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「欲しい社会はつくれる」フローレンスでの8年間で得た実感

2020年12月末日をもって、認定NPO法人フローレンスを退職します。

8年間お世話になり、私の人生を大きく動かすきっかけをくれたフローレンスでの仕事のことを、記録として残しておきたく、noteにしました。

(※トップの画像はフローレンスのビジョン・ミッションページで使われている私・息子・先輩の写真です。撮影楽しかったな~)


「こんな社会おかしいやろ」フローレンスを志した社会人4年目

前職はコンビニ業界に勤めていました。日々、睡眠不足で、通勤や業務中の移動でも体力を消耗していて、常に疲れていました。

働き始めたころから「ワークライフバランス」という単語が勢いを増していて、小室淑恵さんの本を貪るように読んでいました。定時で上がりたい、家でご飯を食べたい……そう願いながらも、職場の働き方を改善するなんて到底無理な状況でした。


そうやって悶々としながら働いていたある日、新店オープンのヘルプでレジを打っているときに、思ったのです。


(夜中にエナジードリンクとタバコを買っていくサラリーマンが、こんなにもいる。こんな働き方が前提の社会でいいのか、この働き方をしてる人たちを商売の相手にしてて、誰が幸せになってるのか。自分はそうやって得たお金で幸せだと思えるのか……?)


そんなときに出会ったのが『ワーキングカップルの人生戦略』、そして『社会を変えるを仕事にする』でした。

著者の駒崎さんは、(当時は)子どもがいないながらも病児保育問題に取り組んでいるらしい。それを企業としてではなく、NPOとして運営しているらしい。そして、事業を行うだけではなく、自らのNPOでも働き方改革に取り組んでいるようだ……。

これを読んだ私は、働き方革命を自ら実践し、ワーキングマザーを支える病児保育を事業展開しているフローレンスなら、こんな残業ありきで回っている社会を変えられるんじゃないか、と思い、転職に踏み切ったのです。


「私に務まるんかいな…」オロオロしながらも奮闘した病児保育事業部時代

2012年12月1日、無事にフローレンスに入社しました。

当時のオフィス・飯田橋のプレシーザビル5階の会議室で、代表から闘魂注入のようにビジョン研修を受け、初日からあだ名をつけられ、「だーすー」と呼ばれ始めた衝撃は今でも忘れていません。


最初の配属は、病児保育事業部でした。

担当していた業務は、病児保育を安全に行うための支援業務でした。時にはその業務を行う人材の採用や、研修を行うことも。

そうして採用面接を行う対象の中には、ドクターもいらっしゃいました

前職でも採用面接やOJTをやっていたとはいえ、それはコンビニのアルバイトの話……。

「お医者さんの面接をするんですか!?(私に務まるんかいな!)」とアワアワしながらも、フローレンスに入って1ヶ月経たずに面接し、入職してくださった先生は、今もフローレンスグループの小児科クリニックでお勤めくださっています。

日々の業務が思い通りに行かないことはたくさんあるし、ドクターからはたくさんの改善提案が出され、優先順位付けが苦手な私はオロオロするばかりでした。

でも、もっと保育者が病児保育に安心して従事できるように、もっとお子さんの治りが早くなるように、もっとフローレンスの病児保育が選ばれるように、と奮闘する日々はとてもやりがいにあふれていました。

病児保育事業部時代には、病児保育の依頼に対して保育スタッフのアレンジを行う”コーディネート業務”にも携わっていました。

様々な子どもの病気、発熱や咳・鼻水といった症状、アレルギーへの配慮など、検討すること、注意することはたくさんあります。

どんな些細なことも「報連相」する体制ができており、病児保育先の保育スタッフとは密に連絡を取り合っていました。病児保育1件1件の向こうに、子どもたちの命があり、事務局も、隊員さんも本当に真剣に子どもの命に向き合っていました(もちろん今もです)。

保育現場のスタッフも、事務局の各チームも、みんなそれぞれが持ち場をガチっと守っていて、でも革新は続いていて、ものすごく堅牢な、でもあったかい、そんな病児保育事業部時代を過ごしました。


