ありのままに生きるということ

ありのままに生きるということ

多くの方が
「ありのままに生きたい」
そう思ったことがあるのではないでしょうか

ですが
ありのままという状態を
はっきりと答えられるでしょうか

自分らしく生きる
ありのままに生きる
自然体で生きる

色んな言い方はあるけれども
実際にはどのような生き方が
これらに当てはあるのかを
深く考えてみるということは
それほど多くは無いのかもしれません

私たちは沢山のジレンマや苦しみを抱えながら
その中でも光を求めてもがいて生きることが
ある種の美徳として教わって生きてきた経緯が
少なからずあるように感じています

それは日本の教育体制にも浸透していて
両親や地域の人、部活動の顧問や進路指導の先生に

諦めるな!頑張れば報われる!
働かざる者食うべからず
努力もしてないやつに何を言う資格もない
世の中は理不尽なのが当たり前
怠けてばかりじゃダメになる
若いうちは苦労してなんぼだ
好きなことばっかしてたら立派にはなれない

そんなことを言われた経験はありませんか

努力することが美徳で
自分の想いのままに生きることは怠惰

もちろん、そんな言葉たちが
全面的に悪い意味だけを含んでいるわけではないし
半分は確かにその通りでもある部分があると思います

でも、どこか好きに生きることには
ネガティブなニュアンスを含んで語られるような
そんな雰囲気を感じられるような学生時代を
送ってきた経験がある方も少なくないのではないかと思います

私はずっとこのことに違和感を抱きながら生きてきました
それでもやはり
それが正しいのではないかという想いも拭い去れず
世の中ではそうだとされる価値観を持ちながら
自分らしさの表現をしようとする湧いてくる思いとの狭間で
ずっとモヤモヤが消えないまま今まで来ました

同じような思いの方、同じように感じている方に
少しでも自分に素直に生きる方向へと舵が切れるように
私が現段階で辿り着いた「ありのままに生きる」という感覚を
お伝えできればと思っています

ありのままに生きること

それは

自分を受け入れ、創造者として生きること

私はそう感じています

人には変えられない
生まれ持った光と輝きが
最初から備わっていると

それを教育や幼少期の経験から
他人と比較され順位付けをされることで
自分の良さや特徴をひた隠し

気付けば自分がどんな人間で
どんなことに心が震えるのかが
わからなくなってしまう

否定され続けてしまったことで
自分を受け入れることが怖くなり

受け入れてしまったら
社会には認められなくなり
この世界に存在してはいけないような
強迫観念にも似た感情が湧きあがり

いつの頃から
無意識の中に存在する
自分を評価する誰かに怯え

ほとんど妄想で創り上げられた
社会が求める自分を演じ
世間の目を気にしながら生きる
そんな人生へと変貌を遂げていく

これらもまた
ビリーフの中に根強くこびり付いていて
言葉にならない感覚として
自分のbodyの中にプログラムとして
組み込まれてしまっている状態に
沢山の人が陥っているように感じています

あなたはどうでしょうか?

「そんなことはないかな~」

そう思われる方はきっと
自分自身人生をさらに輝かしいものへと
楽しみながら喜びの溢れる未来へと
今という瞬間を創造していける方だと思います

ぜひ、素敵なあなただけの人生を
キラキラとさせていってほしいと願っています


「そんな気がするな~」

そう思われた方には
きっと微力ながらでもお力になれると思いますので
どうぞ最後まで読んで頂けたら嬉しいです


では自分を受け入れるとはどういうことなのでしょう


それはどんな自分にも

【OK】を出してあげる

ということです

どんな出来ない自分でも
どんなにドジな自分でも
どんなノロマでも
どんなに気が使えなくても
どんなうまく行かなくても
どんなに努力が報われなくても
どんなに迷惑をかけてしまっても

どんな自分でもOKと言ってあげること

ですがこれがまた
自己否定を続けてきてしまった方にとっては
とてもとても難しく感じることなのではないでしょうか

それはそうですよね

これから受け入れていこうとしている自分と
今まで付き合ってきた自分

どちらの年月が長くて
どちらの自分が根強いかを考えると
それはむしろ当然のことかもしれません


では何から始めたらいいのか

それは自分を客観的に見るための
「ディソ」を練習することから始めるの
効果的だと考えています

まずは自由自在に自分自身を客観的に見れるようになる

bodyとmindを話して捉えるようになることで
今どんなことを自分が考えていて感じているのかを
冷静に捉えられるようになっていきます

そのことで今まで気づかなかった観点や気付きが
自然と見つけられるようになって
本当に望んでいることが何なのかという部分を
感じられるようになり、次に活かせるようになっていきます


