西平麻依

小説とエッセイ。ノベルメディア『文活』に参加しています。 共著『でも、ふりかえれば甘っ…

西平麻依

小説とエッセイ。ノベルメディア『文活』に参加しています。 共著『でも、ふりかえれば甘ったるく』 Web https://maimo.jp  連絡先 maimonote@gmail.com

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秋の深まりはシャーベット・モードで

「夏の終わりって泣きたくなる」 小説も読まない、映画も観ない、美術館など行ったことのない私のかつての恋人が、初めて口にした一行の詩だ。 それがいつの会話だったのか、正確に思い出したほうがいい。それを合図に私は、彼と一緒の人生を行くことを決めたのだから。甘美な孤独の森の番人をやめて、面倒でも誰かと対話しながら生きていくことを受け入れたのだから。でも私は思い出せない。結婚記念日もすぐに忘れてしまう。 けれど、そう、その泣きたくなる夏の終わりの匂いなら私もよく知っている。

    • 掌編小説 「残り香」

      銀杏駅で、久しぶりに徳尾くんと会った。 これから22時ちょうどの列車に乗るのだという。駅前広場のすみの喫煙所で、ひとり煙草を燻らせていた。 「ずいぶん懐かしいね」 ちょっと目が合っただけなのに、すぐに私の名前を呼んでくれたのでびっくりした。顔も声も仕草も、記憶の中と同じ徳尾くんだった。何年ぶりだろう、と頭の中で足し算や引き算をしてみる。すっかり変わってしまった私を覚えていてくれたなんて、ちょっと信じられない。 「本当に。こんなところで会えるなんて思わなかった」 「ぼ

      • 夜風喫茶店#6 「炎」

        女性店主が独りできりもりする夜風喫茶店に、よけいな光はひとつもない。店を見映えさせるためのものも、焼き菓子をおいしく見せるためのも。 ほとんどが常連客だから、気取る必要はないんだろう。ショーウインドーはいつも通り、甘いおしゃべりが満ちるようにパイやケーキで溢れかえっている。 夜がそこまで迫る窓際の席で、一人の女性がレモン・ケーキをつつきながらお茶をすすっている。どうやら人を待っているのではない。夏の終わりの風に流されて、ふらりと迷い込んだという風情だ。 伏し目がちのまぶ

        • 夜風喫茶店#5 「夏の終わり」

          上等なスコーンの条件は、オオカミの口になっているかどうか、ということらしい。焼き目がパックリ開いた見た目から、そんなふうに名づけられたのだと本に書いてあった。 食べたいな、と、いてもたってもいられなくなって、仕事帰りにデパートのF&Mに立ち寄ったら、鳥かごみたいなドーム型のガラスケースに、私の好きなプレーン味はみんな売り切れたあとだった。残っているのはパイナップル味が一つだけ。 今月の限定スコーンなんですよ、とお店の人が言うのを、その「一匹オオカミ」はすまして聞いていた。

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        秋の深まりはシャーベット・モードで

          夜風喫茶店 #4 「月と紅茶」

          私は用水路を見つめている。 毎日、うだるような暑さだから、水はすっかりなくなってしまった。川底にすこしだけ残ったぬかるみに、大人の靴の跡がついている。 どうしてそんなところに足あとがついているのだろう。 私の立っているところは、ちょうど二つの流れが合流するところで、いつもなら透明に澄んだ水が、涼しげな音を立てて川へ向かっている。白い毛の長い猫が、のんびりとすわって、クルクル回りながら流れていく花びらを眺めていることもある。 その向こうは住宅街にかくれてしまって、どういうル

          夜風喫茶店 #4 「月と紅茶」

          夜風喫茶店 #3 「クリーム・ダウン」

          おいしいアイスティーをいれるために決してやってはならないこと。それがクリーム・ダウン。茶葉に含まれているタンニンとカフェインが冷やされることによって結晶化し、紅茶が白く濁ってしまう、というもの。 「そんなものをお客に出したら、紅茶専門喫茶店としては悲惨としか言いようがないね」 夜風喫茶店の女あるじはそう言って、たっぷり氷を入れたグラスに紅茶を注ぐ。カラン、と氷の鳴いたグラスは、すきとおる琥珀色。その中にあるのは、今年の夏の、汗と涙。 「ミルクをいれてもいい?」 濁らせ

          夜風喫茶店 #3 「クリーム・ダウン」

          シェアハウス・comma /河野 絵梨花 編

          「河野さんは、頼りになるよ」 上司にそう言われて、そこにどの程度の本心がこめられているのか勘繰ってしまった。定時過ぎたばかりのオフィスを出ると、金曜のせいか街はどこか浮き足立っている。 秋の季節にまとわりつく雨の気配が嫌いだ。一年前の雨の日、ちいさな嘘をついたあの日からずっと。 「絵梨花!」 トンと肩をたたく手は、同級生だった。「久しぶりだね。今、帰り?」 「うん。何してるの?」 「みんなでお茶してた」 みんなで、の一言が心をかすかに曇らせる。大学の四年間、お互

          シェアハウス・comma /河野 絵梨花 編

          夜風喫茶店 #2 「海で」

          今宵もお気に入りの夜風喫茶店。 窓の外の景色は、いつも通り降りてきた夜に沈む、いつも通りさえない街並み。でも決してつまらなくないのは、夜しか開いていないお店だから。 紅茶をのみながら、今日の出来事を回想するにはもってこいのお店。 長期休暇は、やたらと登場人物が多くて、街の色も海の色も、磨いたように鮮やかだった。私はふだん着と革のジャズ・シューズで海へ行ってしまって、だから海は私を、正式なお客としては迎えてくれなかった。でも私は街の生活が好きだから、そんな関係はむしろいい