先輩たちの教えで乗り越えられた妊娠と出産。そして移住へ

入社して2年弱ほど経って、子どもを授かることができました。
子育ての先輩がたくさんいるフローレンスだからこそ、妊娠中もストレスなく働き、産後もしんどさを感じずに過ごせました。

産後の休養の大切さ、夫を育児に巻き込む方法、子どもの夜泣きエピソード、育休中の過ごし方などなど、先輩方にたくさん入れ知恵していただいていたおかげだと思っています。笑


ただ、待機児童問題は我が身にも降り掛かってきて、産前から園見学や認可外保育園を予約するなどして、必死の保活でした。

そうこうする中で、どんな環境で子育てしていきたいか、夫と家族会議をした結果、私たちが出会った金沢に戻ることを検討するようになりました。

そして、それは思っていたよりも早く実現することになり、2016年10月に金沢に移住することが決まりました。

移住に伴い、退職の方向で話を進めていたのですが、私がダメ元で言い出したフルリモートワークの働き方をOKしてくれたのは、当時のマネージャーでした。


マネージャーの皆さんや、同僚たちが業務内容を調整してくれて、”病児保育事業部の採用・労務”、”みんなで社会変革事業部の代表秘書”という2つの事業部を兼務する形で、私のフルリモート勤務のキャリアがスタートしました。

詳しい経緯はこちら


フルリモートもいいけど、金沢の人脈を広げたい!

フローレンスの仕事を、引き続きできるという感謝の気持ちは絶えることがありませんでしたが、移住してしばらく経つと、金沢での人間関係が全く広がっていないことにモヤモヤするようになっていました。

ただ単にママ友みたいなのが欲しいんじゃなくて、仕事を通じたつながりがほしい、と思い、複業をはじめることにしました。

詳細はこちら


飛び込んだのは異業種の観光業。金沢で一棟貸しの宿を複数運営する会社で、kintone導入を業務委託で請け負う、というものでした。

それまでの予約管理での課題を、フローレンスで使った経験のあるkintoneを導入することで解消しました。

本業での経験が複業で活きるってこういうことか~、と喜んだのもつかの間。

こうしたクラウドを活用した業務改善を発表してみないか?と誘われ、コンペで出会ったのが、福井の在宅医療のドクター・紅谷先生でした。


フローレンスと複業先の経験が活かせるかも!→医療的ケア児の旅行ガイドライン

このコンペで、出会ったのが「医療的ケア児が旅行に行きづらい」という課題でした。何か一緒にプロジェクトやろう、というざっくりした話から進んだのが、医療的ケア児の旅行ガイドライン作成PJです。


フローレンスと複業先、両方の経験や知識を活かせる!と思いながら始めたのですが、こうしたプロジェクトをやろうと決断できたのは、「みんなで社会変革事業部」で代表の秘書としてその言動を常にそばで見ていたこと、そして課題を知ってしまった以上、無視できない、自分ができるところから動いていかねば、だって社会は自分が望む形に変えていけるんだし…!と思うようになっていたからだと思います。

でも、プロジェクトを進めるにつれて、思うことがありました。

それは、

・いかにビジョンを語る力が重要か
・いかにお金を集めることが大変か
・思いを共にし、一緒に手を動かしてくれる人がいることのありがたさ
・応援してくださる寄付者の方々の声が、ものすごく励みになること
・お金を頂いたからには、なんとしても形にして報告せねばならぬという責任の重さ

ということです。

これは『フローレンスで働いている』ことで分かったつもりになっていて、全然わかっていなかったことで、プロジェクトの責任者となってはじめて感じたことでした。

そして、これまで以上に、フローレンスのメンバーと代表をリスペクトした経験となりました。


私は、障害者就労のことを何も知らない。でも”働くことの障害がなくなる経験”は知っている。

このプロジェクトを通じて、医療的ケア児やそのご家族の生活に関わるにつれて、旅行だけ行ければいいわけじゃない、常日頃から、外出しやすくなってないと、旅行はすごくすごく高いハードルなんだ、と思うようになりました。

もっと医療的ケア児とご家族が世の中に出ていきやすくなる必要がある。医療的ケア児が保育や教育を受けるということもそうですし、家族が働けることもそう。日常のお出かけに困難さがなくなることが、重要だと思いました。

