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夜風喫茶店#5 「夏の終わり」

上等なスコーンの条件は、オオカミの口になっているかどうか、ということらしい。焼き目がパックリ開いた見た目から、そんなふうに名づけられたのだと本に書いてあった。

食べたいな、と、いてもたってもいられなくなって、仕事帰りにデパートのF&Mフォートナム&メイソンに立ち寄ったら、鳥かごみたいなドーム型のガラスケースに、私の好きなプレーン味はみんな売り切れたあとだった。残っているのはパイナップル味が一つだけ。

今月の限定スコーンなんですよ、とお店の人が言うのを、その「一匹オオカミ」はすまして聞いていた。
 
日がくれて、街は夜に沈む。夜風よるかぜ喫茶店は、いつもいい紅茶と菓子の香りがする。音楽はかかっている時もあるし、かかっていない時もある。今宵の音楽はかすかな虫の声だ。

「夏も終わりだね」

ガラスケースの向こうで、店主の女性がつぶやく。

「今日は、スコーンはないの?」
「さっき最後の一つが終わったのよ」

今年最初のアイスティーを作った時より、少し日焼けした彼女が得意げに言う。

冷房のきいた部屋が肌寒い。カーディガンを羽織って背中をまるめて、まだ湯気を立てているミルクティーで体を温める。今日は小説を書かなくてはいけないのに、ケースに並ぶサンドイッチや菓子をぼんやり眺めてしまう。

なんだ、残念。どうしたってプレーンのスコーンをたべたい気分なのに、ここも売り切れ。

「F&Mの今月のスコーンはたべた?」
彼女はいつも私の頭の中を見透かしている。

「買わなかったわ」
「どうして?」
「だって、パイナップルなんて邪道だし」

彼女は柱に寄りかかって腕を組む。

「パイナップルとスコーンは意外と合うのよ」
「まさか」
「本当よ。あなたの言ってるパイナップルが私の知ってるパイナップルと同じであるなら」
「パイナップルっていったら、あのパイナップルでしょ。他にある?」
「私の知ってるパイナップルは、スコーンに合うけど。……まあ、いいわ」

私は、一つのパイナップルのことを思い浮かべる。果肉はみずみずしく光って、甘ずっぱい南国の香り。サンセット・ビーチの高く低い波、ちりりと冷えたピナコラーダ。南の方はごめんさ、暑いところは苦手だから、と、一匹オオカミが答える。たとえ頼まれたって、行ってみようと思わないね。

「小説は進んだ?」
「まあね」

誤魔化ごまかしてしまうと、どうも弱音ははけなくなる。

「変に気取った言葉を使うのはやめてよね」
「そんなに読みにくい? 前のは、どこが駄目だった?」
「そうだね……」
やわらかい布で眼鏡を拭きながら、彼女は少し考える。
「あなたのパイナップルがたくさん出てきた。だから、正直、いいとは思わなかった」

何、それ。意味がわからない。

その時、静かな常連客がひとり、影のようにするりと店を出て行く。
「クリーム・ティーが美味しかったよ」 
しみじみと満足そうな声を残して。

ということは、あのお客が最後のスコーンをたべてしまったのだ。私のすぐ前に入った人だったから、ちょっと口惜くやしい。

「おひとつ、いかが?」

そのお客がドアから出てゆくのを確かめてから、彼女はこっそりとF&Mの紙袋を開けた。右手にパイナップルのスコーンを、左手にクロテッドクリームの瓶をつかみ、逡巡している私の目の前に、どうぞと両手で差し出してくる。

「ほうらね、けっこうおいしいでしょう」

おそるおそる一口かじるのを、彼女はじれったそうに見ている。パックリ開いたオオカミの口からスコーンを半分こにして、ふわふわのクロテッドクリームをたっぷり塗りたくる。舌先に触れたクリームのやわらかさと、甘いバター味のさっくりした生地、それから、ほのかなパイナップルの香りを、ゆっくりと確かめる。

不思議な味。パイナップルだけど、私の知ってるパイナップルじゃない。

彼女はふふっと笑って、キッチンの奥に消えた。

「いいのが書ける?」 
と、声だけが頭の中に響く。
「うん」
私は答える。

まだ夏は終わらない。一匹オオカミは夏の名残を追いかけて、南へ駆けていく。



<おわり>

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いつもお読みくださってありがとうございます。過去作品を紹介しています。夜風喫茶店にいらしたついでに、ぜひ。



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