今年こそ、本当に美味しい団子で桜を愛でよう。
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
これは在原業平が桜をテーマにして読んだ有名な和歌である。
「世の中に桜がなかったなら、開花を待ちどおしがったり、散ることを惜しんだりすることなく、春をのんびりした気持ちでいられたのに」
そんな意味が込められた和歌に、令和の私も共感できるのだから、やはり素晴らしい歌なのだろう。
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2020年2月26日。
季節は巡り、春である。
近所を散歩する度に、梅の花を咲かせている家が1つ2つと増えてゆく。
だがしかし、世の中はコロナウイルスのニュースで持ち切りだ。開花時期はいつだとか、桜まつりの開催地情報はもはやタブー。花見をする頃には、感染拡大は静まっているのだろうか。
そんな時に、濃厚接触となる花見を勧めるような記事を描くのは少々不適切な気もするが、この感染症が、お花見シーズンには終息することを祈願して綴っていこうと思う。
舞い散る物が「菌」ではなく「桜」ならば、どれだけ世界が幸せになるだろう。
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前回紹介した立吉で、うまいうまい串カツを食べた後、私は人生初めての寄席を観た。
その動機は簡単で、たまたま店近くの劇場の前をふらりと通り、自分のまだ知らない世界だったから、知りたくなった。
18時からの「夜の部」に途中参戦。
半券を貰い、恐る恐る進んだ先は、座席と畳席が広がっていた。
こんな時期ということもあり、寄席も閑散期間のようだ。
どちらの席も選択することができたが、お腹いっぱいで眠くなっていた私の体は自動的に畳席へ。
のそのそ…
ふぅ〜~〜~・・・極楽、極楽。
畳は不思議と心和ませる
丁度演者の交替タイムということもあり、串カツが沢山入ったお腹を擦りながら、入場時に渡されたパンフレットをパラパラ。
ん…???
思わず捲る手が止まり、目をこすりながらしかめ面で視点を寄せる。
パンフレット下。
なんとも見覚えある、思い出の店が紹介されていた。
〘 寄席を見た後のお土産はココ!〙
そんな見出しと共に添えられた串団子。
これを食べた日は、そう、今と同じような境遇だったのを覚えている。
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「なんでこんな日に~~~~~~~~!!!!!」
今日は家族でお花見だった。
春うららかで、心地よい天気が「花見をしろ!」と言わんばかりに輝いている。
なのにも関わらず私はシーズン遅れのインフルエンザ。
控えめに言って辛いが過ぎる。
「おがあざあああああんんん(お母さん)~~!!!!!!!私もおいなりさん食べながらお花見したかったぁあっぁ!!!ゴホッッゴホッッッッッ…し、死ぬ・・・・」
「ほらほら悪化するから叫ばない叫ばない(笑)小皿にわけて、おいなりさん冷蔵庫に入れておくから我慢しなさいな、食べれそうになったら後で食べ~すぐ帰るから!じゃ!」
「えっっちょっとm…!!!!!
バタン……
だだをこねる私をさらりとあしらい、部屋には冷えピタとポカリスエットを片手に横たわる私だけが残された。
無念だ…。
やるせない気持ちを無理矢理忘れるかの様に、私はやけくそに布団に潜り込んだ。
そのあとは良く覚えてない。きっと寝たのだろう。
―
「……り…!かり…」
・・・・う…んん…?
「ひかり!!!おはよう、ずいぶん寝たね~もうみんな帰ってきたよ」
けだるいまぶたをあけると、満面の笑みでこっちをみるお母さんがいた。
な、なにごとだ・・・・?