プロジェクトで知り合った医ケア児ママさんの中には、働いている人もいれば専業主婦の人もいましたが、この子とお出かけすることが仕事になるといいんじゃないかな、ということも考えるようになりました。あるいは大きくなった医ケア児の、将来の仕事になったらいいなということも。


そう考えた時、自分は障害者の就労環境のことを全然知らないということに気づきました。


でも、障害の社会モデル(障害や不利益・困難の原因は障害のない人を前提に作られた社会の作りや仕組みに原因があるという考え方)に基づいて「働く」を考えた時、私もフルリモートで働くにあたってはたくさんの障害があったことを思い出しました。

でも、それはフローレンスのみんなが解消してくれていたのです。


業務用携帯を貸与してもらったことで通話もできるし、web会議システムを使うことで定期的に顔を見てコミュニケーションできるようになりました。

1:大勢のmtgでは、声を聞き取りやすいようにスピーカーホンを用意してもらったし、なによりリモートでもできる業務に集約してもらいました。


その人の状況に合わせた業務をアサインしたり、周りが準備を整えたり、同じようにリモートワークを経験することで学び、改善が加えられることで、私にとって「遠隔で働くことの障害」はなくなりました。

まさに私自身が、働くことに感じていた障害を取り払ってもらっていたんだなと思いました。

どんな人も働きやすい社会をつくっていきたいと思った時、こういう経験をした身だからこそ、提示できることがあるかもしれない。
この地域に住む人の働き方や、働くことへの障害を、社会側から無くしていきたいという思いが、次なる職場を検討する契機になりました。


フローレンスは卒業する、けども!

年明けからは、金沢で障害者就労支援や児童発達支援に取り組む企業で働きます。

フローレンスを卒業し、拠点がガッツリ金沢になるとはいえ、目指す社会の姿は変わらないと思っています。

どんな状況の人も、周りに支えられ、いろんな人の手を借りながらいきいきと笑って暮らせるように社会をアップデートしていく。

そういう仕事を、これからもしていきたいと思っています。


最後に

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私が最後に所属していたのは、「みんなで社会変革事業部」という事業部でした。

一般的にはなじみがないネーミングだと思いますが、フローレンスは社会課題解決のための事業運営と同時に、政策提言や広報、寄付等を通じてその社会課題を根本から解決するための活動を行っています。

そうした業務全般を担当するのが「みんなで社会変革事業部」です。私たちフローレンスのスタッフだけではなく、世の中の人たちみんなで、欲しい社会をつくっていこうぜ、と呼びかけるような部署です。

フローレンスが取り組むのは、

・子どもが病気になったときに預け先がない病児保育問題
・家事育児を一手に担うひとり親の支援、子どもの貧困問題
・保育園に入れない待機児童問題
・障害のある子や医療的ケア児が保育を受けられない障害児保育問題
・予期せぬ妊娠によって、生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなってしまう虐待死問題
・こうした諸問題を課題提起し、社会へ訴えかけるソーシャルアクション

など、多岐にわたっています。

私はフローレンスという組織からは卒業しますが、こうした問題には引き続き向き合っていきたいと思っています。

同じように、このnoteをご覧になって、自分も行動に移したいと思ってくださった方にお勧めのアクションを紹介します。

①フローレンスのSNSをフォローする

まずは子どもに関する社会課題を知りたい、という方には、ぜひフローレンスのSNSをチェックしていただけたらと思います。

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Instagram

②寄付をする

先に挙げた社会課題を解決していくには、どうしても資金が必要です。皆さんからの寄付があるからこそ、フローレンスはこうした課題に向き合い続けられています。単発/継続の寄付が選べます。

(フローレンスは寄付控除対象となる東京都の認定を受けている認定NPO法人なので、制度を利用し確定申告をすることで、フローレンスへの寄付金の最大約半分が戻ります)

③一緒に働く

フローレンスでは一緒に働く仲間も募集しています。自らの力で子どもの福祉に貢献したいという方はぜひ!

事務、広報、システム、WEB、人事、看護師、ソーシャルワーカー、栄養士などなど、幅広い職種の採用情報が出ています。


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長くなりましたが、これにて退職エントリを締めたいと思います。

8年間お世話になったフローレンスの皆さん、本当にありがとうございました。これからも皆さんのことを、心から応援し続けています。

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