ脳だらけの中で、どう行動するか」の根幹の思想を固めている段階だ。めいこさんのように過激に(!)挑むのも手だと思うけれど、私が置かれた場所ではあまりいい方法ではない。

○ロナ脳の人と同じ土俵に立つと、とても消耗するし、エゴで支配しようとする人たちとどうつきあうかは迷うところだ。

中村先生のおっしゃるとおり、接種者から出る本家本元のスパイクなんちゃらのような毒から、自分の健康を守ることも考えなければならない。


○ロナ脳は、その全てにおいて自覚がないから本当に厄介。

でも、何か行動を起こそうと思えば、こういう人たちと関わることが私の仕事になる。私は若くないし、子育ても終わっている。無駄死にはしたくないが、必要以上に生き残る理由はない。そういう用無しにこそふさわしい仕事だと思う。

こういう仕事をするに当たって、その中心に据える思想のようなものを探している。

結局、
「自己を中心にするのではなく、お天道様だとか神様を中心に据えた生き方をする
。」

ということかな。

吉村氏は、「自己を中心にする生き方」が諸悪の根源だと言う。

確かにね。例えば、フェミニズムが女性に対して「自己を中心にする生き方」をすべしというキャンペーンをやってきたわけだけれど、女性は幸せになったのか?この茶番になって、年収が低くて大変な女性もいるけれど、私と同じくらいの歳の周囲の高学歴者の女性、勝ち組と言われるような人のほとんどが、うつ病、癌、糖尿病などの慢性疾患だ。そして、この茶番のど真ん中で巻き込まれている。

話が逸れたけれど、

自己中心ではいけないが、相手中心でもいけない。肥大化していく他人からの期待や理不尽な要求を満たしてあげることは決して正しいことではない。

『日本人の信仰が世界を救う』p86

「相手中心」に巻き込まれるワードとして、権威のある人が言うから、というのがある。でも、これより困るのが、病気だから、高齢者だから、親だから、仕事だから・・・。

神様やお天道様の前では、これらの「だから」なんて意味のないことだけれど、その人たちには理解できない。理解できないからと、私のほうがいやいや従ってきたけれど、その「○○だから」は無視してもいいのではないか?その人の価値基準(それが世間一般に認められていることであっても)には従う必要はない。

吉野先生がよく「神様を喜ばすために」とおっしゃるけれど、「愚かな人」からブーイングされようが、喜ばれようが、それは問題ではない神様やお天道様が喜んでくれることが重要だ。

感情移入しないこと、その人のためにしゃべらなくていい、じゃあ、誰のためにしゃべるのかというとね、真実と道徳と自由、この普遍的であり絶対的な価値のためにしゃべるわけ。

無知を選択する人との付き合い方
https://youtu.be/cqoAmO4-rV4

「普遍的であり絶対的な価値」を神だとかお天道様に言い換えると、めいこさんも同じようなことをおっしゃっている。



わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。・・・わたしにつながっていなさい。

ヨハネの福音書 15章


父とは神のことで「普遍的であり絶対的な価値」のことだ。だから、親であれ、子であれ、その人たちをどうするかは神の担当で、私の担当外だ。


などなど、そういうことを考えつつ、私は次のステージへ行く・・・


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