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沈黙

クリスマス・イブに除夜の鐘の話を持ってくるなんて、noteでは、私一人だったかもしれない。昨日がクリスマス・イブだったことは知っている。

クリスマスと聞いて私が一番に思い浮かべるのはクリスマス・ケーキ。

25歳を過ぎても結婚できない女性を、クリスマス・イブの翌日に安売りされるクリスマス・ケーキに喩えられることもあった。それもいやだったけれど、とにかく、クリスマス・ケーキは甘ったるくて気分が悪くなる。ふだんは美味しいケーキ屋さんのケーキも味が落ちる。ほとんど砂糖を摂らない生活をしている今であれば、どんなケーキでも食べると気分が悪くなるのは見えている。クリスマス・ケーキの顔など見たくない。

クリスチャンでもないのにどうしてお祝いするのかは、子どものときから不思議に思っていた。冬至のお祭りだと思えば、それでもいいんじゃない?と以前は思っていた。でも、ハロウィンが”導入され”て、浮かれているこの国の人を見て、クリスマスもどうよ?と思った。

私の住んでいるあたりは、秋祭りが盛んだ。宵宮、本宮、二日酔いのために三日間仕事を休むのが通例で、この日のために1年を過ごしている人もいる。よそ者の私があきれるほど祭りが好きだ。今年はこじんまりとやったところはあるけれど、中止しているところもある。でも、ハロウィンはお祭りしたようだ。市もイベントに協力していたようだ。その日の夜、たまたま市のシンボルを見かけたら、不気味にライトアップされていて、悪魔に乗っ取られたのかと思った。ちょっと大丈夫?って。

その流れで来ているから、クリスマスはスルー。つまり無視。と言って、こうやって記事を書いているから、どうしようもないね。

12月25日はイエスの誕生日ではないことはわりと知られている。「聖書」の記述からすると、イエスの誕生日は、秋の初めごろという計算になるそうだ。


そもそもクリスマスとはどういう意味か?

英語で書くと「Christmas」。Christがキリスト、masはミサという意味。クリスマスとは「キリストのミサ」という意味になる。「ミサ」というのはカトリックで行われる儀式。

参考:https://www.sacs-bar.jp/column/christmas-history/


あ~、なるほどね。

たまたま、こういう記述をみつけた。

四世紀にコンスタンティヌス大帝がキリスト教をローマ帝国の宗教として公認したとき、福音書の教えは停止された。四世紀当時、これは革命であり「迫害されていた教会」が「迫害する教会」に変身した。

『誰が世界を支配しているのか?』(ノーム・チョムスキー)p39

お~!

もっと詳しく知りたいと思って、これについてググってみたけれど、それらしいものに出会わなかった。都合の悪い情報なのかもしれない。この本の著者であるノーム・チョムスキー氏は言語学者として有名だけれど、こういう政治的なことは調べて調べてモノを言っている人。以前、ある人に勧められて「メディアコントロール」の動画を全部見たことがある。調べているよね~。一人でじゃなくて、仲間といっしょに。誠実な人だと思うし。

ちょっと古いので、テレビではなく新聞報道についての動画だけれど。これを見てから、新聞の偏向が分かるようになり、購読を止めた。新聞が読めなくなったのが仕事を辞めた原因の一つでもある。

話が逸れたが、「福音書の教え」って、キリスト教の肝であることは、「聖書」初心者の私でも分かる。それを停止させた”キリスト教”って抜け殻じゃないのか?そこにいろいろな土着の宗教などをぶっ込んだということか。

コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したのは、政治的意図だったからで、彼自身は晩年になるまでミトラス教を信仰した。ミトラス教は当時のローマで最大の宗教勢力で、最大の祭は、太陽神ミトラスの誕生日である冬至の祭りだった。改宗したコンスタンティヌス帝が意図的に12月25日の日付を使った事も影響していると考えられる。

参考:http://members.ctknet.ne.jp/verdure/Christmas/Christmas_1.html


そして、キリスト教が公認されたことにより、

「迫害されていた教会」が「迫害する教会」に変身した。


そういう目で見ていくと、キリスト教美術も、見方が変わってくる。今日のタイトルと同じ遠藤周作の小説『沈黙』も、今読んだら以前と違う印象を持つと思う。

どう説明したらいいのか分からないけれど、私はどこの教会にも所属していないし、これからもしないと思う。だけど、「聖書」に書かれていることは真実に近いと思っている。もちろん翻訳の問題はあるけれど。

そうなると、甘ったるいケーキのイメージしかないクリスマスはスルーするのが私にとっては自然の流れだ。


人々が楽しんで、商売も繁盛する。それでいいじゃないか?

それについては、今回の茶番やハロウィーンと同じで、同意も批判もしない

沈黙するだけ。

つまり無視をするということだ。それで、別に寂しくもないし、したいことは他にあるから。テレビを見ないのと同じようなものだと思っている。


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