5月31日「エモい」

もう5月も終わりか。ほんと年々時間の感覚が早くなってる気がするな。
子どもの時って、夏休みが永遠かと思うくらいに長く感じられてた。
まだまだずっと学校お休みだ~!って汗だくになりながら遊んで、それでしっかり宿題は残ってて笑
少ない記憶の中でも結構夏休みのことは、写真みたいに映像でいくつか頭に残ってる。
「どれも楽しかったな」っていう感覚と一緒に残ってるから幸せなことだ。

「エモい」っていま普通に聞くけど、子どもの時のこういう記憶って自分にとってまさに「エモい」。
湿気と暑さが正直ほんとうに苦手なもんだから、夏が近づいてくると身構えてしまうのだけど、でも夏は大好き。
夏の空とか空気や音。そういうものが全て子どもの頃の夏休みに繋がってめちゃくちゃエモい気分になる。
むしろそれを求めて出歩きたくなるというか。
そういう夏の「今」と「過去」がリンクしたような感覚があると、ものすごく嬉しくなる。なんでかわからないけど。だから夏は好き。
あとエモいっていう感覚も好きなんだろうな。
にしても「エモい」って便利な言葉だな~!若い人のセンスって素晴らしい。

夏がちょっと終わりに近づいて、すこ~しだけ秋の気配が感じられるようになると夕方にヒグラシが鳴き始める。
それを聞くとなんだか切なくなるような懐かしい気持ちになる。
これ、結構いろんな人に共感得られるのです。日本人の独特な感覚なのかな?
しかも、私はこれを鎌倉の、とある路地裏でめちゃくちゃ感じるのですよ。
夕暮れの景色とヒグラシの声のタイミングが合っちゃって、しかも一人でいたりするとなぜだか勝手に泣けてくるくらいに。
鎌倉ってなんとも言えない懐かしさに溢れてて大好きな街なんですよ。
移住したくて去年から探してたけど・・・ちょっと今は断念。
でもタイミングでいつかどんな形でもいいから住んでみたいな。

にしても最近はほんとうに時間って一定じゃないんだな、って感じる。
あれは絶対に伸び縮みしてる。
人間に気づかれないように何かしらカモフラージュしてるんだ、きっと。
そのうちそれを「証明しました!」なんて言う人出てくるんじゃなかろうか。
少し先の未来には、「時間は一定?いつの時代の話?www」ってなってるかもしれない。

そう。だから過去も未来も今も関係なくって、こだわる必要なんてないんだよな、って思う。
いままで生きてきたことのその全てが「今」を創ってるわけだから、すべて必要なことではあるのだけど、もうそこには意味はないというか。

人間はいくらでも不安や心配を創り出せる。
たぶん不安なことがあるからこそ生きようとも思えるんだろう。
まったく何の不安も心配もない、なんて人間はきっといないだろうし。
そういう要素が人間を進化させて生き長らえさせてきたのだろうな。

不安も心配もまったくなかったらすぐに死んじゃうんじゃなかろうか?
「もう充分楽しんだ~。満足。よし!もう終わりにしちゃおう」って。
ちょっと行き過ぎた考えかもしれないけど、なんかそう思うんだから仕方ない。

少しのストレスは必須、っていうのはこういう意味もあるんだろな。

なにが書きたいとかまとまりもなく今日も終わります!

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