起きたばかりで状況が掴めない私はとりあえず時計を確認した。
「???まだ13時だよ・・・?帰ってくるのはやくない…?」
「やっぱり、ひかり残してお花見するのはかわいそうだったから、お土産買って帰ってきた。お父さんおすすめのお団子買って帰ってきたから食べる?」
……えええええええ~~~~/////////////
「たっっっ食べる!食べる~~~~!!!!!!//////」
はね起きてリビングへとかけだす私に、「ほんとにインフルなの…(ドン引き)」とぼやくお母さんの声が聞こえたが「食に対する貪欲さ」に勝る風邪など無い。
―
食卓テーブルにずらりと並べられた鮮やかな串団子。
右から順に、
香ばしい焼き目が食欲をそそるシンプルな醤油団子、あまじょっぱいたれがたっぷりかかったみたらし団子、べっとりぬられた漉し餡などの定番メニューに加え、生成り色が優しい味わいを想像させる白あんに、漆黒が濃厚さを連想する黒胡麻だれ!鮮やかな黄緑が新緑を彷彿させられるずんだと共に、こっちは深緑が大人の上品さを醸し出すよもぎまで…。
風邪っぴきは一番に好きな物選んでいいよと言われたものの、
ああああーー!!全ッッ部好き(合掌)!!!
しかもそれら全て1つ1つプラスチックパックに包装されている徹底ぶり。確かにこれだとお土産にもお外で食べるのにも困らない。
悩みに悩んだあげく、やっぱり土堤版のみたらし団子をチョイスした。
ケースから串を持ち上げる力に反発して、粘度のつよいタレがきつね色の糸を引く。
この感じがたっまらないんだよなぁ…/////
ニヤける口角から流れるようにおおきな口を開き、かぶりつく。
ハミュッッッッッッッ(あっ口周りにタレが…)
ひぃ~~~~~うっっっっま・・・・・・//////////////
今回のインフルエンザにおいて、鼻詰まりが無く、味覚健在なことが不幸中の幸い。頭がくらくらするのは頭痛ではなく美味さのせいだ。なめらかでとろ~り、あまじょっぱくて懐かしい美味さに癒やされる・・・。
しかもほのかな甘みと歯切れの良さッッッッッ!!!!!!!
この基本ベース合ってこそのクオリティー…歓喜で唸りが止まらない………。
それに串一本に対して団子三つが食べやすいな…
大概4つめの団子は少々食べにくいと思いがち、きっと食べやすいの感じる背景には様々な試行錯誤があったことだろう。
ふと、この団子を食べながら、満開の桜を愛でることができたらどれだけ至福な時を過ごせたことだろう思った。
来年こそ、来年こそは
この店の団子を持って、
ひらりと舞う満開の桜を。
―
「桜の木!」
少年の生き生きとした声に、ハッと私は我に返る。
紙切りの芸人さんが高座に上がられ、お題をお客さんから募集していた様だ。
一切の迷いもなくすいすい切り進める手元は才能という光を放ちきらきらと輝いている。
熟練の末得た能力に、開いた口が塞がらない。
果たして今年は花見を開催できるのだろうか。
空を見上げれば桃色の花々が一面に広がる木下で、大切な人とお弁当を食べながら和気あいあい。そしてデザートにはあの店の串団子を食べよう。
今のままでは、そんなビジョンは夢物語。
「はい、できました。」
完成した切り絵は、
一人の女性が桜の木をそっと眺めているものだった。
そうだ、
私たちは昔から、どこかに大勢で集まらなくとも、河原に咲く小さな桜を見ながらでもこの春という季節を心の底から尊み、優しく愛でてきたではないか。
「桜を想う」という根本を、私は何か間違えていたのかもしれない。
花見とは、「どこかで開催するもの」でなく、眺めるうちに心に沸きあがる、透き通った感情を桜と共に大切することなのか。
最初に紹介した歌には反歌がある。
散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき
「桜は惜しまれて散るからこそ素晴らしいのだ。この世に永遠なるものは何もないのだから」
日々、流れゆく形のないものに左右され、私は心を震わせながら生きている。
永遠でないものに価値を感じられる幸せは、きっと今をという時間をもっと大事にできる気がした。
来年も桜の咲く季節を心待ち、そして惜しむことが出来るように、今年は昔の歌人のように、静かに桜の心地良さに浸ろうではないか。
こんな気持ちに気づけただけで、新型の感染症おもプラスに受け止めていけるような気がしたよ。
あっでも、できたらこの店の団子を買いに行けるぐらいには、コロナウイルスが静まってくれたら嬉しいなぁ。
今日のお店は「追分だんご本補 新宿本店」でした!
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