言葉を纏う

僕は言葉というのは衣服と同じ纏うものだと思っています。こう言うのもなんですが僕は自分のことが嫌いです。自分の容姿が、声が嫌い。つまり自分の中にある他人に見られる部分がとにかく嫌いでそれで何かでそれらの嫌いな部分を補う必要がありました。だからまず僕は衣服を纏いました。勿論僕は裸で生活をしているわけではありません。ちゃんと服は着ています。だけど何処か着ている感覚が無かったし、しょうがなく着ている感じが否めませんでした。だからお気に入りのブランドのお洋服を着ている時だけは、自分の事は嫌いでも纏っているお気に入りのお洋服のおかげで少し自信を持つことが出来ました。それと同じ感覚を僕は言葉にも持っています。素敵なお洋服を着ている人が素敵である様に、素敵な言葉を纏う人も素敵だと思ったからです。

最近「若者言葉」が流行っていますよね。「それな」とか少し昔だと「KY(空気読めない)」みたいな略語をよく学校でも街中でも耳にしました。僕だって今二十歳でそういった若者言葉を一応は理解できますし、日常の中で使うこともあります。それは便利だからです。ですが同時に僕は日本語本来の持つ言葉の美しさを、近代文学に触れることで感じ取ることが出来ました。吉屋信子さんに代表される美文体。女性らしさが滲み出るような、それでいて少女の可愛らしさもあります。文字だけでそこまでの奥ゆかしさ、可愛らしさを含ませてあげられるのが吉屋信子さんの書く文章の特徴です。きっと当時の女学生たちもこのような言葉遣いをしていたのでしょう。

今の日常での言葉遣いというものを見ていく時、そこにはあまり男女差が無いことが特徴的ですよね。もし、「全く、その通りですわね!」なんて日常会話で言ったら笑われてしまうことでしょう。「わかる!それな!」これが男女ともに使われます。

着ている服にはその人らしさが出ますね。正確に言うとその人の中の余裕度が伺えます。あまりにみすぼらしい恰好をしている人は何処かそわそわしているし、言葉遣いも荒かったりしている気がします。言葉遣いも同じでその人の中身や余裕度をよく表します。僕がそこに顕著なのですが、日々暮らしているとどうしても自分に余裕が無い時があります。そんな時の独り言はまあ酷いものです。人に聞かれないことを良いことに汚い言葉のオンパレードです。ですが落ち着いた雰囲気の喫茶店や好きな絵が展示されている画廊などでの僕の言葉遣いは紳士的なものを心がけているつもりです。まあ実際どう思われているかはわかりませんがね。若造が若い恰好をして慣れない言葉を一生懸命使おうと頑張っている、という風に見られてしまっているかもしれませんね。でも良いのです。きっとそこに可愛らしさを見出す人はいても嫌悪感を見出す人はいないでしょう。いないと思います。いないと良いなあ。

そんなこんなで僕は素敵な言葉を纏うことはもしかしたら洋服のお洒落にばかり気を取られるよりも、ずっと素敵な人になれるのではないかと思うようになりました。それから僕は独り言でも言葉遣いに気を付けるようになりました。言葉遣いに気を付けると今度は逆に気持ちの方にも余裕が出てくるような気がします。さっきとは逆の工程ですね。言葉に余裕が生まれると気持ちにも余裕が生まれるのです。だから素敵な言葉を纏うようにしましょう。きっと素敵な気持ちにもなれると思います。それに何より素敵な言葉をうまく操る人は素敵に思いますよね。僕にとって素敵な言葉を纏うこともれっきとした身嗜みの一つです。

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