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どうしようもなくついていない一日

 最高だった一日のことと、どうしようもなくついていない一日のことは、同じくらい深く、心に刻み込まれていると思う。

 会社員だった頃、出張先の高知で、コンタクトレンズを失くした。あ、と思った時はすでに遅くて、水は渦を巻いて流れて行ってしまったあとだった。

 眼鏡も忘れていたので、仕方なくその日じゅう、0.1の視力で過ごさねばならなかった。すべてがぼんやりと見え、つかみどころがなかった。海辺のカレー屋さんでランチを食べながら、コンタクトレンズを装着していれば、一面に広がるこの太平洋はさぞかしきれいに見えるだろうと、すごく無念に思った。

 午後の商談はいきなり、「ここまで来ていただいて申し上げにくいのですが…、」で始まった。クライアントは、私たちの提案の十分の一しか予算がないと言った。

 なんで高知まで行ってこんな仕事とってきたの、って、帰ったら言われるだろうなあ。気持ちのゲージがまたぐんと減って、帰り道はそのことで頭がいっぱいだった。

 そして極めつけは、その日の帰りに、イヤリングを片方失くしてしまったこと。それは、私がここぞという時につけることにしている、本物のパールのイヤリングだった。

 あまりにもショックで、情けなくて、そんな自分にひどく疲れてしまい、駅に届けも出さずまっすぐ帰宅して、ふて寝してその日は終わった。

 あれ以来高知へ行くことはないけれど、ふとした時、このさんざんな一日のことを話題にすることがある。そして話しながらなぜか、この思い出の奥底に、あたたかい肌触りがあるのを感じる。

 建物の窓のすき間にはさまった羽虫を、男の人がそっと逃がしてあげていたこととか。

 同僚が高速道路を運転しながら、「まいもさん、僕いつかは独立して、やりたいと思っていることがあるんですよ」と打ち明けてくれたこととか。

 カレーの香りの向こうの、まぶしい、大きな光そのもののような壮大な海の気配とか。

 「ついてない一日」という題名がなければ、すっかり忘れ去ってしまったであろうその日の断片的なイメージを、なぜだか脳はセットで覚えている。

 その同僚は遅かれ早かれ独立して、うまくやっていくような気がしている。そして数年後に二人で笑いながら、思い出話をしているような予感さえする。

「あの日はさんざんな、どうしようもなくついていない一日だったけれど、なぜだかとっても鮮やかで、忘れられない一日でもあるんだよね」と。

 そしてこのことは、どんなについていない一日であっても、目を凝らして丹念に探してゆけば、それでもきっと何かあるはずだと、私に教えてくれているような気がするのだ。



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 いつも読んで下さってありがとうございます。なつかしい、高知の出張のこと。

 『グレイテスト・ショーマン』、私も今日観てきました。よかった!友人、きっと感動していて指が震えたのね。

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