当事者研究と芸人

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【喫茶店で一人で二席(一つの机で椅子が二つ向かい合っているタイプではなく、確実に”これは一人一席ですよね”という席で、椅子に荷物を置いたり勝手に机をくっつけている人の事)使っている人をどうしても許せない】

(全然関係ないのですが、これを書いている喫茶店でたった今発生して、本当に自分でも分からないぐらいムカついてしまったので、一旦書く事で発散しました。)

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世界は「自分が知っているんだから全員知っているだろ」ではなく「自分が知っていても全員知っているとは限らない」だという事が最近分かって来ました。お笑いのネタで固有名詞を出すときに「さすがにこれぐらいは(笑)」と思って全然伝わらないこともあるので、困っています。
伝わるラインを明確にジャッジできる人(固有名詞だけではなく、感覚や感情や社会情勢など)がお笑いで大きくウケる事ができる人です。ウケるというのはあるあるでもなしなしでも、どっちにしても多数派の意見を分かっているという事なので。

お笑いのネタに限らず「全員これじゃないとしたら、これって私だけ?」と思う事も増えてきました。正確に言えば自我を持ってから、ずっとこの感覚はあったはずなのですが、心のどこかで全員自分と同じだと思っていた節があります。全員オタクで全員お笑いが好きで全員喫茶店で二席使う人を許せないと思っている。

「自分の感覚が自分一人かも知れない」という恐怖は集団から疎外されれば死に直結する時代から脈々と続く人間の本能だと思いますが(なんで、いつまで経ってもそんな知らない奴らの時代の事を引きずらなきゃいけないんだ、という怒りはあります)、「自分と同じ感覚を持っている人を見つける」というのは、これでギリ死なずに済む、というマイナスから0に行くところ以上の効果はある気がします。人生とは自分と合う人を探すだけの旅。

このように、私が恥ずかしげもなく文章で自分の心のうちを晒し続けているのは、「自分と合う人が見つかって欲しい」というボトルメールです。
今まで書いてきた文章全てにその側面があります。

そして、たまに「この人は合いそう」という人を誘って喫茶店に行ったりトークライブをしたりしています。私と二人で喫茶店に行ったことがある人は、勝手ながら合う人判定をさせて頂いています。
そういう人との会話は本当に楽しく、芸人になってから基本的に会話は全部楽しく、つまらないと感じる瞬間は少ないのですが、そこから更に一段階楽しさが上がります。何時間も一息もつかずに話しまくる事もあります。
その時の楽しさは「仲間を見つけて死なずに済んだ」というよりも、その会話自体が目的であり喜びです。
「あなたはここにいたんですね」という感覚をどれだけ持っていけるか、という話。

昨日『〈責任〉の生成ー中動態と当事者研究』という本を読み終わりました。著者である國分功一郎さんと熊谷晋一郎さんが授業形式で話し合うという内容になっています。
私は國分さんの本は何冊か読んでいて、中動態に関する知識はある程度あったのですが、当事者研究についてはあまり知らず、「なんか自分の事を話す?みたいな?」ぐらいの知識しかありませんでした。
最初は中動態に関する一歩踏み込んだ内容を期待したのですが、その前段として熊谷さんの口から語られる当事者研究の話が面白すぎて(面白すぎる、というのも失礼な話ですが、知らないジャンルについての知識が増えていく過程は面白い)むしろそっちに夢中になっていきました。
今後は当事者研究に関する本を読んでいこうと思っているので、まだ詳しくは無いのですが、している事が芸人に近いといくつか思える部分がありました。

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