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はたらくをどうする?時間や場所にとらわれない自由な働き方への挑戦

みなさまこんにちは!

子育てに翻弄される現代の母親の葛藤そして仕事との両立、女性が生きていく中でさまざまな問題が起こりますよね。
今回は、そんな現代の荒波に奮起し続ける女性の不器用なライフストーリーをご紹介します。

何も自分で決められなかった私が、ひとつの決断をしてやり遂げられた。その経験があるからこそ強くなれたし、笑顔でいられるようになりました。
こう語るのは、ライターとして新しいキャリアをスタートさせたmaiさん。

引っ込み思案で優柔不断だった彼女が、結婚出産を経てもなお挑戦し続けるのはなぜか。

彼女がどのような心境の変化を辿ってフリーランスとして独立するに至ったのか「時間や場所にとらわれない生き方」について聞く。

──ご自身の経歴を含めて、簡単に自己紹介をお願いします。

mai:高校を卒業後、楽器屋の販売員として就職しました。その職場で出会った方と結婚することになり、1年ほどで退職。
その後、2人の子どもを出産し、子育てに集中できる専業主婦をしていました。

第2子が幼稚園に入ったのをきっかけに、社会復帰をすることになります。
百貨店の案内係で、1日8時間ずっと立ちっぱなしという生活を2年ほど続けていました。

しかし子育てとの両立が非常に辛いことと、デスクワークへの憧れがあり、28歳でネットスクールの会社に運営事務として転職します。

その後、副業としてライター・SNS運用・YouTube動画編集も始めました。
来月から副業を本業にしようと奮い立ち、運営事務の仕事を辞めて個人事業主として独立する予定です。

明るいキャラクターを演じることでしか自分を表現できなかった

──幼少期の頃はどんなお子さんでしたか?

mai:幼少期は物静かな性格で、人前に立つことがすごく苦手でした。お姉ちゃんが2人いるのですが、どこに行くにもお姉ちゃんと一緒で、背中を押してもらわないと何もできないような子供でした。

何事も家族に決めてもらって、それを素直に受け止めていたので、自分の頭では何も考えずに生きてきましたね。

私が中学校3年生のとき、姉は高校を卒業して実家を出ていくことになり、環境がガラッと変わりました。今までは姉が自分のことをすべて決めてくれたけれど、これからどうしたらいいのだろう。

焦った私は、ついに自分を変えようと決意します。

試しに大きな態度を取ってみたり、人前で歌や楽器の演奏をしてみるなど、いろんなことに挑戦してみました。本当は怖くて苦手だったのですが、その気持ちを押し殺して「やらなきゃ!やるぞ!」といつも自分を奮い立たせて実行していました。

──高校に入るにあたって、どういう人になろうとしたんでしょうか?

mai:明るくて、自分の意見をハッキリ言えるようなキャラクターになろうと頑張りました。周りからは「明るいタイプだよね」と言われていたので、キャラづくりは成功していたと思います。

でも、人間の性格はそう簡単には変わらないのだということを痛感しました。内心すごくプレッシャーで、逃げ出したいと言う気持ちを押し殺して、違う自分を演じていました。

高校3年生の春、ついに自分を演じることに疲れてしまい、学校に行けなくなったんです。学校に行く振りをして近所の海辺に座り、何も考えずにボーッと海を眺めるだけの生活が始まりました。

高校3年生は出席日数が足りていないにも関わらず、補修や課題を提出するなどして卒業させてもらえることになりました。良い先生方に恵まれていたなと思います。

引っ込み思案で優柔不断な私が「自分の意思」で決断できたこと

──妊娠をきっかけに退職を決められたということですが、お仕事を続けることは考えていましたか?

mai:どちらかと言えば「仕事どころではない」という状態でした。そのときまだ20歳で、いわゆる「できちゃった婚」だったので、家族や親戚中から大反対を受けました。

また、夫のほうも実家が家族経営の会社をしているらしく、後継ぎになるタイミングだったので、いろいろ大変だったみたいです。

どれだけ反対されようと私は子どもが欲しかったので、絶対に生むと決めていました。許してもらえるように、とにかく周りに頭を下げて回りました。

今まで執着やこだわりというものが無かった私が、まったく折れない姿を見て、家族は驚いていたようです。今考えてもよく頑張ったなと、自分に言ってあげたい……。

そうして生まれてきてくれた子どもの顔を見た瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。「この子を一生守らなくちゃいけないんだ」という今まで感じた事のない強い意志と、味わったことのない感動がありました。

