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お金の流れから歴史を見よ!

ずいぶん前に堤未果さんの講演を聴きに行ったことがある。堤さんは2001年の911を間近に目撃した。それからのアメリカの変化について話された。テロリストを取り締まるために、あちこちに監視カメラが設置された。国民はそれに同意したが、監視の対象はテロリストではなく国民。取り締まられたのは市民運動家のような人たちだった。そのほか、経済的徴兵制の話などもあった。

そういった話の全てが私の知らない世界だった。その中でも最も印象に残ったのが、「お金はうそをつかない」ということだ。色々とカモフラージュされていても、お金の流れを知ると、真実が分かるということだ。そうやってあたりを見回せば、あまりにも辻褄が合い、ストーンと腑に落ちる。最初のころの衝撃は大きかったけれど、あれもこれもかということで、最近は「またか」と思っている。

そうやって歴史は積み重なっていく。私は歴史の研究者でもなく、一次情報を丹念に見ることもなく、それほど詳しいことも知らないが、何はともあれ「お金」で歴史は動いているということだけは分かる。そういう視点でモノを言う人の話(できれば複数)と、私が見聞きしてきたこととを掛け合わせて、腑に落ちることを"とりあえず"採用している。というのは、別の話を聞いて、考えが変わる可能性があるからだ。

また、「お金」で歴史は動いているという話を、世の中の人は「インボー論」と言うのだというのが最近分かってきた。で、その人たちが基準にしているのは、「〇〇がそう言っているから」だ。〇〇は、権威のある人、権威のある雑誌など。

大橋眞先生がおっしゃっていたけれど、「”人”を信じるのは科学じゃない、宗教だ」って。ファウチ氏が、「私が科学を代表している」と言ったと聞いて、もうのけぞっちゃった。

「私が科学を代表している」ファウチ氏発言に共和党議員から批判の声 | 大紀元 エポックタイムズ (epochtimes.jp)


前置きが長くなったが、そういう私が「お~!」と思ったのがこちらの動画。


世界史と日本史を分けて習うのはどうなの?というのは私も思っていた。世界史も日本史もそうだけれど、一番力を入れられるのは「政治史」。「社会・経済」「文化」に分類されるものは、事柄や人物の名前を”覚える”だけで、それが、世の中にどういう影響を与えたかなどは無視される。「政治史」なんて、表面に現れたことにすぎないのにね。

私も天然痘のワクチンを開発したジェンナーについては、「文化史」の一つとして、名前と「天然痘の種痘を開発した」くらいを覚えていただけだ。〇クチンがいいものだと信じていたから、それ以上のことを知ろうともしなかった。

でも、〇クチンの普及が、清のアヘンにまつわる一連のこと(三角貿易、アヘン戦争)と同時進行で行われていたという話は、目からうろこだった。

1799年にフランス革命が終結した。ジェンナーの功績をなかなか認めなかったイギリス議会が、1802年になって、彼の栄誉を称えて賞金を与え、その権利を買い取った。そして、ヨーロッパで〇クチンが広まった。一方、アジアではアヘンが蔓延した。


日本には、うつ病なんてなかった。日本では、文化的に「憂鬱」は好ましいものとして、文芸にも取り上げられてきた。海外の製薬会社はそれを治すべき病気として括りだし、宣伝し、向精神薬を売った。そして、続くターゲットは子どもたちだ。子どもたちは、長くユーザーになってくれる。そこで、「発達障害」という概念を広めた。

医者が処方するものは大丈夫で、違法薬物はダメと多くの人が思っているけれど、「脳に作用する」という点では麻薬も処方薬も同じ。科学的根拠ではなく、法律で分類されているだけだ。

発達障害の定義も法令で決めているし、今回の蔓延なんとかも政府が言っているだけで、人々の身体にかかわる科学(あえて医療とは言わない)とは無関係だ。


そうやって、向精神薬を子どもにまで蔓延させるのは、アヘンでボロボロにされた清と同じようなものだということは、前々から思っていた。

薬害の勉強会で、製薬会社は〇クチンにシフトしているという話を聞いて、「まさか!」と思った。健康な人もターゲットにできるからだ。で、あれよ、あれよと言う間にこうなりましたとさ。

この国は、向精神薬で蝕まれ、〇クチンで蝕まれて、反抗すれば清のように攻め込まれるということかもしれない。敗戦国にさせられて、敗戦国だからと貪り食いつくされるということだ。本当に、あの人たちってヤクザ以上。

注目するべきは、儲けになるからと清側にも密貿易の協力者がいたということだ。今の状況とかぶるよね~。国がボロボロにされる時、必ず売国奴がいるということ。ガンディーも同じことを言っている。


この国には、そういった確信犯もいるけれど、本当に騙されているひとたちもいる。

この茶番の前、儲からない銭食い虫の文系を廃止すべし!みたいな議論があった。理系のことしか頭にない人ばかりになれば、こういう視点は得られない。

私は文系専業主婦だということで、二重、三重にバカにされてきたけれど、私を下に見てきた人たちが〇ロナ脳だったりする。周囲はそういう人だらけ。

伊比さんもおっしゃっているけれど、私もデモという形での抵抗はやらない。私にどれほどのことができるかはわからないけれど、世の中が「よい」としていることと反対のことを”信念をもって”やり続ける。人々が不幸になるから。全部か?と言われたらわからないし、人によって幸せと思うものが違う。でも、少なくともあちらさんが作り出した常識だから。単純な話、私の周囲にいる人には幸せになってもらいたいからね。でも、エゴには奉仕しないよ。


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