私はボジョレーが好きである。

以前の投稿とは系統が違い、初心者からしたら業界用語のように思える単語もあるが、分からなくても、分からないなりにさらっと読みすすめてもらえればと思う。

恐らくワインが好きな人はタイトルを見て少し疑問に思った人もいるだろう。
ボジョレーワインはお世辞にも良い評価を得ているとは言えないのが現実だ。

ボジョレーを飲む。
11月3週目木曜日。
日本はそれがワインの一大イベントだ。
そして普段ワインを飲まない人も興味でコンビニに置いてあるボジョレーヌーヴォーに手を伸ばす。
そしてワイン好きはそれを見てうんざりする。

もっと同じ値段で美味しいワインがあるのにといったことを思いながら。

けれど事実ボジョレーは世界有数のイベント大国である日本のイベントの一端を担い、マーケットを確実に掌握している。
しかしこれはマーケティングの功罪なのである。

まず消費者はワインの生産におけるコストなど気にしたこともないだろうが、実はボジョレーワインの生産コストは決して安いわけではない。機械で作業を行うには木々の間が狭く、また確立したブドウ生産方法(仕立て方や、肥料、カバークロップなど)も見出せず苦戦している。一方で生産量の規定などもあることから完全なマスプロダクションにも切り替えることは出来ない。
一方でブランドがなく、早飲みのワインで高値を付けることも許されない。
ただ頼れるのは世界的に有名なヌーヴォーの消費だけだ。
しかしこれではチリワインスペインワインなどに対してジリ貧の戦いを強いられていると言っても過言ではない。

しかし先に述べた通りヌーヴォーはマーケティングの功罪なのだ。
ヌーヴォーのおかげで一定のマーケットを掌握しているとも言えるが、実はこのマーケティングによって、伝統的なプロダクトが失われてしまったのだ。
そして私はそれを取り戻すことが、この状況を打破する一手になりうるかもしれないと感じている。

ヌーヴォーが戦略的に取り入れられてきたのは1950年代だと伺った。
そしてそれ以来ボジョレーはヌーヴォーの生産に注力し、我々の思うボジョレーを造るため、また生産の速度を上げるため、CM(カルボニックマセラシオン)といった近代の技術を用いて生産を行っている。

一方で実はそれ以前のボジョレーはフランスの他の地域であるローヌや、ボルドーと肩を並べる値段がついていたという。
ボジョレーの地区は痩せた土地である花崗岩と、石灰岩によって成る。そこで伝統的に作られていたワインはブドウ品種だけでなく、土地の特性などの違いもあり、それなりの個性を持ったものだったのだろうと思う。

そしてつい先日、そういったかつてのボジョレーを取り戻したいという生産者の元でワインを飲む機会があった。そのワインのバランスは昨今の樽がきつすぎる高級ワインには出せない繊細さと素朴さを兼ね備えた素晴らしいものであった。
じっくりと抽出されたシルキーなタンニン。淡色のガメというイメージを覆す色合い。熟しすぎているわけではない柔らかな香りに、微かな樽香を持たせたミディアムからフルボディのワインだ。これらのワインは5年から10年程は寝かすことさえできる。

時としてマーケティングは、プロダクトさえも変えてしまい、そのブランドにすがるが故に身動きがとれなくなることがある。

それこそがボジョレーワインが今の私たちに教えてくれる大きな教訓なのかもしれない。
そしてそれがボジョレーワインの現在地でもある。

是非ヌーヴォーではないボジョレーや、少し寝かせてあるボジョレーに出会ったならこんなことを思い出しながら飲んでもらいたいと思う。


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