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ナラティブ

住むところが変わり、姑と同居し、4月から専門学校(この歳で!!)に行く。茶番が始まる前も、茶番が始まってからも、常にパソコンが机の上にあった。でも、今は夫が使っていたという古い机の引き出しにパソコンをしまいこんでいる。前回も書いたとおり、書きたい!という欲望が減退した上に、パソコンを立ち上げるのに手間がかかる。noteはパソコンでしか見ないし、書かないから、もう、書かないのじゃないかと思っていた。

で、書いているのだから、やっぱり中毒???・・・かもしれない。


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実は、一昨日あたりから、一つの言葉が頭を回っている。

「ナラティブ」

頭の中を整理したいと思うので、書くことにした。

「ナラティブ」というのは、英語のnarrative で、原形は古語であるラテン語の narro から来ていると考えられる。 narro から派生した英語として narrative の他に、「ナレーション(narration)」「ナレーター(narrator)」等が挙げられる。narro には、話すことで伝えるという意味合いが含まれていると考えられ、「語り」と訳すとしっくり来る。(http://narrative-career.com/what-is-narrative/ より抜粋)


「物語」という意味の「ストーリー」とは違うのか?

物語を表す英語としてはストーリー(story)の方がなじみ深いですが、作り込まれたシナリオに沿って一方的に語られる物語がストーリーであるのに対し、語り手自身が主人公となり現在進行形で自由に紡いでいく物語がナラティブです。(https://liaison-kikaku.co.jp/labo/column/2021/12/16/1588/#%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81)


医療・看護、ビジネス、臨床心理学などに応用されているようだ。相談者自身が語る物語を出発点として問題を解決するきっかけを見出す手法として、「ナラティブアプローチ」が注目されているようだ。


結局、ナラティブとは、「語り手自身が主人公となり現在進行形で自由に紡いでいく物語」ということのようだ。



私は周囲の人が、それぞれが紡ぐナラティブの”脇役”として登場する。人によっていろいろなキャラ設定をされる。総じて悪役が多い(笑)。

最初にこれに気づいたのは、4,5年前の家庭科の免許を取ったときだ。講師がゴリゴリのフェミニストで、それに逆らうような意見を言った。男の子と女の子の育ちを間近に見てきたのだから、講師の見方は一方的だと思った。直前に多様性が大事と言っていたから、このような意見にも耳を傾けるだろうと思った。それは想定外だったらしく、ちょっと狼狽していた。それから、形勢逆転とばかりに、勝手に私をキャラ設定して、ああでこうで、だからアンタは間違っている!とまくし立て、最後は勝ち誇ってガッツポーズをしていた。という話は、以前に書いたと思う。

学生時代の友人や、身内にとっても私は悪役だ。彼女たちが勝手に作り上げた私の虚像に対し、いかに極悪非道かをまくし立てる。そんなこと言ってないのに!と思うけれど、言えば油を注ぐことになるから、黙っている。そうしたら、「ほらごらん!」と勝利宣言される。

と思えば、「正義の味方!」というキャラ設定もある。ダンナなしで姑と同居をするなんて、なんて出来た嫁なんだ!という高評価が、姑界隈、夫の周囲から上がる。私にすれば、もちろん、高齢で足が悪い姑が心配だからというのもあるけれど、別にだからというのは理由ではない。私はプー太郎だったし、家から通勤していた末っ子がちょうど転勤で家を出た。夫の兄弟はそれぞれあって、一番動けるのが私だからだ。それと、強烈な○ロナ脳の身内や周囲の雰囲気から逃げるというのも大きかった。

姑には姑のナラティブがあって、それに沿ったことをするのが姑の満足度が高いのも分かっている。たとえトンチンカンなことであっても、その通りにする。おかげさまで、お菓子や甘いものを食べない、一日一食は受け入れてもらった。「変わっているね~」とは言われたけれど。


周囲の人のナラティブの脇役はいくつか回ってくるけれど、悪役にしろ、正義の味方にしろ、居心地が悪い。その人たちが作った私の虚像だから。それは虚像なんだと本当は主張したいけれど、やっても無駄なことが分かっているから、「悪役」のキャラ設定をされたなら、お互いの不快をこれ以上増やさないために物理的に離れるし、「正義の味方」であれば、上手に使わせてもらうことにした。

じゃあ、私のナラティブって何だろう?と思う。自分が主人公というのは収まりが悪いから要らない。私がナンボのもの?って話。

ここまでは個人レベルの話。


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今度は世界的な話。あちらさんもナラティブを使っている。

例えば、自動車メーカーが「あなたと車の物語」というような広告を展開することによって、顧客は「このメーカーの車を選べば自分の未来はこんな感じになるだろう」と想像を膨らませます。このように、顧客側が主人公となるような物語を体験させていき、ブランドと顧客が一方通行ではないコミュニケーションを展開していく手法をナラティブ型と呼んでいます。(https://woman.mynavi.jp/article/210630-18/)

マス○を個人個人がすることによって、「あなたと感染症の物語」になり、ウ○ライナへ募金することによって、「あなたと○シア・ウ○ライナ紛争の物語」になる。あちらさんは資金がたっぷりあるのだから、お金を集めたいのじゃなくて、「人々を参加させる」ために募金を呼びかけているのだと思う。節電を呼びかけるのもその流れだと思う。

人々から集めた募金で武器を買い、人殺しをする。エグいよね。こういう構図を思い浮かべると、肉骨粉を食べた牛が狂牛病になった事件を思い出す。共食いだから。


と言ったところで、私にできることは何もない。せいぜい、私自身が「ナラティブ」に巻き込まれないようにするということだ。個人レベルであれ、あちらさんが仕掛けてくるものであれ。


ああ、これでスッキリしたかも~。これで「ナラティブ」が頭の中で回らない~~。











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