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最強の一匹オオカミ

「専業主婦=社会性がない」というイメージを持たれているが、空気を読む能力は必要以上に高いほうだと思う。だからこそ、疲れてしまうから、一人でいいやと思う。人間関係は1対1がいい

残念なことに、一人でいることに何の苦痛もないし、特に寂しくもない。することはいくらでも見つけられるから、退屈もしないお金もかからない。いや、お金をかけずに何かできたら、勝利のガッツポーズだ。

以前、薬害のことを考えるグループに入っていたことがある。いや、自分から入ったワケでもなく、ドンが私を仲間に加えてくれた。薬害のことを知りたくて勉強会に行っていただけで、グループに入ることは、ためらっていた。でも、やっぱり、無理だと思って、1年ほどで脱走した。

今回もそう。聖書について知りたいのだけれど、グループに入るには抵抗がある。信仰を押しつけない、「聖書の勉強」といいながら、キリスト教嫌いの私は、”キリスト教臭さ”を感じてしまう。一人で学べばいいじゃない?と思うけれど、やっぱり詳しい人の話を聴くのが早いし深い。幸い、ネットを探せば語ってくれる人がいるので、今はそれでやっていこうと思っている。

薬害のほうも、聖書のほうも、グループにいる人は、親切でいい人ばかりだ。でも”組織”を感じてしまう。グループにヒエラルキーがあるのは当たり前だし、いや、ヒエラルキーというよりは、先に入った先輩と後から入った後輩の関係で、営利で動く組織に比べれば、全然緩いけれど。

聖書自身にも「教会(建物ではなく人の集まり)」だとか、「群れ」だとかが書いてある。一人で学ぶのは難しいからだと思う。それに、グループの中で、1対1の関係はいくらでもある。でも、そのベースには特定の人物が中心にいる構造がある。ファンクラブみたいでイヤなのかもしれない。でもそれは、そのグループが発生した根幹だから、その構造が好きではないとなると、入れるグループなどない。

一度会ったきりで、長く会っていない人が、私に声をかけてきた。友人とケンカ別れした直後だったから、とても嬉しかった。私は1対1の関係として捉えていたけれど、あちらは講演会の集客の一環として声をかけてきただけだった。彼女は、私が彼女のファンだと思ったらしく、自分から声をかけたことさえも忘れているようだった。お友達を辞めさせていただいたのは言うまでもない。


考えてみれば、「一対一関係でなければ、イヤだ」と言って、それを貫けるのは、

一人でいることに何の苦痛もないし、特に寂しくもない。することはいくらでも見つけられるから、退屈もしないお金もかからない。

という、ヘンな能力があるからかもしれない。死ぬまで一匹オオカミかな。それはそれでいいし、必要があれば、必要なところに呼ばれるだろう。

まあ、そういうことで・・・



ふと思い出して、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を引っ張りだしてきた。1年前に買った本だけれど、今読んだら、あのときと別の印象を持ちそうだ。

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たまたま開けたのがここ。

あのころ彼はカマーラの前で三つのことを自慢したのを思い出した。三つの高尚な無敵の術、すなわち、断食すること―待つこと―考えることができた。それが彼の所有であり、彼の強みであり、力であり、確実な杖であった。(p121)


「待つこと」、「考えること」はできそうだけれど、問題は「断食」よね。これができれば、無敵だわ。

欲望がコントロールできると、他人に手繰られることがない。

これも、この本のどこかに書いてあった。不食の人の森美智代さんが、断食ができれば、他の欲望もコントロールできるとおっしゃっていた。ガンディーさんも、どこかで言っていたと思う。


私は一日青汁いっぱいの食事になって
食べる楽しみは失ったけれど、
その代わり
生きる楽しみを得ました。                    (「不食の人、森美智代さんから学ぶ『食べること』を変える」より) 

1日1食で、2日間の断食しかやったことがないけれど、それだけでも気づきが多くなった。まだまだ「食べる楽しみ」を手放せないけれど、他の人に比べたら、ちょっと薄くなった。もともと「食べる」というのは、命をいただくこと。そこが吹っ飛んだ「欲望」はできるだけ小さいほうがいい。

一匹オオカミとして、また当局の締め付けがもっと厳しくなったら、断食が最強の武器になる。それに、利他をしようと思えば、私自身が強くなければいけない。

でもまだもう少し、「食べる楽しみ」を満喫させてもらおうと思う。

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