こどもというよくわからないいきもの
昔はこどもが苦手だった気がする。
今日友だちのこどもといっぱい遊んで仲良くなって「こども慣れしてるね」みたいに言われたときに、そういえば、と思い出した。
地元で年の離れたいとこや親戚のちびっ子と遊ぶときは接し方がわからなくて戸惑っていたものだ。それがなんだか懐かしいことに思う。
自分の中で何が変わって、苦手じゃなくなったのか?
大人になったから、とざっくりまとめてしまえば概ね間違ってはいないだろうけど、別にちゃんとした大人でもこどもが苦手な人だっている。
じゃあ逆に苦手意識はどこから来るのか?
何を考えてるかわからないから、という理由かもしれない。
でもそれは私の家にいるいきもので例えると猫やモルモットも同じだし、大人の人間である夫だってそうだ。家族や友だちも他人であることには変わりなく、頭の中は覗けない。
それでもちゃんと相手を観察してコミュニケーションを取れば、なんとなく成り立っているように思える。(もしかしたら一方通行の場合もあるかもしれないけれど)
子どもだからよくわからないわけじゃなくて、大人だってよくわからなくて、よくわからないけど対等に敬意を持って接してたら仲良くなれるのではないだろうか。
他人と接するときなんて、そんなもんなんじゃないだろうか。
なんて、こどもを産んだこともない立場での思いつきの言葉だけど。
それくらいゆるい気持ちで自然と仲良くなれる人を大切にしていきたいなあ、なんて眠たい頭で考えているよ。
よくわからないけど可愛いいきものが会うたびにすくすく育っていて、生きづらい世の中をどうか楽しく過ごせますように。
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