自分の選択は間違ってなかったんだと確信に変わった瞬間でした。

──幼少期はお姉ちゃんに背中を押してもらえないとダメだったmaiさんが、今では毎日笑顔で、誰かの背中を押している。そんなに変わることができたのは出産という体験が大きかったのでしょうか?

mai:やはり子どもたちのおかげなのかなと思っています。出産の経験はもちろん、つらかった子育て時代、逃げずに頑張って走り切ることができた。

何も自分で決められなかった私が、ひとつの決断をしてやり遂げられた。その経験があるからこそ私は強くなれたし、笑顔でいられるようになりました。

母親だからこそ、多様なキャリアの選択肢が必要だった

──お子さんが産まれて第二の人生がスタートする訳ですが、そこから再就職まではどんな道のりでした?

mai:子育ては、予想よりも100倍は大変でした。一人目はすごく元気な男の子だったので、周りから「若いお母さんだから躾がなってないのね」と言われてしまうことも。

初めての育児で何が正解かもわからない中、試行錯誤の毎日。大学生の友達に相談する?反対された家族に相談する?そんなことはできませんでした。

そんな中、先生や家族など息子に関わる人達から「息子さんは発達障害かもしれない」と言われていました。

私の育て方が悪かったのではないか、もっと他にできることはあったのではないかと自分を責めましたね。そんな私に息子はいつも優しく声をかけてくれたので、「発達障害」というワードを前向きに捉えることができました。

そのおかげもあり、専門の施設を調べたり見学に行ったり、発達障害について私も勉強したりしました。息子は私に反して、とても前向きでハッキリした性格だったので、彼の行動や言動に何度も救われました。

その頃の息子は「幼稚園に行きたくない」と大泣きする毎日。そんな状態の息子を連れて幼稚園に行くと、また先生に迷惑をかけてしまう。行かせたくないけど、行かないわけにはいかない。

そんな悩みを抱えながら、毎日、泣きながら2人で登園していたときもありました。
あの頃の記憶は、今思い出してもとても辛く心に刻まれています。

下に3歳離れの女の子がいるのですが、上の子とまた違って手のかからない子でした。息子と向き合うときは力がいるし、いつも頭を抱えていたので、フラットな状態で接する事のできる娘の存在が、あの頃とてもありがたかったですね。

──子育てに翻弄される中、もう一度社会復帰をしようと思われたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

mai:息子が小学校、娘が幼稚園に入り、私に一人になる時間ができました。ふと周りを見渡せば、友達は社会人3〜4年目。順調にキャリアを積んでいる。
そんな中、自分だけが社会人を1年しか経験していないのに30代を迎えていいのか、と自分のキャリアプランについて焦りが出てきました。

そのことを知り合いに相談すると、百貨店の受付を募集しているというお話をいただいたので、社会人復帰してみようと決断しました。

週3勤務だったので少し余裕はありましたが、仕事内容は意外とハードです。百貨店なのでさまざまなタイプのお客様に対応しなければいけませんし、8時間パンプスを履いての立ちっぱなしの接客。

お金を稼ぐのは大変なことなんだと改めて思い知らされました。

しばらく百貨店で働いていましたが、28歳のとき「もう少しスキルを身につけたい」という思いが出てくるようになります。

まずはデスクワークの事務作業からならできるかなと考え、転職活動を始めます。そのときに出会ったのがネットスクールの運営事務というお仕事でした。

デスクワークは未経験でしたが、初めて「仕事が楽しい」と思えた職場でした。生徒さんからの質問に回答したり、困っている人に対して提案をして助けてあげることに、とてもやりがいを感じました。

以前の職場よりも、一緒に働く仲間たちとの距離感が近かったということもあり、すぐに相談し合える環境が私にはとてもありがたかったです。

百貨店や販売業をしているときは常に時計を見ていて、「まだ終わらないのか、休憩まであと何分だろう」と仕事が身に入らないこともしばしば。

でも、この仕事は気づいたら仕事が終わっているくらい夢中になれたので、自分に向いていることだと確信しましたね。


──事務のお仕事が向いているということですが、接客業との違いはどんな点だったんでしょうか?