ディソに慣れてきたら
次に行うのは

心の感覚に敏感になる

ということです

どうしても言葉に囚われてしまって
自分のbodyから発せられているサインを
見逃しがちになってしまう傾向があります

ですので
ディソの状態で今この身体は
どんな感覚を抱いているのかに意識を向けて
その感覚を取られられるように練習してみます

言葉が生まれる前の感覚
言葉にする前にある心の感覚

それらに意識を向けてみるようにしてみましょう

その感覚を掴めるようになったら
次は

その感覚に似た経験・体験を思い出す

ということをしてみます

大切なのは感覚を捉えて
その感覚に似たものを探そうと意識することです

すると
フッと過去の経験や体験が思い出される瞬間が訪れます

その体験・経験が思い出されたとき
何か安心に似たホッとする感覚と共に

「あ~この経験からずっとこの感覚を持ち続けていたんだ」

という思いが現れだして
原因が解明されたような気がしてきます

そこでその時の自分や経験に関連のある人たちに

大丈夫、それでOKだよ
何も悪くない、問題はないよ
そのままでOKだよ

という思いを持って
眺めたり声をかけたりしてみましょう

そうすることで
bodyに刻まれたビリーフが癒され始め
それと共にOKを出すという感覚が
分かってきます

一度OKの感覚がわかれば
どんな時でもどんな感覚にも
自由にOKを出せるようになっていきます


そのままで大丈夫
何も悪くないし問題もない


この態度が

【自分を受け入れる】

ということになります



そしてもう一つの
ありのままに生きるということが

【 創造者として生きる 】

ということになります

spiritの時にもお伝えしましたが
純粋な意識は創造エネルギーであり
ただただ気付いている意識のことを表しています

この本体ともいえるspiritから
bodyとmindが創造されていて
“私”という存在を創り出している

この観点から
“私というパーソナリティ”は
純粋な意識から創り出せることになります

私を私だと認識している存在を
疑うことなく私としている状態

これはアソの状態とも言い表せるのですが

一旦ディソした時に
客観的に私という存在を観察してみると
一つ気付くことがあります

bodyとしての特徴はあるものの
mindは自由に捉え直すことができ
自由に選び直すことが可能だ
ということです

この感覚に気付くことで
私というパーソナリティを
ある種の別人格として捉えることが出来ます

私とは絶対こういう性格なんだ!

ではなく

こういう性格だったらいいな~
こんな風に考えられるようになったら嬉しいな~

これらが自分の自由意思で
選ぶことが出来るということなんです

「それはうそでしょ~!」

そんな風に思ってしまう方もいらっしゃるとは思います
ですが
これはディソの体験とspiritの純粋な意識に気付いた時

「あれ?これもしかして出来るんじゃない?」

という思いが浮かんできますので
今は信じられなくても
一つひとつのトレーニングを重ねていくことで
いずれこの感覚を自然と知る時が来ますので
特段気にする必要はないので大丈夫です

ここで勘違いをしてしまいがちな点が
bodyは反応するという点です

自由意思で選ぶことが出来るとはいえ
身体は日々の体験の中で
様々な反応をします

それはもともと備わったシステムのようなものなので
感情が生まれたり喜びが生まれたり
不安が生まれたり悲しみが生まれたり
肉体としての感覚や感情は
いつだって起こります

ここで言いたいのは


反応が起こった後でも
その先、その感情や感覚を
持ち続けるのか手放すのかを選ぶことが出来て
さらには新たな観点を取り入れたり
新しいビリーフを作り直すことも出来る

ということなのです


大切なことは

bodyの反応にのみ込まれるのではなく
そこから何に気付き、何を得て
どのような選択をmindで行うのか

というところにあると考えています


人生の醍醐味は、もしかしたら

【一度忘れた本来の自分を思い出し表現すること】

ということが出来るのかもしれません


そして、これは日々の意識の話になります

創造者として生きるとは
誰かの人生を生きるのでもなく
誰かの意見や目を気にして生きるのでもなく
誰かの価値判断で生きるのでもない

私自身が私の人生を作り出す源なんだ

という意識のことを指しています

このことは実は
とっても自然なことで当たり前のことではあるんですが

どうしても様々な教育や生活環境の中で
私が人生の創造主だという感覚に蓋をされていきます

私たちは私自身の身体を使って体験をし
色んな事を学び、考え、行動します

それは誰にやらされることもなく
自分の自由意思で行っています

いやいや、だってあの人にこうしろって言われたからやってるんだよ

そう思われる方もいらっしゃると思います

ですが一度このことを客観的に見てみましょう

誰かに指示をされたり命令されたとしても
その行動をすると決めて、実際に行動したのは誰でしょう

どんなことを言われようが
自分が実際に行動に移さない限り
そこでは何も生まれないはずなんです

ですがいろんなビリーフを携えて
日々を生きている私たちにとって
さも当たり前のように
ほとんど反射的に周りの意見や言葉に反応して
自分の意思決定や行動決定をしてしまってはいませんでしょうか

きっと冷静になって客観的に捉え直してみた時
この事実に気付けるはずです

疑問の余地を挟まないほどに
私たちのビリーフは強い強制力を持って
人生を方向づけています

この自分では理解できていないビリーフによって
なかば強制的に突き動かされているような感覚

それが
私はありのままではない
と思ってしまう大きな原因の一つなのだと
私は感じています

つまり
ありのままに生きるというのは

ありのままの生き方を探すのではなく
縛り付けられているビリーフからの解放である

と言えるのではないかと思います

成長してくる過程の中で創り上げた
沢山のビリーフたちの影響によって

こうでなくてはならない
こうすべきである

といったshouldやmust(SMと呼んでいます)に縛られ
それに抗うような感覚を持って人生を送ること

それがありのままを望む動機となっていると考えています

ですので
ありのままに生きるということは
探し求めるのではなくて

ただ、ジャッジメントを手放す
自分を縛り付けるようなビリーフを解放する

そのことで

自分が自分の人生を選択し
今この瞬間を自由に創造しているんだ

という意識が戻ってきて
その状態で生きることが
ありのままで生きている状態であると
言えるのではないかと思います


まとめますと

ありのままは付け加えるのではなく
必死で守ろうとしている鎧を脱いでいくことで辿り着く
自然体の状態であること

その為には
自分を受け入れて、今この瞬間を
自分が創り出しているんだという意識で
人生に向かう態度を持つ

これが

ありのままに生きるということ

なのだと思います


この記事にぴったりの曲がありますので
最後にこちらをご紹介したいと思います
ぜひ、一度聞いてみてください♬


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SUPER BEAVER「らしさ」MV
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