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HSPって何なんだろう。

繊細さんとも言ったりするようです。
程度や場面によって、より繊細になることもあるのですが、ガサツな部分もあるわたしは当てはまらないかもしれません。

HSPというのがある一方でサイコシンセシスという考え方もある。

ヒトには様々な面があるものだという考え方。繊細なところもあれば鈍感なところもある。見えている自分は一側面でしかない。他者を理解しようと努力することが大切。

繊細さんの本で、鈍感さんのように振る舞うって内容があるのですが、そんなことできたら困らないわけです。生きる術を持つことは大切なのですが。

鈍感さんのように堂々と無視することもできないし、繊細さんと自覚されているのか、鈍感さんのように振る舞っているのが気づいてしまうため、打算的だなぁと思ってしまい、心が痛むのです。

ヒトの我を通そうという振る舞いをみていても聞いていても胸が痛みます。

わたしはわたし、他人は他人と一線を引いたり、映画やドラマを観ている感覚になれたら困らないわけです。

他人の感情に敏感で、コトバを発する時の声色、抑揚、強弱、コトバの選び方、話し方、手振り、身振り、醸し出す雰囲気、匂い、表情、歩くスピード、足音、足のむき方、立ち方、服装、髪型、モノの扱い、表情、顔色、背中からでるオーラ、蒸気、、、などなどあげたらキリがなく。

他人事でも私事でも、なんでも心が痛むわけです。慣れない。

しかし、わたしはHSPだとは思わない。めちゃくちゃ雑なこともあるので。
ただ、雑なことに心が痛みます。私も雑なことをやってしまうと心が痛むのです。

誰しもが雑な面と繊細な面を持って生きている、繊細な面を理解しようと努めることが、我々ができる他者への気配りなのかもしれない。

隣人を愛せよ。自分が生き残るためにではなく、他者と共生するためのコミュニケーションのある人との関わりを目指したいものです。

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