mai:接客業の場合は「購入してもらうこと」がゴールになります。それは裏を返せば、自分があまり良い商品だとは思っていなくても、売り上げのために積極的に売りつけないといけない場面がどうしても出できます。本心とは違う行動をしないといけないことが、私にとっては大きなストレスでした。

運営事務の仕事は、生徒さんの悩みごとを「一緒になって解決していくこと」がゴールになります。例えばスケジュールの作成の方法がわからない生徒さんがいれば、その人にとっての最適なスケジュールの組み方を一緒に探っていくなどです。

一緒に考えてゴールに向かうというプロセスに、やりがいを感じていました。

自分にしかない価値を見つけたくて、webスクール「SHElikes」の門を叩く

──改めてどういうことを勉強してどういう風にこれから仕事を作っていって、どうなりたいという今と未来について聞いても良いですか? いきなりライター始めますという感じですか?

mai:運営事務のお仕事にやりがいや楽しさを見つけていましたが、もっと専門性のある仕事ができるようになりたいという想いがありました。

私にしかできない仕事、私だからできる仕事を見つけられたら、自分のことをもっと好きになれる、認めてあげられると考えるようになりました。

運営事務は特にスキルを必要とする仕事ではなかったため、自分のキャリアプランに沿って次の目標へと進まなくてはという焦りもありました。

それに加えて、子どもたちとの時間を優先したい思いも日に日に大きくなっていったことも新たに一歩踏み出す要因になったと思います。

WEB関連について全くの無知だった私は、どの道に進みたいのかとても迷いました。なんのスキルもない私に何ができるのだろうと、ネットで検索しては、ああでもないこうでもないと悩む毎日。

そんなある日、いつものようにネットでWEB関係のスクールを検索していると、「SHElikes」というキャリアスクールにたどり着きました。

HPのトップ画面に「私らしい働き方に出会えるスクール」の文言があり、ここだ!と直感しました。SHElikesのもつ概念に共感の嵐で、なりたい私の未来像そのものがそこにはありました。

入会を決断させた要因として、いろんなことを浅く広く経験できる点でした。まずはやってみて、自分には何が向いているのか探していくというスタイルがWEB関連に無知だった私の背中を大きく押しました。

SHElikesでは、色んな分野を勉強しましたが、特にライティングを勉強したとき、文字を書くことが好きなのだと気づきました。

私は元々、文章を書くことや、自分の気持ちを表現することは苦手な方だったんです。だからこそ、できたときの達成感や知らなかったことを知れるワクワク感がたまらなく好きになりました。

文章を書くことは、日本語が使える方なら誰でもできますが、私というフィルターを通して伝えられるメッセージがあるのだと気づき、とても魅力的な仕事だと感じました。

自分のやりたいことに貪欲でいたい

──運営事務のお仕事にやりがいを感じているのに、大切な家族との時間を作るため、退職することを決意されたのですね。副業を始められたのは何故でしょうか?

mai:何も心配の要らなかった娘の登園拒否が大きなきっかけになったと思います。

娘は私の幼少期とそっくりの、引っ込み思案でシャイな女の子なんです。周りのことを気にしすぎて、自分のとるべき行動や発言を頭の中で延々と考えてしまい、園生活でのストレスが大きいようでした。

そんなことがあったので、子どもに向き合い寄り添ってあげる時間が必要だと感じました。運営事務のお仕事は在宅勤務も可能でしたが、時間の制約がある分、臨機応変に動くことは難しく家庭との両立が大変になっていきました。

副業で始めたライターのお仕事やSNS運用、動画編集のお仕事は、自分でスケジュールを組めるので、子どもや家族との時間を増やすことができると確信しました。

──SNS運用、動画編集についてはいかがでしょうか?

mai:SNS運用については、知り合いから相談されたのがきっかけです。個人で独立して生計を立てている方に「SNSを強化したい、一緒にやってくれる人を探している」と相談され、興味があったので一緒にやるようになりました。

SNS運用の面白さは、レスポンスがリアルタイムで返ってくるところにあります。InstagramやYouTubeに動画をアップすると「ここが面白かった」「ここがダメだった」ということが数字としてダイレクトに返ってきますよね。

