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哲学対話「遠野物語」②(柳田國男)

ある夜、心の隅にある小さな疑問や思索を抱えながら、街を歩くあなた。

そんなとき、ふと一軒のBAR「Sole e Luna(ソレ・エ・ルナ)」の暖かな灯りが目に入る。

ここは、ただのBARではない。ここは「哲学対話BAR」であり、訪れる者全てが自らの思考を自由に表現し、他者と深い対話を交わすことができる空間なのだ。店内に足を踏み入れると、落ち着いた音楽と、穏やかな照明が心を和ませてくれる。そして、マスターの温かな笑顔が、あなたを迎えてくれる。

最近読んだ書籍について、或いは心に浮かんでいる疑問や考えについて、マスターと対話を楽しむことができる。ここでは、それぞれの考えが尊重され、新しい視点が生まれる。大きな声で語られる哲学ではなく、日常の小さな瞬間に見つけられる「手のひらサイズの哲学」がここには存在する。

今回も遠野物語の哲学対話。前回の第1話の続きとなります。

それではどうぞ。
(今回の記事、創作にはChat GPTを使っています。)


ここは哲学対話BAR「ソレ・エ・ルナ」。静かで落ち着いた雰囲気の店内でぼくはマスターとが遠野物語について話をしている。

ぼく「マスター、遠野物語の中に、里の人と山の人の曖昧な境界線に関する興味深いエピソードがあります。」

マスターは興味津々になった様子で、ぼくに目を向けた。「それはどのようなエピソードですか?」

ぼく「第7話なんですが、山へ狩猟に出かけた里の猟師が行方不明となった近所の娘と山中で出会うというエピソードです。この娘は山の人にさらわれ、山での生活を強いられているというのです。」

マスターは、深くうなずいた。「それは里の人が山の人になる、という話ですね。」

ぼく「そうです。まず猟師は山に入ることで、その時は一時的に山の人になっていると言えます。その猟師が出会った娘は、山の人に連れ去られたことで生活を受け入れざるを得なくなり山の人になっている。」

マスター「それは、人間のアイデンティティや役割についての深い問いを持つ物語と言えそうですね。」

ぼく「そうです。この第7話には山の人になった里の人が二人出てくる。一人の猟師は自分の意思で山に入りそして里に戻ることができる。でももう一人の娘は自分の意思とは関係なく山の人になってもう里に戻ることができない。この二人の違いは遠野物語は説明されることはない。」

マスター「それは、一時的な変化と永続的な変化、そして、変化を選択する自由と、選択のできない制約との対比ですね。」

ぼくは熱心に話を続けた。「そして、さらに驚くことに、この娘をさらったとされる山の人が、遠野の城下町で月に6回開かれる市場で商取引をしているというのです。」

マスター「それは面白いですね。そこでの彼らの振る舞いや、町の人々の反応はどのようなものなのでしょうか。」

ぼく「それが不思議なのです。町の市場で山の人がいて驚くといったエピソードはありません。里で山の人を見れば驚いたり、恐れたりするのに、町の市場では山の人を見てもなぜか驚かないということになってしまう。」

マスターは考え込んだ。「それは、市場という特殊な場が、人々の認識や感じる恐怖を変える力を持っているのかもしれませんね。」

ぼく「それと同時に、人は環境や状況によってアイデンティティを変えることができる、変わってしまうとも言えそうです。」

マスターは微笑んだ。「人は常に変化する存在ですから、そのアイデンティティも固定的でないことが、遠野物語からわかりますね。」

ぼくとマスターは、遠野物語のエピソードを中心に、人のアイデンティティや環境の影響について深く語り合った。

その③へ続く。

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