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気ままにじんぶん

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哲学・社会・心理・教育・アート・デザイン系の本を読んだ感想や、関連して考えたことを書いていきます。特に現代思想・現象学・身体論あたりに興味があります。
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書くことの愚かさを引き受け、愚かさを通じて私たちが接続されるために

書くこととは原理的に、ひとつの「愚かさ」を引き受けるという選択だと思う。 そしてそれは悪いことではない。「愚かさを引き受ける」とはぼくにとって「生きる」ことと同義なので、けっしてシニカルに言っているのではない。逆に言えば、愚かさの反対の「賢明さ」とは、それを究極まで突き詰めれば、何も言わないことであり書かないことである。(中略) 多くの人は愚かさを避け、自分が愚かに見えることを避けて、ひたすら賢明さだけを追求しているように思える。賢明さを突き詰めた先には死しかないのに、あるい

斎藤環 / 「自傷的自己愛」の精神分析

最近本をかなり買っている割に,あんまり真面目に活字を追えてない気がするので(少し読んでは積読,の繰り返しです),ここはケジメとして本を読んで考えたことをしばらくnoteに書いていこうと思います.今回は,斎藤環『「自傷的自己愛」の精神分析』(角川新書) についてです. きっかけ斉藤先生の本を最初に手に取ったのは『生き延びるためのラカン』で,フランス現代思想をかじり始めたときに,現代思想が精神分析の系譜を踏まえているというのが分かり,フロイトまで読み込む気にはなれないけどラカン

グレーゾーンに生きる #呑みながら書きました

今日は、朝からnoteを書こうとしていたんですけど、結局何も書けていませんでした。断片的に思い浮かぶネタはたくさんあるけれど、それらをどうやって繋げて一個の物語にしようっていう整理がなかなかつきませんでした。でも本来、思考というのは初めから体系立って生成してくるものではないですね。たまには思考が生成する過程と同じような形で、喋り言葉のようにアウトプットする、という表現形式が許されても良いはずです。ですので、今日はこちらの企画にお邪魔して、一筆書きという制約を加えて遊んでみます

欲望を編む —— 他者との関わりが形成する遊び場

はじめに個人的な実感からスタートしたいと思います。私は大学院の修士課程にいて、今年が院生として最後の年になります。「自分のやりたいことは何だろう」という問いに対して、否でも応でも暫定的な答えを出そうと悩んだ時期でした。 人生を振り返ってみると、私にとって長らく切実だった問いは、つまるところ「自分のやりたいことが分からない」という問題でした。これは私にとって個人的な問題であるばかりでなく、おそらく多くの人が抱えたことがあるであろう普遍的な問題でもあります。 さて、「やりたい

強さに偏らず、弱さにも偏り過ぎないこと

私が今回これを書くに至ったのは、自分の中に「強さを志向する動き」と「弱さを志向する動き」の2種類が認められ、それらが互いに矛盾しているように感じられ、違和感を整理したいと思ったからです。 違和感を端的に表すなら、「強さを志向すると弱さに対する共感性を失い、弱さについて考え続けていると強さを志向することの重要性を忘れる」というトレードオフの関係です。あるいは、「優しさと強さの両立問題」として捉えられるかもしれません。そこで立ち上がってくるのは、果たして自分を強さと弱さのどちら

誰かが「あたりまえ」をあえて説くとき、その人のまわりで起こっていること

田口茂『現象学という思考』(筑摩書房, 2014年)の冒頭には、こんな一節があります。 "何かが本当に疑いようがないと思っており、それが周知のことだと確信しているとき、わざわざその確実さを強調するだろうか。たとえば、快晴の日に空が青く見え、他人にもそのように見えていることが、どんなに確かだと思われても、ふつうわれわれは、青空を指差しながら、「空は確かに青いのだ、これはまったく確かなことだ!」などと叫ぶことはしない。(中略)「確かさ」を懸命になって主張するとき、われわれは自分

同質性と異質性のバランスが,コミュニケーションの心地良さにつながる.

「この人と話していると心地が良い」と感じる際の共通点は何かと考えていました.共感・傾聴など会話のテクニックは抜きにして,なんとなく共通するのではないかと感じているのが,自分—相手という関係における「同質性と異質性のバランス」です.具体的に言えば,「共感がベースにあり,相手との小さな相違がアクセントになる」コミュニケーションが心地良いのではないか,と感じています. 多くの場合,心地良い会話には共感が重要であると考えられますが,どうもそれだけでは刺激的な会話にならない気がしてい

「他人」と「自分」は違う、の本質について

ここ最近、「他人」と「自分」は違う、ということの本質について考えていました。 他人にとっての「本質」と、自分にとっての「本質」は異なる 僕がずっと傲慢だったのは、「自分は他人よりも物事の本質を見抜いている」という漠然とした思い込みがあったことです。しかし、「他人にとっての本質」と「自分にとっての本質」が異なるという前提を見落としていました。そもそも、自分が物事を観察するときの着眼点は、自分が「本質」だと考えていることに左右されるので、「自分だけが本質を見抜いているのだ」とい

LX DESIGN(Learning Experience Design)とは何か

Computer Scienceの発展に伴い、教育の分野もIT関連技術などを交えた学際的アプローチが近年増加してきています(EdTechと呼ばれるサービス群など)。学習科学(Learning Science)も、人が学習をするプロセスを認知科学や心理学などの多様なアプローチで研究する学問です。学習科学については、アメリカがかなり先行していますが、それに加えて、近年のデザインの盛り上がりにともなって、Learning Experience Design(学習体験のデザイン)とい