それを踏まえて改善して、一緒により良いものを作り上げる。これは百貨店や楽器店のときにはなかった働き方なので、やっていてとても楽しいです。

動画編集については、元々YouTube動画を見るのが大好きだったので、それを自分の手で編集できるということがモチベーションになっています。このタイミングでテロップを出したらもっと良くなるとか、BGMを入れたほうが面白おかしくなるとか、そういうことを考えるのがとにかく楽しいですね。

ダメな自分だからこそ挑戦することに意味がある

──販売員や百貨店の勤務ではどのような苦難がありましたか?

mai:とにかく音楽に関われたらなんでもいいという、軽い気持ちで最初の就職先でもある楽器屋さんを選びました。

子どもの頃から音楽が好きで、よく父がギターを弾いて私が歌を歌ったりしていました。父は私とは真逆の性格で、人前に出たりしゃべるのが大好きなタイプです。そんな父に憧れて、私もこういう風になってみたいと思っていたのかもしれません。

高校時代に不登校だったこともあり、卒業後の進路をまったく考えていませんでした。とにかく早く決めなきゃと焦っていたところで楽器屋さんの求人を見つけ、もうこの仕事しかないと思い、すぐに応募しました。

頑張ったらいつか疲れてしまうことは高校時代に学んだので、頑張らずに自然体でいようと決めていました。明るい自分でもいいし、引っ込み思案の自分でもいい。どちらにせよ、フラットな状態を心がけて毎日出勤していました。

辛いことは多々ありました。売らないといけないプレッシャーや、楽器の知識不足でお客さんを困らせてしまうのではないかと不安でトイレから出られなくなることもありました。

クレームを受けた時には、自分は生きる価値がないのではないか?とまで自分を追い込むことも。接客業なので、毎日笑顔で元気な姿でいないといけない重圧も私には大きなストレスになりました。

辛い毎日でしたが、続けられたのは周りの方に恵まれていたからだと思います。難しい対応の案件があり残業を余儀なくされた時には、一緒に残業して手伝ってくれた同期がいましたし、クレームを受けても根気強く励ましてくださった先輩や上司がいました。

昔の自分は、すごく限られた考え方を持っていました。自分は何もできないし、何かを成し遂げてはいけない人間だとすら思っていて、そんな自分を責めていました。でも、こんな自分にだってできることはたくさんあるし、誰にでもその人にしかない価値があると心から思います。

特に子育て中は、マイナス思考に囚われてしまいがちだと思います。そういう人たちに寄り添えるような文章や表現をしていくことで笑顔になってくれる人が1人でも多くいたら、私が嬉しいんです!

──「私が嬉しい」という、その気持ちが素敵ですね。ただのライター屋さんや編集屋さんではなく、人の背中を押して笑顔にさせてあげられる。その部分こそがmaiさんの最大の魅力であり、依頼するメリットというわけですね。

mai:そうであるともっと嬉しいですし、そんな働き方ができる人間になろうと日々努力しています。

目指したのはビジネスではなく、共に寄り添うこと。かつて人見知りだった彼女は、いつしか笑顔の連鎖を生み出せるようになっていた。

単なる代行業ではない「背中を押してあげられる人」を目指して。

──この先どうなりたいか、何に力を入れたいかという、未来へのイメージはありますか?

mai:今はとにかく3本柱のスキルをもっと磨いて、私個人として名前が売りだせるようになりたいです。「一緒に考えて物を作り出せる人」「この人と一緒に仕事をしたい」と思ってもらえたら嬉しいですね。

──相手の課題を解決していくことが好きだとおっしゃっていたので、「ただの動画編集屋さん」「ライター屋」さんではなく、クライアントさんとしっかり話し合って対応策を考える。

そういった部分に対するやりがいが根底にあり、スキルを高めるのはそのための手段ということでしょうか。

mai:私の人生のテーマが「とにかく笑顔で毎日過ごす」なんですよ。その笑顔が周りに伝播して、笑顔の連鎖ができたら最高です。

もし仮に解決策が出なかったとしても「何かわからないけど明るい気持ちになったよ」と思ってもらえるような、背中を押してあげられるような、そんな人間になりたいと思っています。

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