          夜風喫茶店 #2 「海で」

          夜風喫茶店 #1

          夜はこんな音を立てるって、もう、ずっと忘れていた。 春の夜風は思いのほか獰猛で、ガタゴト窓枠を揺すっている。すこし耳を澄ませると、その奥から救急車のサイレン。近づいて、遠ざかって、消えていくのを聞いていた。トン・トン・トンと上の階の住人が不規則なリズムの足音を刻む。 気づけばもう四月が終わろうとしていて、始まったばかりと思っていた一年の1/4が過ぎ去ったことに気づく。私はノートを開いて、約三年半書き溜めてきた文字を眺める。細いミミズ文字がいくすじも流れている。暗号もあるし

          夜風喫茶店 #1

          小説 「密度の高いものから沈んでいく」

          タワーマンションの窓からは、うんざりするほどたっぷりと都会の街が一望できる。ビル群の中央にはクリスマスカラーの光を灯すシンボル・タワーがそびえ立っていた。見れば見るほど、おもちゃの街みたいな眺めだ。 「まるでトロフィーみたい」 結婚してここに住み始めた頃、ビル群を目にした妻がうっとりと言った。倫也はそれをまるで昨日のことのように覚えている。ひとまわり年下の妻の言葉に、彼はたいへん誇らしい気持ちになった。あれから一年が経とうとしている。 「出張、傘を忘れないでね」 声の

          小説 「密度の高いものから沈んでいく」

          短編小説 「花束とチョコレート」

          それは駅によくある、うす汚れた銀色のゴミ箱に捨てられていた。仕事の行き帰りにいつも通っている駅前広場の一角を、そんなふうに立ち止まって眺めたことはこれまで一度もなかった。 花束だった。バラ、ガーベラ、かすみ草、そのほかにも、名前の知らない鮮やかな花々がそこに入りきらず、あふれるように咲いていた。冬の朝の空気が、そこだけいっそう磨かれたように澄んでいた。 「ねえ、どうしておはな、すててあるの?」 赤いベレー帽を被った少女が通りすがりに言う。信号を渡ってすぐのところに幼稚園

          短編小説 「花束とチョコレート」

          文活11月号の短編小説 「花の名前」についてお知らせ

          11月、ノベルメディア文活から、『文と生活』(紙の同人誌)が刊行されました。小説をふたつ収録していただいています。 ■『コインランドリーで朝食を』 ■『花の名前』(書き下ろし。マガジン購読者のためのWeb版は文活アカウントで公開中です) 書き下ろしの『花の名前』は、書き手6名による、オムニバス群像劇の一つです。企画の詳細は、左頬にほくろさんのこちらに記されています。6編の小説の世界観をより楽しく味わっていただけるかなと思います。ぜひ併せてお読みください。 すでにお読みく

          文活11月号の短編小説 「花の名前」についてお知らせ

          短編小説 「楽園の白いトラ」

          隣の女性が泣いている。 朝からの雨のせいで、車窓は灰色に濡れそぼり、電車がガタゴト揺れるたびに、湿気のこもった空気が匂い立った。彼女のスカートの膝に、ぽた、と落ちた染みが雨粒でないことに水崎が気づいたのは発車後すぐだった。 会社からのメール通知がひっきりなしに鳴り、そのたびに返信をしなくてはならなかったので、すぐにハンカチを差し出すことが彼にはどうしてもできなかった。 十五分後、ようやく込み入った内容の問い合わせに対応し終え、そっと様子をうかがってみると、彼女はまるで野

          短編小説 「楽園の白いトラ」

          掌編小説|「炭酸水に、透ける」

          ぼくの行ける高校は一つもない。授業は寝る、課題は出さない、友だちもいない。担任に言わせると、「新時代の子」だ、そうだ。 「横川、話を聞くときはちゃんと人の目を見ろ。おまえのために言ってるんだ。ご両親を悲しませるのはつらいだろう?」 って、真顔で芸人のコントみたいなことを言うから、思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえた。ぼくは、性格も悪い。   両親を悲しませるのがつらいかって? ぼくには「感情」がない。捨ててしまったんだ。いろんなことを感じるのが面倒だから。簡単だ。嫌

          掌編小説|「炭酸水に、透ける」

          短編小説 「波を数える」

           改札をくぐり抜けて歩道橋の上へ出ると、爽やかな水のような風が一瞬、汗ばんだ首すじを撫でていった。  大通りの常緑樹は、長引いた残暑ですっかり色あせている。魚が棲みよい水を嗅ぎ分けるように、横川緑はするすると人波を泳いでいく。  本当に魚みたいだな、と彼は行き交う人々を眺めながら思った。ぴったり前の人の背中の後を、息も乱さず進んでいく。つまらない小魚ばかりだ、どいつもこいつも。彼は目の前の人々を、ただひとまとめにそう考えた。  そういえば、子どもの頃飼っていた金魚を水路に流し

          短編小説 「波を数える」

          短編小説 「遠い星から来た人」

          久しぶりに雨が上がった7月の日曜日、初めて凪沙(なぎさ)に会った。あちこち残った水たまりに、街から漏れた油が小さな虹を作っていた。  母親に連れられたその少女をモノレールの駅で最初に見た時、この子とこれから夜まで一緒に過ごすなんて絶対に無理だ、と佐藤は思った。姪とはいえ、ほとんど会ったこともなく、まして中学生だ。伏目がちの瞼の先でたよりなげに震える彼女のまつげを見ていると、佐藤の心の底に澱んでいた物憂い感情がむっくりと湧き上がって来た。 「あなたって、どんどん殺風景な

          短編小説 「遠い星から来た人」