Day003.「ライブハウスはどうなっていくのか」

三が日を過ぎ、PCRの陽性者も右肩上がりとなっています。
報道では東京を中心に各地で緊急事態宣言だの時短要請だのと厳しいワードがまたしても飛び交い始めました。
もうずっと先行きの見えない事態の中で、ずっとライブハウスについて考えていた事を書き残しておきます。
恐らく長くなるしあくまで私見なので興味のない方はここでブラウザをそっと閉じて今自分がやるべき事をやる事をお勧めします。

この話をするにあたってまず前提を共有しなくてはならないのは「音楽ソフトの売り上げ減少について」です。

日本に於いて音楽ソフトが一般的に根付き始めたのは1970年代頃からでしょうか。
なぜ一般家庭でもソフトを購入するようになったか。
当たり前ですが、ハードが手に入るようになったからです。
戦後の高度成長期を経て「洗濯機」「冷蔵庫」「テレビ」が各家庭に行き渡り始めた事に引き続き、家庭の娯楽としてカセットやレコードで音楽を観賞するというのが一つのステイタスとなっていた時代が到来しました。
景気は上がり技術の革新も目覚しく、民生機の価格もどんどん下がりいつしか家庭に一台は音楽プレーヤーがある時代に。
レコードやカセットに代わってCDも登場し、サイズも手軽で音質もクリーンになって行きます。

バブルのバカ騒ぎの中でレコード会社も右肩上がり。
80年代テレビのケーハクムードの中でテレビ発のそれはそれはどうしようもない音源なども大量リリース。
雑誌やラジオなども巻き込んで巨大なメディアミックスを、今に比べればまだまだ娯楽の少ない大衆に放り込めばそれはバカみたいに売れるワケです。
売れるから予算が付き、予算がつくからまた大きく仕掛け、大きく仕掛けるからまた売れる。
80年代は概ねそんな感じです。

90年代に入り、バブルの終焉と共に世の中に蔓延する閉塞感。
明るかった時代の代償として世の中が支払うやるせなさは大人たちが作ったものではなくリアルな同世代が発信する「オレたちの文化」。
ライブハウスが燃えたぎっていた時代です。

しかし「オレたち」にアイデンティファイしていた人たちも徐々に歳を重ね、一瞬の揺らぎと共にリアリティは燃え尽き、また大人たちの時代がやって来ます。
しかしもう始まっているインターネットの時代に対して80年代感覚の人たちがついて行けるワケがありません。
かつて見ていた夢の時代の如く湯水のように予算をかけ、メディアを抑え、偶像を奉ろうとしたところでその幻想の部分はあっと言う間に世間に見透かされます。

「CDが売れない」

違うんです。
80年代と90年代が売れ過ぎてただけなんです。
だからそこを基準に予算組みして人員を使ったらそりゃもうあっという間に赤字に決まってるんです。
だってかつての時代は何の役にも立たない偉そうにしてるだけのおじさんにも高額のお金を渡していたんですから。何ならアーティストより全然多い額を。

とまぁ自分はそう考えているのですが、それを踏まえて。

その昔、日本ではバンドはどこで演奏していたか、若い皆さんわかります?(と言ってもこれ若い人は読んでなさそうだけど)

その頃はみんなキャバレーやナイトクラブ、ディスコなんかでハコバンとして演奏していました。
歌手のバックや歌謡曲なんかをカラオケのバックで演奏してギャラをもらって暮らす。
全ては芸能として食べていくための登竜門として。
だから生き残るために色々な芸をやっていました。
それがクレイジーキャッツやドリフターズなんかです。

そんなうちに現れたのが「ライブハウス」です。
最初はどこも「演奏が出来るロック喫茶」的な場所だったと思います。
そこに徐々にバンドやアーティストが集まり始めます。
日本の住宅事情ですから当然自前のドラムセットやアンプなんかは持っていないので、お店側が用意します。
機材だって安くないですから、少しずつチケット販売をアーティストにお願いします。
アーティストもお客さんをどんどん増やしていずれは有名に!という野望に満ちていましたし、今みたいにSNSで小さな承認欲求を満たす手段もないですからもう全力です。
時代や景気に合わせて子供の数も右肩上がり、いずれライブハウスには出たくても出られないぐらいの大賑わいになります。
それをバブルに生まれたバンドブームが後押し。
高い機材や照明、設備をどんどん投入します。
こうして娯楽の少ない時代のやり場のない若者のエネルギーは暴走族かロックか、となって行きます。

そして90年代を経由して少子高齢化はスタート。
多様性の時代を迎えた上に整うインフラ。
選択肢は増えた上に不景気。
そりゃバブルベースでやってた業界なんかは地獄のようになりますよ。
当たり前。

でも思い出して下さい。

みんな元々は「飲み屋」で演奏していたんです。
とは言え一度生まれたものが無くなることもなく、我々の思う「ライブハウス」というのは間違いなく需要はあります。
あり続けます。
あり続けて欲しいです。

ですが地方都市(例えば県庁所在地ではない町)に於いて都内のライブハウスと同じ設備投資をする事は明らかにオーバースペックなのではないかと。
もちろん資金力のある母体を持っていたりすれば別ですが、設備的にちゃんとしたライブハウスは大手や資金力のある所に任せて、もっと小さい所は別の特性を磨いて「ある程度ちゃんと音が出せるなにがしかの店」と言うのが生き残りやすいのではないかと思います。

音楽はなくなりません。
どんなに配信の技術が良くても、リアルのライブにはかないません。
配信ではあの体験の置き換えになりません。
その代わり、配信でしか出来ない体験もどんどん生まれているはずです。
また選択肢が増えた、というだけです。

その中で、全国の「ライブが出来る場所」が一件でも多く生き残って欲しいと思い、自分の考え得る事を共有しようと思い書き残しました。

選択と集中。
特性を磨く。
当たり前を疑う。

生き残るためには、この辺がキーワードになるのではないかと。

オレですか?
オレはもうずっと「こうしたい」と思ってる事に対して少しずつ準備しています。
なかなかうまく行かないけど。
この辺はまた気が向いたら書くかもです。
気になる友人は直接連絡ください。
共有します。

とここに書いた事は冒頭に書いたようにあくまでも「私見」です。
今いる誰かを否定したり貶めたりする意図は一切ありません。
違った意見も大歓迎です。

目的は「この文章が評価される事」ではなく「ライブが出来る場所が一件でも多く生き残る事」です。

強制的に移り変わりを余儀なくされる次の時代に向けて、工夫して笑顔で乗り切ろうぜ同志たちよ!

と書き殴ったところで本日はここまで。

お読み頂きありがとうございました。

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